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AM 7:00 スイムスタート
のんびりタイプが多かった佐渡Bとは違い、3.8kmだろうと周囲はかっ飛ばしていく。しばらくスイムバトルと付き合うことになる。ゴーグルが外れてコンタクトが流されるようなことだけはしないように。
心配していた寒さも、泳ぎだしてみるとさほどでもない。波が高いが、このくらいじゃないと海って感じがしないよね、と余裕ぶっこいている。ヘッドアップは最小限に、呼吸は4回に1度の割合を厳守する。このコースは1900mを2周するのだが、ITUレースのように一度岸に上がるスタイルをとっている。このやり方は初めてなのですこし楽しみだった。
500mほど泳いだだろうか。気にならないと思っていた寒さが徐々に堪えるようになってきた。残りはまだまだある。大丈夫なのか? 
1周目の中間点付近で、早くも耐え難い寒さへと変った。沖に向かうにつれ、水温も一段と低くなったに違いない。こんな時は、自らの温水でウェットの中を温めるしか手はないだろう、と思いつき、泳ぎながら行為をイタそうとする。
しかし、佐渡のときもチャレンジしたが、やはり出ない。全身の力を抜いたり入れたりして色々試行錯誤してみるが、もう少しのところで頑として出てこない。おそらく、一時泳ぐのを止めて、30秒くらいその場でじっと留まっていればうまく行くかもしれない。しかし、何もしないでプカプカ浮いていたら、間違いなくサーフボードに乗ったライフセーバーが30秒経たずして寄ってきて「どうかしましたか?」と訊ねるだろう。「なんでもないから、あっち行ってて下さい」とでも言えばいいのか?
この時がどのくらい寒いかというと、サウナに1分間入って、その後1時間水風呂に浸かるくらいに相当する寒さだ、経験ないけど多分。リタイヤの文字が頭の中を行き交う。まあとにかく1周目を早く終わらせて、岸に上がろう。そうすれば何か変化があるかもしれない。

やっとの思いで1周を終え、タイムを見ると35分45秒。佐渡の2キロより遅いのはどういうわけか。岸に上がっても、寒いことには変わりなかった。もう一度この海へ飛び込むか、やめるか、決めるなら今しかない。しかし、いざとなるとリタイヤする勇気もなく飛び込んでいた。
2周目は1周目より若干長いから1時間10分の目標は早くも崩れる。この目標タイムはもっと縮められるかもしれないと大見得切った奴はいったい誰だ! と考えながら泳いでいると、先ほどよりも波が高く感じられる。おいおい、フェリーがすぐ脇を通り過ぎているんじゃないだろうね。そのくらい波がしつこくなってきた。そのうえ漁船のオイル混じりの排気ガスがあまりに臭い。ちゃんと車検(船検?)通っているのかね?
折り返しを過ぎ、波の方向が変わる。体で波のリズムを感知できない方向のようで、息継ぎのときに死角から不意打ちを食らって大量に飲むはめになる。「オエェーッ」と叫んで戻しそうになること数知れず。

後半は寒さで肩が固まり、リカバリーがまともにできなくなった。五十肩とはこんな感じか? 腕が上がらないだけじゃなくて、強烈な痛みを伴いプルもままならない。もはや、ヘナヘナと水を押しやっているだけである。ちっとも進んでいる気がしないし、実際、進んでないだろう。寒さと嗚咽と五十肩でトリプルパンチ、辛抱たまらん。再びリタイヤの文字が脳みそすべてを埋め尽くす。でもこの海の中で「やーめた」と言ったところで、すぐ楽になれるわけじゃないんだよな。スイムがほかの2種目と異なるのはまさにそこだ、と今日ほどつくづく感じたことはない。

スイムパートでこんなに長々と書いたことは前例がないな。100m長いびわ湖大会でも1時間6分でフィニッシュしたのに、1時間18分という過去最長記録を打ち立ててスイムゴール。よくぞ生きて帰ってこられた。猛ダッシュでトイレへ直行する。簡易トイレのなかはモワっとほんのり暖かく、おもてなし最高だ(皮肉ではありません)。放尿タイム開始!全身がブルブルと猛烈に震えてコントロール不能だ。ホース先端を持つ手はまるで出の悪いコショウ瓶を振るかの如く思いっきり上下左右にブレて、便器の中にほとんどマトモに入ってない。ちゃんと狙っているのですよ。水勢はとどまるところを知らず、そのうち体内の水分が全部抜けきってしまうのではないかとさえ思われた。推定1リットル以上の軽量化を果たし、次なる着替えテントへと走る。
バイクウエアは上下ともウェットスーツの中に着こんでいたため、このテントでは靴下、バイクシューズを履き、メットを被るだけである。1分もかからず完了するが、なんせすごく寒いのである。全身の震えが止まらない状況で、しっかりと濡れたウエアに身を包みバイクで30km/h超で走ることが可能だろうか? 答えは当然NOだろう!? 意味もなくギアバッグの中をまさぐって時間調整をする。このテントから外へなんか出られるものか。予定してなかったグローブをはめる。寒さ対策のウエアを一つも用意していなかった自分を恨む。
しかし、ストーブのないこのテントにいても一向に状況は改善しない。暇つぶしも限界に達し、意を決して行くしかないのであった。

AM 8:28 バイクスタート

ところがである。走り始めるとウエアや体が速効で乾き、わずか2,3キロで全く寒くなくなった。なんだ畜生、さっさとバイクパートに移るべきだった。後で時計を確認したら、スイムゴールからバイクスタートまで約10分を要していた。どう少なく見積もっても、5分は無意味なロスタイムだ。

さあて、得意のバイクだ。昔は得意といえばスイムだったが、スイムのアドバンテージは本日をもって地に落ちた。180kmを続けて単独走行したことはなかったが、どれほどの負荷で走れば余力を残してフィニッシュできるかの見極めには自信があった。自分の実力を正確に知ることで、闇雲に飛ばすということがなくなり、周りに惑わされず落ち着いてペース調整できることの意味は大きい。
しかし、波乱のスイムが予期しない弊害を残していった。寒さに抗っての全身の硬直状態が長かったせいか、いきなり腰痛が発生してしまったのである。DHポジションがとりづらく、上り区間はシッティングで行くのが非常に辛い。時々スタンディングで走るとスッと痛みが引くのだが、スピードは落ちるし、なによりランに残しておくべき太ももの筋肉を酷使してしまう。しかし背に腹は代えられず、上りではダンシングを多用することになる。
だがそんなトラブルはスイムの厳しさから見たら比ではなかった。腰痛以外にも、鼻水がジュルジュルと止め処なく出てくるが、おおかた気持ちよく快調に進んでいる。同じペースの選手は、坂区間に入るとほとんどパスできる。長柄トレーニングの成果だ!
つまらんメカトラブルが一つあった。POLARの心拍計がまたしても作動してない。本番で使えねえ奴だ! 何のためにわざわざレースで胸苦しいセンサーを着けたと思っているんだ! と当たってもしょうがないけど、何の意味もなさないセンサーは、結局外し忘れてゴールまでつけっぱなしだった。
うわさに聞いていた通り小規模なアップダウンが絶え間なく続き、全くの平らな道は少ない。PolarのAscent値は10km毎に100mのペースでほぼ安定して増えている。僕にとって好都合だったのは、傾斜がきつくないということだ。坂はいくらあってもいいが、勾配はできれば8%以下がいい。そしてここのコースはまさにそんな感じだった。
ありがたい沿道の応援にはすべて手を上げて応えるのが、最近の自分流スタイルだ。800人分の応援をする方も大変なのは間違いない。お年寄りと子供達が目立つ。
二つあるボトルケージには、一つだけ自前ボトルをセットしてあった。そこには、クエン酸系のスペシャルドリンクを入れてある。咳込むくらい超濃厚なので、エイドで水のボトルをもらい、両方を適宜飲むことにする。普段の練習でもボトルは4本分くらいしか飲まないから、そう頻繁にエイドに用はないが、バナナやオレンジはできるだけ食べるようにした。ボトルのほかに、カーボショッツを3本とVAAMゼリー、それに豆乳を持ってきている。普段の練習時から比べたらかなり多いが、後半のランのためには充分摂取しておかなければならない。

60km過ぎで最初の長いのぼりがあり、その後標高差180mを一気に下る坂は結構テクニカルだ [図中A地点]。トライアスリートは上りが遅い、という評判を確認しつつある中、下りはローディよりも俊足ではないかと思った。同じようなレベルの奴についていけない。先行者がDHポジションのままコーナーを曲がっていったときは、ちょっと真似できなかった。昔、伊豆大島のスペシャルな下りで旧姓勝又選手にアッという間に置いていかれたことを思い出す。

70km過ぎのゆるい上り坂 [B]で、TIMEのVXRSに乗る選手に追いついた。このフレームにはすぐ反応するように脳ができてしまっている。変ったチェーンリングだなあ、と思ったら新型デュラエースだった。未だに違和感を覚えるな。横に並びかけて、思わず「いいバイクに乗ってますね」と声をかけてしまった。後ろから来た奴にそう言われたら、自分でも返答に窮するだろうな。えへへと苦笑していた。実は自分でウヒウヒな気分に浸っていることを彼は知る由もない。「羨ましいなあー」としつっこく二言目を発する。でも本心なんだよ。今まさにVXRSでアイアンマンを走ることのできる境遇をさ![後日追加:この選手にはランで抜き返されていた]

84km地点 [C]でスペシャルニーズバッグ受け取りピットがある。ここでクエン酸パウダーとカーボショッツ数本を受け取り、水を加えてボトルを再びスペシャルで満たした。この間完全ストップ75秒。この程度のロスタイムは予定通りだ。
程なくして、バイクコースのハイライト、3kmの上り区間 [D]に入る。ここでは巨大ウチワを持った特設応援団が出迎えてくれた。傾斜はさほどキツくなく、38-19Tで上れる。ただしこの坂はあと2回登ることになるのだ。その坂を下りきると、バイクコース唯一の分岐点 [E]がある。この交差点を左折して、1周38kmの周回ルートを2周し、3度目にここまで来たら左折せずまっすぐゴールを目指すことになる。
左折してすぐ向かい風に変り、腰痛には堪えた。平地のスピードも30km/hを割っているが、焦らず走ることを心がける。豆乳をいつ飲もうかと考えている。

周回コースの途中に、うっとりするほど美しい海岸が突如現れる。観光ガイドに載っていた高浜ビーチだ [F]。どういう仕掛けになっているのか、海の色がまるで違う。こんな美しいビーチなのに、誰一人泳いでないとはなんともったいないことか、と思っていたら、そういえばまだ5月だった。
110km付近の高浜ビーチ周辺はアップダウンも激しく、いくつか通るトンネルの中は冷やっと涼しい。ようやく腰の痛みがなくなってシッティングで上れるようになってきた。体が完全に温まり、腰痛の素が消えてくれたのだろう、助かった。これで万全の体制で行けるぞ! と言いたいところであるが、同時に登り坂で少しくたびれてきた。ちょっとバテるのが早すぎる。前半のダンシングが響いてきたか。

周回ルートはやがて先ほどの「3kmの上り」のふもとに合流する。2度目の上りは、まだまだ普通に行けるのでほっとするが、リア19Tではもう上れない。周回遅れの選手を追い越していくが、すでにかなりへたばっているように見える。あと2回行けそうですかと訊ねたくなるが、大きなお世話だ。2周回目に入ると、疲れがかなり表面化してきたので、努めてスローダウンを心がけた。下りでは全くペダルを踏むことを止めた。

3度目の3kmの上りのふもとでレース中2度目のトイレ。スイムスタート直前にも行っているから、この簡易トイレに入るのは今日3回目だ。きっかり2分を要し、気分もリフレッシュして再スタート。ここで僕は後延ばしにされていた午後のくつろぎタイムを実行する。ウエストポーチに携帯してきた豆乳を飲む時間なのだ(ロンパールームか!?)。バイクロングライド練習では休憩時にかならず豆乳(と小豆菓子)を口にしていた。普段通りのことを実行しようというわけだ。そのためには、長くて穏やかなこの上り区間がうってつけという結論に達していた。ストローも難なく刺すことができる。疲れた身体に、アクエリアスに飽きた喉に、豆乳はうめぇっす。いつもの味に浸ると、バイク180kmも射程圏内に収めた気分になってきた。目論見どおり最高の癒しタイムだ。
坂の途中で飲み干した頃、目の前に同部屋のT木さんを捉えた。僕より若くて引き締まった体型をしているので、1周遅れで遇うとは意外だった。彼は大阪出身で、大阪人は会話の中にオチがないと怒りますよ、などと昨晩話題になっていたことを思い出す。追い越し際にひねりのあるセリフを投げかけねばなるまいと、咄嗟に出てきた言葉は、
「豆乳パワー!」
であった(どこにヒネリがあるのか)。T木さん、腰砕けの模様。いかん、逆効果だった。すんません、余計なこと言いました。がっくりスピードが落ちたT木さんを後にして(策略ではありません)、また一人旅はつづく。
一人旅といえば、このコースはアップダウンが激しいためか、少なくとも僕の周りではドラフティング状態がほとんど見られないのは大変喜ばしい。レースディレクター山本光宏さんの意向だろうか。やはりこのくらい厳しいコースでないと、ポリシーの無い日本人はドラフティングをどんどんやらかしてしまう。世界的に見ても、日本人のドラフティング違反の悪評はトップクラスだそうだ。そういえばびわ湖アイアンマンの時もドラフティングにウンザリしてすっかりやる気をなくしたんだっけ。

3回目の坂をクリアすれば、フィニッシュに向けて残り20km。その後も予想外の坂があったが、のんびりと走ってゴールした。サンマルコの薄いサドルも調子よく、ケツの痛みはゼロだったのには驚きだ(ダンシングが多かったせいかな)。180kmを7割ペースで走り通せたことが何より自信へと繋がった。
バイクタイムは6時間16分、目標の6時間10分に迫るいいタイムだ。そこには2つのトランジットタイムも含まれており、バイクだけの実質的なタイムは6時間4分。
バイクを係員に手渡し、ランギアバッグを持ってテントに走る。シューズを履き替え、キャップを被って出かけるだけだ。おっと、痙攣防止薬“Cranp-Stop”を忘れてはいかん。テントでは中高生くらいのボランティアが着替えや荷物の整理を手伝ってくれる。選手の汗や熱気でムンムンなテントの中でずっとこの作業は大変だろう。がんばってくれ!


POLARによるバイクコースの高低図。○数字は3kmの上り区間。獲得高度は1955mにもなった。

PM2:35 ランスタート

さてさて、ここからは全く未知な領域、フルマラソンだ。
前日にバイクで110kmを走った後で参加した掛川マラソンの時をイメージして走る。あの時は、肉離れさえおきなければとても快調で楽なレースだった。
走り初めで、気になる箇所はほぼ見当たらない、万全の体調でスタートできることに感謝だ。唯一、バイクシューズで締め付けられた足の甲が若干痛かったが、しばらくしてすっかり消える。
1km毎の足元に小ぢんまりと距離表示板があるのもなかなか都合がいい。目線を下げて走ることが多いので、高い位置にでっかく表示されていても却って見落としてしまうのだ。ラップをとってみると、5分9秒と出た。いかんいかん、速すぎだ。どう転んだって、そんなペースで走り通せるわけがない。キロ6分を目標にしていたが、あるスピード以下ではパワー温存効果を感じないので、結局キロ5分40秒前後のペースに落ち着いた。
こんなゆっくり走っているのに、潰れるなんてことがあるだろうか?
この分だと4時間10分の目標はもちろん、4時間もひょっとすると切れるんじゃないか? そんな安易な皮算用でわくわくしてきた。もしそんなことができたらゴールでオイラ泣いちゃうよ、と思ったら、早くも目頭が熱くなってきた。コラコラ、予行演習が早すぎるぞ。
エイドは1.5km毎にあり全く不自由しない。気温のことを考えれば、やや多すぎるくらいだ。ただ内容的にはバイクとほとんど差がなく、品数が少ないのが残念。ずっと甘い系の同じものばかり口にしてきたため、食べたいという気がなかなか起きない。ご飯もの(おにぎりやサンドイッチ)があると良いのだが。それとスポンジが欲しい。涼しいからこそ、身体にかける水はコップからではなくスポンジで微調整したいのだ。バイクエイドには無かったコーラを結構飲んだ。
バイクでは追い越すことが多かったが、ランに入るとやはりというべきか、追い越されることが多くなる。ランパート順位がバイクパートのそれを上回るという目標はやはり当初から無理だったか。
10kmほど過ぎた頃。まだ表層化する問題はなく、ペースも安定していたが、あと30km以上このペースで走りつづけることは不可能であると早くも身体で悟り始めていた。4時間を切る可能性はないだろう。現実を見据え始めたか。まあ単純に疲れてきただけなんだろう。

前方に女性ランナーを捉えた。これは珍しいことである。
女性は男性と比べると明らかにバイクが遅いので、トータルタイムが同じ場合、ランは女性の方が速い。つまり、ランで女性とすれ違うとしたら、まず間違いなく追い越されるケースである。それが今、追いついているのである。潰れたようにも見えない。
ロングに出るようなツワモノ女性アスリートは、男勝りで一目でそれとわかるタイプが多いが、ここで逢った女性は色白で筋肉もなさそうなスルッとした脚をして、しとやかに走る珍しいタイプだった。少しの間並走したが、いつのまにか抜かしていた。

ランコースは、簡単に言うと円形コースを2周する。すなわちゴール付近を一度素通りするわけだ。ゴールのある福江市中心部に近づくと、小刻みなアップダウンに悩まされる。アップダウンはここだけじゃないのだけれど、市街地のアップダウンはモトクロスコースみたいなわざとらしい地形なので余計に気になるのだろう。かなりへたばってきたのでここらでトイレでも寄っていくことにした。簡易トイレも本日4回目とくれば、カギを閉める手際のよさが光るってもんだ。
そして振り向いた目の前にはおっとっとォー。
そこにはスンバラシい大物が鎮座していなさった。きっとこれを残していった選手は、しゃがみこんで「すんでのところだった・・・」と呟いたに違いない。
まてよ。その大物の居場所が便器の前方にありすぎて、あまりに不自然だ。こいつは肛門が前向きについているミュータント体型をしているのか? いや、その可能性よりも、逆向きにしゃがんでイタしたのに違いない。つまり、犯人は和式便器を知らないガイコツ人であることが判明。
僕のホットウォーターでもなかなか流れないところを見ると(延々と汚い話でスミマセン)、かなり時間が経っているから相当速い選手とみた。

さて、そこでトイレに寄ったのは、体力的にかなり限界だったからに他ならない(つまり逃避行動か)。その後はキロ6分をキープできなくなってきた。まだ中間地点だというのに。急速に潰れていく自分を感じる。容赦ないアップダウンが精神的にも堪えた。
22km付近(→)では脚を前へ繰り出す力がほとんど残っていなかった。どのくらい残ってないかというと、フルマラソンレースで35キロまで順調だったのに、残り7キロで潰れて、やっとの思いでゴールしたと思いきや、そこからまだあと20km走らなければならないと知った時くらい絶望的に残ってない。

24km過ぎに、ランのスペシャルニーズバッグを受け取るエイドがある。気づかずうっかり通り過ぎて、あわてて出口から入っていった。ここでカーボショッツとVAAM粉末を受け取る。水をもらい、VAAM粉末を溶かし込んで一気に飲み干した。しかし、その一連の作業で歩くことを覚えてしまう。いよいよ決定的にダメだ。宮古やびわ湖の時と同様、ウォークとランのハーフ&ハーフはやはり宿命だったか。
すなわち歩いては走り、走っては歩くの繰り返しだ。昔と違って、レース運びが皆上手くなっているのだろう、僕の前後にはそこまで潰れた選手はあまり見かけない。僕は明らかにレースに失敗したのだ。いや、失敗というよりは、現在の実力では当然の成り行きかもしれない。
トボトボと歩くようなスピードで走っていたら、路肩に応援のオヤジさんを見かける。オヤジさんは僕の名前を叫んで応援してくれる。ごめんよ、もう応援に応える気力もないんだよ。とそこで気づいた、そのオヤジさんは、五島に初めて降り立った時に寄ってきたあのオヤジさんではないか!
応援するよ、と言ってくれていたオヤジさんは、社交辞令ではなくホントに来てくれたのか。オオ、頑張りますよ。やりますよ。でもちょっとだけ歩かせてください。
エイドで補給した後はなかなか走り出せず、しばらくして尽き果てるとまた歩く。時計を見ると、キロ7分半前後をかろうじて維持している。潰れたなりにイーブンペースなんだな、と笑えてきた。
潰れたのはエネルギー補給の面でも何か原因があるだろう。もっとパワーの素になりそうなもの無いかな、と思って初めて食べたのが、五島名物「かんころ餅」だ。これは気にいったぞ。サツマイモが主原料のようだ? そういえば、ランに入ってからというもの、僕を追い越していく奴が決まってプッププップと後塵ならぬ後屁を浴びせていったが、いま原因がわかった。ここでおいらも一発(注:多分コーラのせいです)。

一人の見覚えある女性に抜かれる。前半で追い越したはずのあの女性だった。おそらく、彼女のペースは先ほどと変っていなかっただろう。ゆっくりでも着実に安定して進むことが武器となるのだ、と彼女の背中は訴えていた。
潰れるとピッチも極端に遅くなるのが僕のランの特徴だ。周囲の選手と比べて自分のピッチの遅さは顕著で、倍くらい違うこともザラだ。そんな速さで脚を前へ繰り出すことなんてできっこない、そう思っていたが、今どうしようもなく脚が前へ出ない状況下では、残された可能性として、遠くへ繰り出すよりも速く(その分短く)繰り出すほうが望みがあるんじゃないかと気づき、そして何とか真似してみる。ピッチをあわせるまでには到底至らないが、そのしんどさと引き換えにスピードをすこし上げることができそうだと知った。枯渇状態にある大腿部の筋肉を、余裕ある別の筋肉や心肺が補うべきなのだ。
走れなくなったときは、ピッチをまず上げてみろ! それが今回得た教訓だ。
いや、前々から判っていたことではある。だが、潰れるということは、同時に積極的な思考回路も遮断されてしまい、解決への道を自ら閉ざしたり同じミスを繰り返してしまう。

何がきっかけになるか判らないものである。30kmを過ぎ、その30という数字を目にしたことで、少し前向きになれたかも知れない。ハカマみたいな服を着たヤンキー兄ちゃんと少年達が5,6人ハイタッチを求めてくる。なんだかガラ悪そうだな、おいおい車道を塞いでまで応援しなくていいよ、頼むからさ。と思いつつも手を差し出す。最後にヤンキー兄ちゃんとタッチだ。パシッ。
するとどうだろう? なんだかパワーが漲ってきたぞ。これからは行けそうな気がしてきた。どういうはずみか、サングラスを取り外す。いかなるレースでも、集中力維持のためにサングラスは必需品だった。まだ日は落ちていないし、できるだけかけたままにしておく予定だったが、いざ取り外してみると目の前に境目のない鮮やかな視界が飛び込んできて、中身までもがリフレッシュした気分だ。そこで目覚めたと直感する。
復活したのだ。

32kmのプレートを過ぎる。残り10kmだ。現実的な目標として、なんとなく総合12時間以内を目指していたが、残り時間はもう1時間と3分しかなかった。復活したとは言え歩かなくなっただけのことであり、キロ6分40秒はかかっていたから、その目標は届かないことを悟る。だが、潰れた状態から持ち直しただけでも奇跡的なことだと思った。底なし沼のようにずるずるとペースが落ちていくのが今までのパターンだったからだ。「12時間以内」という単に区切りがいいという以外に意味のない目標よりも、ここからゴールまで走り通すという目標が自分の中で生まれた。

この頃から頻繁に脚が攣りそうになる。気配を感じたら即座にCramp-Stopを取り出した。強烈に脚が攣ってしまったら走り通すという目標などあっけなく崩れてしまう。2年前の佐渡で買い、賞味期限もとっくに過ぎていたのかも知れないが、お陰で痙攣は免れた。思い込み効果も多分にあったかもしれない。

ペースは相変わらず遅いものの、歩かないで済んでいることが自分でも信じられなかった。
とにかく腕を振れ、そう思った。周りからは、スピードは遅いけど元気はある、と見えていたんじゃないかな。腕の筋肉はまだまだ元気だ。朝の一件では寒さで縮こまり失態を尽くした上腕筋どもめ、ここで汚名返上を果たすのだ。
36km付近からずっと並走していた選手を、エイドで置き去りにした。歩かないという目標は、エイドでも例外ではない。洗濯板のようなアップダウンは小刻みなピッチでクリアする。そして40km。12時間まであと10分だ。残りの2kmを10分以内で走るなんて、そんな楽な条件は無いよ。でもそれが今の自分にはデキナイのか! やっぱり情けない。情けないけど満足だ。ゴールまであと600mと書かれた巨大ネオン看板が煌々と光っている。コイツが見たかったんだぜ! いよいよ五島高校の門をくぐると、そこは歓声の渦。おいおい皆オレの帰りを待っていてくれたのか! そう思い込んでしまうほど感動的な花道を、ランパート中最速のスピードで駆け抜けた。どっからそんな力が湧いて出たのか。だったら最初っからもっと飛ばせよ! 自分で言って笑っていた。
ラストは涙ではなく笑顔でゴールした。



ランのキロペースの推移。こうして見ると、さほど潰れたようには見えない。