2002年版
2002/2/24
期待の渋井が出るというので、横浜女子駅伝を見た。
区間新を出して絶好調の渋井であったが、最近みせるノリは奇妙だ。目標タイムにあと一歩だったことについてインタビュアーに尋ねられると、「上り坂でランパンのインナーが食い込んでTバック状態になったもんで・・・」などとおげれつなことを言っている。インタビュアーも思わず、「そうですか、食い込みましたか」などとつられて返してしまった。阿呆者だ。
あっけらかんというよりは無理やりハメはずしたがっているように見える。
風邪をひいて10日ほど練習を止めているがちっとも治らない。最近、風邪が脅威に感じるようになってきた。はやいとこ新発明の風邪薬を商品化して欲しい。
2002/2/26
とうとう体調を崩し、10日もトレーニングから遠ざかってしまった。ただでさえ少ない2月の総練習量はがた落ちだ。早くも堕落したか、ともう一人の自分に言われぬよう気合を入れなければ。そうでなくとも、ハーフマラソンレースは2週間後に迫っている。目標の1時間30分はかなり厳しそうだ。

2002/4/19
5年ぶりに重度の腰痛に悩まされている。手すりがないと家の中も歩けない最悪の状況だ。キッカケといえば、酒屋でダンボールを数個運んだくらいなのだ。だがそれが本当の原因ではなく、このところ新型車開発でPCに入り浸っていたからだろうと思う。トレーニングが順調に推移してきただけに残念である。
2002/5/29
約半月かけて腰を治し、ようやくトレーニング再開できたと思ったら、勢いあまって風邪をひいてしまった。しかもかなりこじらせたようで、一向に治らない。そのうち、腰痛も再発。踏んだりけったりである。17日のブランク後ようやくトレーニング再開。もはやすっかり普通の人となっていた。
トレーニング再開日の夜中、うなされて目がさめると、心臓がいつもの1.5倍のスピードで脈打っているうえに、灯油を移し変えるポンプの弁のパクパクという音が聞こえてきた。恐ろしくなって、耳をふさいで寝た。
2002/6/12
午後9時、いつものようにスポーツクラブへ寄っていく。受付にあゆ似の新人がいて、僕が会員カードを渡すなり
「お疲れ様です」
と、帰りの客にかける常套句を言われた。今入ってきたばかりなのに、さては勘違いしたなと思い、気を遣って全然気にも留めない風を装う。いやまてよ、お勤めご苦労さま、ここでリラックスしていって下さい、という、彼女なりの気配りからでた言葉なのか、と思い直す。ところが、その直後、施設用タオルが手渡されるそのときも彼女は常套句その2を使った。
「お疲れ様でした」
この一言で、好意的解釈が間違いだったことを悟るが、いくら受付嬢がアホっぽいからといって、「お疲れ様」の意味も分からないまま、接客マニュアルには「帰りの客」に対してかけるべきとある言葉を、入ってきた客に誤って使ってしまうくらい、脳みそスッカラカンな奴なんだろうか??
その謎を考えながらロッカールームへ歩く途中、ある確信をもって別の答が浮かんできた。
どう見ても書き損じの年賀状が堂々と届いた時のように、彼女にとってまさにどーでもいい客に対しての挨拶は、とりあえずその辺のもの宛がっときゃいいだろ! ということだったのだ。そのセリフが正しい用法に則っているかどうかのチェックは一度ならずニ度とも行われなかったのだろう。
そうとしか解釈できない。
2002/6/22
人並みにワールドカップサッカーに興じたが、あらためて好きになれないスポーツであることを感じた。選手同士の足の引っ張り合いはまだしも、審判を欺くプレーの数々は、他のスポーツでは類を見ないろくでなし行為だ。そこまでして点を勝ち取って、居心地の悪い思いはこれっぽっちもないのだろうか。してやったりということなのか? それがスポーツ、ということなのか? マナーの悪いサポーターの多さにはうんざりする。結局自分の応援するチームが勝てばハッピー、負ければ超不機嫌で発狂寸前だ。嫌いなチームには敵意丸出しでクソミソだし、敵側勝利の健闘をたたえる気持ちなど微塵もない。それが、自分の気持ちを正直に表現するラテン人気質だとでも? 単に我ままな子供ってだけじゃないか。今日もスポーツクラブで流している3台のTVを、大勢の前で勝手に全部サッカー中継に変えやがった。それが当然とでもいいたげな顔で。奴らは典型的自己中な輩だとつくづく思う。
2002/6/29
今年の出場レース予定が決まった。数だけで言えば例年にない盛況ぶりだ。本当に全部こなせるんだろうか? ちょっと心配でもある。
7/21 秋田芭蕉レース
8/4 原町トライアスロン
8/25 うつくしまトライアスロンinあいづ
9/1 佐渡国際トライアスロン(Bタイプ)
9/15 佐野トライアスロン
10/6 幕張トライアスロン
佐渡を除きショートディスタンス、ほとんどが東北地方のレースとなった。
会津の1週間後が佐渡というのが厳しいが、会津ではのんびりを心がけよう。
2002/7/25
象潟レースで得たものは大きかった。こんなに楽しいと思ったレースは久しぶりだ。バイクコースでは常にチャレンジングな精神で溢れていた。ランではそうとう辛かったはずだが、今になってみると何も思い出せない。
いよいよ面白くなってきたのだろう。この感覚が、ここ3,4年の自分に欠けていたものだったことに気づく。
象潟レース報告
2002/8/2
最愛の息子タンクが突然死んでしまった。夏の異常な暑さか、腹にできた腫瘍か、昨晩の雷によるショックか、原因はよく分からないのだが、今のところ雷という結論に至っている。もともと心臓は弱かったようだ。享年7歳10ヶ月。
タンクとは休みの日にいつも一緒にいたが、特にひざの上にいるのが大好きだった。1時間だろうと居続けるので、僕のほうが痺れを切らしてしまうほどだ。2年程前から、太りすぎが悩みの種だったが、死んでしまうと身体がとても軽くて、なんともはかなさを感じた。だが、体重計で量ってみると、全く普段どおりだった。魂の重さというものは文字通りはかりしれない。
2002/8/14
象潟の結果がようやく郵送されてきた。順位はちょうど1/4の位置にいた。初戦としては上出来だとしよう。原町で知った強豪の50代がみな象潟にも出ていたのでおかしかった。しかも、さらに速い。逆にいえば、自分の原町の結果は悪くは無かったと言えそうだ。
右アキレス腱付近の肉離れが治らずにトレーニングが思いっきりできないのが、このところ歯がゆくて仕方がない。プールにも行きたいが、スポーツクラブはお盆休みときた!

2002/9/18
トライアスロンの代表的サイト(http://www.mspo.jp/)にある「藤原裕司のトラトラトラ」は、その奇妙なタイトルから受ける予想を裏切って、なかなか中身が濃い。藤原さんには以前都内の電車内で見かけたことがあって妙な親近感がある。バイク上り坂での回転数90が目標とか、生野菜を食べることは大切だとか、彼の仕入れた情報は独特で面白い。特に、ランでは足首を使わない走りがトップランナーの特徴、という話は目からうろこが落ちる思いだった。トップランナーの下肢は使われないために筋肉量が少なくほっそりしているという事実。振り子運動の先にある部位は軽い方がいいに決まっている。そういえば別のマラソンマニアのサイトにも、二の腕には筋肉をつけないほうがいいとあった。
しかもその走法は、今悩んでいる足首肉離れを極力起こさない走り方とそっくりなのだ。振り出した脚の膝は曲がっているし、けりだしたほうの足も地面を強く蹴ることはしない。ある意味、膝から下が義足のランナーでも無理なく走れるスタイルと言えるかもしれない。昔から体格に似合わずストライド走法の自分は、ピッチ走法に変えるつもりは今まで全くなかったけれども、今後は意識を変えなくてはならないと思った。

2002/9/21
「トラトラトラ」に引き続き、庭田清美選手のコーナーを見た。
多少の謙遜もあるかもしれないが、記事を見て驚いたのは、オリンピック代表の彼女が、ほんの数年前までは何をするにも全くの凡人だったということだ。彼女がここまで登りつめた要因も、負けず嫌いとか、やると決めたことはすんなりやれるとか、ごくありきたりだ。トライアスロンを始めるきっかけも、人に勧められて渋々といった感じで、決して自ら進んで始めたのではない。
もし自分が、さほど興味もないことで何か人に勧められて、始めてみたらなぜかとても得意で、とんとん拍子に上達した、などということがあったとして、それを自分の生きがいにすることができるものだろうか? 今まで、好きなことしかやってきていない自分としては、予想がつかない。
このエッセイを読んでいると、ひょっとしたら、自分に最も似つかわしく、最も才能を発揮できるもっと別の事があるのに、知らずに生涯を終えるのかもしれない、などとしばし考えさせられる。

2002/9/29
ディープリム
往年の名ディープリムホイール、ZIPP440を2年ぶりに復活させた。現在使用中のキシリウムはスピードの伸びに不満があったが、自分の脚力低下が原因だと決め付けていたところがあった。最新機器のほうが当然速いに決まっているという先入観もあっただろう。ところが最近、やはりディープリムのメリットはあるはずだとふと気づいて、現在のコンポに適合させるためにバイク屋へ持っていくと、「幻のホイール」と店員が一人ごちた。気になったので追求してみると、カーボンホイールは裂けたり剥がれたりして、数年も経つと誰もが壊してしまうというのだ。ZIPP440の現役期間は7年以上にもなるし、遠征旅行だろうと通勤だろうと構わず使い、強い衝撃にもビクともしないので、頑丈なことが取り柄だと思っていたのだが、意外な答えだった。
ディープリムの昨今の事情を聞いて、さらに驚いた。時代は当然、更なる軽量化を目指しているかと思いきや、むしろはるかに重い製品(COSMIC等)もあるくらいなのだ。となれば、このZIPPが現役を引退しなければならない理由はほとんどないように思われた。
ハブの改造が完了し、今日このZIPPの走行感を久しぶりに味わった。するとどうだろう、明らかに今までより速い。最高巡航速度も1〜2km/h上回る。速度が1km/h違えば40kmで2分前後違ってくる。なんてことだ。今まで随分と損をした気がしてきた。アップダウンが少なく、高速コースとなる原町、会津、佐野の大会では間違いなくZIPPの方が速かったに違いない。
前後で10万円もしたキシリウムの価値が少し色あせて見えた。

2002/10/08
ディープリムその2

幕張のワールドカップで、選手達が使用していたホイールは、必ずしもディープリムではなかった。というより、ノーマルの方が多かったかもしれない。その理由はどこにあるのだろうか。
ディープリムの欠点は、横風を受けやすいこと、重いので登りでは不利で、機敏な加速が苦手なこと[後日修正、カーボン製ディープリムはアルミリムよりも軽い。よって以下の考察も不適。ここで挙げてない欠点としては、雨天時の制動に難あり。ただし幕張は今回晴れだった。]、ダンシング時の特性に違いがあること、などと思う。幕張大会を考えると、まず無風だったので横風の心配はない。見かけこそ集団走行のスタイルを取るが、終始ほぼ一定のペースで走り、ロードレースのように駆け引きを繰り返したり、集団を一気に抜け出して逃げ切るなどの戦略をとる選手は、よほどバイクが得意な選手でもない限りいないと思われる。また、ほとんど平地なので、フレームがきしむようなダンシングは考え難い。つまり、どう考えてもディープリムのほうが有利と思うのだ。折り返しの多いコースなので、そこでの加速の悪さが命取りになるのだろうか? とは言え、どれほど加速が悪いというのだろう? スタンドに乗せたバイクは、手でペダルを回しても40km/hのスピードまですぐ上げることができる。手で動かせる力など、脚力にくらべたら虫けらほどのパワーしかない。これはつまり、ほとんど違いがないことを意味してはいないだろうか?
よく分からない。