第15回秋田芭蕉レースin象潟参戦日誌
2002/7/21
オリンピックディスタンス

本年初となる秋田・象潟でのレースは、高波でスイム中止という予想外の展開から始まった。やや風が強いせいで波が立っているのだが、この程度で中止になるのも意外だ。その替わりにショートラン2.8km。スイムゴールからバイクトランジットまでのミニランも含めて、事実上の第一ランは4kmほどになる(計測は2.8kmで区切られる)。ランは選手間にばらつきが出ないので、4グループ2分間隔のウェーブスタートとされた。ゼッケンはケツのほうなので最終組でスタートする。
普段のスタート時はウエットスーツに身を包んでいるが、デュアスロンとなると当然ながらランの格好でスタート待ちになる。程よく日焼けして身が引き締まった選手に混じって、誰よりも色白でぶよぶよな自分がたまらなく恥ずかしくなった。早くスタート時刻になってくれ、と居たたまれない気持ちになる。
ようやく我が第4ウェーブがスタートする。皆、スイムスタートの感覚で全力で飛び出すものだから、ペース配分が滅茶苦茶だ。早速ガクッとバテている連中をかわしながら走るが、そんな自分も結構バテている。そうでなくとも、次のバイクコースはいきなり壁のような登りが待ち受けているというのに。
前日、バイクコース下見のバスに乗って正解だった。ショートの大会でここまでお膳立てされているのも珍しいが、暇つぶしくらいの軽い気分で乗ってみたのだ。バスのエンジンが唸りを上げるほどの変化に富んだコースだとは知らなかった。
平凡な走りで第一ランを終え、道路上に一直線に設置された名物の長いバイクラックへと入る。さして急ぐわけでもなくトランジットを終えてバイクスタート。すぐに12%の勾配が待ち受けているので慌てずに出かける。
だが意外にもバイクは調子良かった。最終ウェーブスタートでしかも速い連中はランでさっさと先に行ってしまったものだから、抜かされることはほとんどなく(ランで遅い選手はバイクも遅い)、登りでは次々と選手をパスしていく。朝にむりやり仕込んだVAAMやアミノバイタルの効果がようやく出てきたのか、グリコーゲンに頼らずに走っているという感じである。呼吸はMAXに達し、傍目にはぶっ倒れそうな感じであろうが、息が上がっているわけではない。
コース下見をして急遽作戦変更し、軽量化を最優先するためにDHバーを取り外したのも正しい選択だった。登りに有効なハンドルポジションが得られるメリットも大きい。何より、DHバーを載せてエッコラ登っている脇をスイスイ抜けていくのは小気味良かった。同じようにDHバーを外した選手は2,3割ほどいたと思う。
バイクコースのハイライトは中盤に4kmほどコンスタントに続く、勾配6%ほどのだらだらとした登りだ。道は広く、横では折り返してきたトップ選手が70km/hの豪速で駆け下りていく。勾配が一定で、登りに集中できるこういったコースは、実は昔から好きだ。どう見ても人生トライアスロンしかないような、馬のような筋肉質の選手をこういう箇所でパスできるのは楽しい。日頃、どんなトレーニングをすればあんな均整のとれた体型になれるのだろう。でもなぜそんなに遅いのかも謎である。
折り返して下りに入ると、やはりDHバー装着車が有利とばかりに、次々と抜かされる。登りでパスしたはずのセミプロ系女子アスリートにも抜かされた。やはり猛スピードの下りではバイクテクニックも重要で、普段エアロバイクしかこいでない自分にとっては無茶は禁物。どうせ下りはあっという間なのだ。その女子アスリートにも程なく追いつき、ゴールまで抜きつ抜かれつの展開となった。彼女の肩や腿、ふくらはぎの筋肉は見事に引き締まり、ツワモノとしてのオーラを呈しているのだが、なぜか三段腹で西洋型デブなのである。これでは登りは大変だろう。
この頃になると、バイクにもかなり慣れてきて(アスリートとは思えない言い草だが)小刻みにコーナーの続くアップテンポなコースを勢いよく飛ばす。交差点で減速したあとはすかさずダンシングで加速する。全盛期の頃のノリノリの走りが思い出されてきた。時には平地でも50km/h以上出ていることもあった。もちろん追い風だからこそ出たスピードである。だが、当初の狙いとしては、そこまで攻めの走りをするつもりはなかった。気づいてみると、バイクコースが気持ちいいのだった。もっと晴れていれば鳥海山の眺めがすばらしいと、地元の人は惜しがっていたが、雄大な起伏の山々や田んぼに隆起した松島はなかなかの眺めだ。この象潟のレースが好印象度No.1なのも頷ける。
時刻にして11時を回るころ、気温は30度以下だとは思うが、太陽が照りつけて気分的にはかなり暑い第2ランへと入る。猛暑の中、僅かな力を頼りにうだうだと走るレースは、これまた好きなのだ(得意ではないが)。
案の定、ランに入ると足がかなり重い。だが、日頃バイクとランの同時練習を重ねてきたお陰か、重い足どりを何とか生かすことにも慣れていた。バイクで競っていた選手もいつの間にかいなくなり、前方の選手を一人ずつかわしながら走ることになる。従来、スイムで上位に立つレース運びが常だったので、ランでは抜かされることが多かったが、今回はその逆の立場だ。とはいえ、それでも自分より前を走る選手はまだ山ほどいる。バイクでさんざん抜いたので、少しは期待していたのだが、トランジットに戻ってきたときに目にしたバイクの数はかなりのものだったので、少しやる気が失せたほどだ。
バイクで使ったボトルを腰に装着して走り、エイドステーションで瞬時に補給する。重いものを抱えて走るデメリットよりも、飲みたいときにいつでも補給できる安心感を携えている精神的メリットの方が大きいのだ。チャポチャポと背中で奏でる音を、暑さでばて気味の選手に聞かせながら黙々と走る。
ただ、このレースでは比較的エイドが多かったので実際にはあまりボトルの恩恵には授からなかった。時折シャワーで全身に水をかけてくれる人もいる。これが無かったらタイムはもっと落ちていただろう。
ペースは遅かったが、悔やむほどの実力がないことは分かっていたので、自分なりに限界を出し切る走りに集中できた。途中、男子高校生の集団とタッチして思わず笑みが出てきた。都会のクソガキとちがって、素直な彼らの印象はとてもいい。どこからともなく力が湧いてくる。
2時間34分あまりでゴール。珍しく、レース中タイムをほとんど気にしていなかったが、起伏のあるバイクコースの割にはコンスタントなペースを守れたし、暑さにも耐えて、なかなか理想的なレース運びだったと思う。順位はまだ分からないが、上位1/3には入れただろうか。何はともあれ、今後のトレーニングの励みになったことが一番の収穫だ。

* * * * *

前夜祭としてカーボパーティがあった。こういう類は極めて苦手なのだが、一般的なトライアスリートは何とも思わないらしい。今回は民宿を取れなかったため知り合いを作るきっかけがないので、だれか一人でも話し相手を作りたいなと思い、意を決してパーティ会場へ向かう。とりあえず会場内を外から覗いてみると、各テーブルごとに番号が用意されている。自分の居場所があらかじめ決められているのなら、参加しやすいかとも思い、入り口へ行ってみると、番号の書かれた紙切れを手に、受付の女性が「何番がいいですか?」と聞いてきた。勝手が予想とは違うようだ。「何番と言われても分からないしなあ、どれでもいいです」 と応えると、「じゃあこの番号で!」と、35番を渡された。35番テーブルへ行けという事なのだ。奇妙なことに、その35番は残り1枚であり、あたかも早く処分したかったかのようだった。なぜか14番などは山のように残っている。訝しく思いながらも会場内へ入っていき、35番テーブルを探し当てた時、唖然とした。そこには大会ボランティアとおぼしき若い女性ばかりがずらりと並んだ、異世界のテーブルだったのだ。
その時の私は、速攻で「ノー!」と叫ぶ心境であった。こうして後になって書いていると、折角の機会を、と思えなくもないが、まあどう考えても私にそのテーブルに交わる勇気はないだろう。慌てて入り口に取って返し、「やっぱり別の番号にしてください」と懇願した。すると、「じゃあ、何番がいいですか?」とまた聞いてきた。しまった。何番が望みなのか、ちゃんと調べておけばよかった。結局同じ会話を繰り返す。「何番と言われてもなあ」「じゃあ、39番で!」、またしても残り1枚の39番を渡される。恐る恐る39番に行ってみると、今度は大家族集団のテーブルだった。爺ちゃん、婆ちゃん、ガキんちょ数人、おばちゃん・・・・・。再び唖然としてしまう。
結局、「僕には馴染めませんでした」と断わって、札を返してその会場を後にした。あとで思い返せば、何枚も残っている14番を指名すればよかったと思う。でも、なぜ14番だけ大量に残っていたのか、そのときは便所の脇のテーブルだから避けられている、くらいに考えてしまったのだろう。だが、便所の脇のほうがナンボかマシだったに違いない。

レース後には、閉会式が予定されていた。昨日のカーボーパーティと同じ会場らしい。記録速報も見たかったし、恐る恐る寄ってみると、またしてもテーブルが並べられて何かしらの料理が用意されている。そして入り口には女性が待ち構えていた。悪夢のようなテーブルの番号札を用意して。
もう思い残すことは無かった。きびすを返し、早々と象潟を後にしたのだった。