JCRC最終戦 in フレンドリーパーク下総
2004/12/11
個人TT1周(1.5km)、マスドレースD2クラス10周(15km)

昨年も参加した下総FP最終戦。JCRCの中では初の、「二度目」のレース。つまり前回の結果と対比しながら考察が出来る。例によってタイムトライアル(TT)にも申し込んだ。
落車でVXRSを壊したくないから、Kestrelで出ようと考えていたのだが、スプロケを替えたりDHバーをつけたりするのがめんどくさくって、結局マスドではVXRS、TTではKestrelで出場することになった。TTはマシンも昨年と同じ条件となり比較しやすい。
自宅から下総FPまでは1時間強で到着、7時20分頃だったかな。ろくにアップもできずTTで辛酸を嘗めた反省から、ちょっと早めに到着(ほんとに「ちょっと」だ!)。視界30mほどの濃い霧の中を1周だけ試走し、身体の軽量化や受け付けなどで時間を食う。それでも、3本ローラーに12分くらいは乗れ、暖機運転はギリギリ果たせた。自分の出走時刻10分前にTT用スタート位置へ移動すると、実は出走順序なんて適当ということを知る。なんだ! もっとアップちゃんとやればよかった。
なぜか逆走した昨年と違って、今年はマスドと同じ反時計回り。先ほど試走したから要領は大体分かっている。問題はペース配分だ。たかだか1.5kmと甘く考えていると、後半あっさり脚が売り切れて意外のほかスローダウンしてしまうのだ。昨年がまさにそれだった。

個人TT
しまった、Festinaのヘビー級腕時計したままだ、と気づいたがもう遅い。15秒間隔で選手はスタートして行き、早々に自分の番が来てさしたる緊張もなくスタート。今年は支えナシの普通のスタートだった。クリートは問題なくはまり、ダンシングの後DHポジションに移行し、朝露で濡れた路面にびびりながら8割程度のパワーで走る。スピードメータはついてないので、頑張り具合は不明。下総は小刻みなコーナーが多いため、DHポジションがあまり役立てない。逆周りの昨年はそんな風に思った記憶はないのだが。次からはトライアスロン仕様をわざわざ持ってこなくてもよさそうだ。
セーブしたつもりなのに、マスドのスタート地点手前の坂をギシギシ上っているころは、早くも売り切れ寸前。上りきったところで15秒前の選手をパスする。なんだ、今日は調子いいのか? 濃霧がサングラスにびっしり水滴を作り、視界がほぼゼロになりかけた頃にオートバイのウインカーランプが僅かに見え、ゴールラインを通過。
一人追い抜いたし、かなりいい線行ったのではないか、という手ごたえを感じてフィニッシュしたが、後で確認したら2分19秒余りと、反省しきりの昨年(しかも雨天)と比べて4秒ほどしか縮まってない。ショォーーック(でもないけど)。
POLARを見て驚いた。最大心拍数が170bpm、僅か2分ちょっとの間に、先月の沖縄で出した過去最高タイ記録があっさり出てる。レッドゾーンがやや引き上げられたと言えるだろうか。

平均/最大心拍数 156/170bpm 平均速度(昨年)38.57km/h(37.59km/h)

Dクラス 1.5km×10周

いやー、はっきり言ってレポートになっとらんですよ。断片的に二つ三つ覚えているくらいで、何周目で誰がどうしただの、さっぱり記憶に残っておりゃしません。欠片よりツナギの方が多い姿に復元された縄文式土器のようなレポートであるぞな。
TTを終え、Kestrelはさっさと片付けてTIMEでローラー台に乗る。どうやら、競技進行が30分ほど遅れているらしく、お陰でアップを充分すぎるほどしてしまった。錆びついて騒音を放つ3本ローラーにもだんだん慣れてきた(おいおい)。
わがDクラス、それにEとFは参加人数が多いため2グループ設けられ、時間差をつけてコース内を同居して走る。僕は後発のD2グループである。アップダウンの少ない下総は初心者クラスに人気のコースなのだ。
霧はほぼ消えて、太陽が照り始めた。気象予報通りの、小春日和で穏やかな気温にようやく近づきつつあった。それでもPOLARではレース中13℃とあり、このときはまだ寒かったのだろう。
OクラスとBクラスのフィニッシュシーン。同じ日のレースとは思えない。

10時46分にD2がスタート。
うっかり最後尾からスタートするという昨年のヘマは繰り返すことなく、早速7、8番手前後をキープして走り出す。おやおや、今日は先頭がかなり積極的に飛ばすぞ、と思うよりも先に、半周あたりで早くも一人飛び出した格好になった。後続はなぜ追わなかったのか、追えなかったのかはよく分からない。だがいずれ捕まるだろうと楽観的に考えて落ち着いて走る。
スタートして25秒後には心拍数150bpmに達しその後は安定、アップの効果か息苦しさはない。
飛び出した一人を追う形になったためか、集団のスピードは速く、道幅一杯にみっちり固まっていた昨年とは違い、1列棒状になることが多い。周りに余裕が生まれるので安心して走ることができた。このパターンはありがたい。しかも、集団に走らされているというより自ら走ってるって感じが快感だ。流行っているとは知らなかったが「チョー気持ちいい!」ってとこだろう。
15秒差で一人逃げている状況下だから、スピードがやや落ちてくると「回して回して!」と後続からトップに向けて声がかかる。確かにあまり上手い先頭交代が見られないが、だからと言って5、6番手にいる自分が右から一気に先頭に出る、なんてことはやらないでおこうと決めていた。2度ほど頭をとって走ってみたが、やはり一気に体力を消耗する。でも、このハイスピードな展開は僕としても維持したかった。ゴールスプリントの練習なんぞ一度だってやったことのないおいらにとっては体力勝負が有利と考えたからだ。そんな感じで、終始10番以内のポジションで走った。落車のリスク回避の意味もあった(ただ今回は落車はなかった)。
4周目あたりだったか、一人逃げていた選手が諦めて合流した。スタートしてすぐの逃げは、体ほぐしの為だったのだろうか? 彼は合流後も力尽きることなく余裕で先頭付近に混じって走っていたが、スパート時に横ブレが激しい走りなので時々怖い。集団のスピードは落ち着くどころかむしろ上がっていく。
目の前の2人が強烈な押しくらまんじゅうを始めた。とばっちり気味なのは頭の良さそうな大学生の方。おいおいこんなところでポジション争いしたって何の意味があるんだ? それとも好きもの同士?
5周目の反対側のところでスプリント賞(靴下)が出ると言っていたけど、いつのまにか通り過ぎた。そんなエサがなくともD2は目一杯飛ばしているぞ。
この頃になって初めて後ろを振り返る。結構なハイスピードと思っていたが、集団は千切れずにちゃんとついてきていて、少しガッカリした。速い、と思っているのは僕だけかもしれない。
スタート地点から陸上トラック脇までの区間が、集団が千切れやすいところだった。まずはその直前の上り坂で脚を使いへたばったところで、コーナーがややきついS字カーブで追うことを忘れ、トラック脇の広い道で一気にスピード差をつけられる、というパターンだ。ここで何度か千切れかかり、下ハンでマジになって追う。その後の反対側の下りでなぜか先頭は落ち着き、後続にドドッと追いつかれる。
ひときわ目立って先頭をひく選手がいた。プロジャージを着ていたので僕は所属クラブ無しの人と思っていたが、実はチームアンカーのスペシャルな人が火付け役?として入っていたのだった。レース後までそうとは知らなかった僕は、JCRCのメットカバーをしてないのを見て、「ったく、ちゃんと被らんといかんよ」と見当違いなことを考えていた。
たしかに彼はトップ付近にほとんどいた。一度、トラック横でペースが上がり必死で追いかけている横を、ふたまわり速いスピードで後ろから一気にトップに踊り出た姿を見て、何て余裕ぶっこいた奴だと思ったのだけど、おとりこみ中の思考回路なんてそんなレベル。
だが、その先導役は実のところ、どういう役目だったのだろう? 彼はなぜかJCRCの狙い以上に飛ばしすぎたようだ。1分ほど早くスタートしているD1の最後尾のオートバイに追いついてしまった。移動審判はしきりに、ここより前へ行くなと注意しているのに隙を見て先を行かんと躍起になっているように見える。
そんなわけで8-9周目は頭を押さえられて一気にスローダウンした。集団も徐々に1列棒状から厚みある塊へと変化して、緊張感は倍増。しかもフィニッシュ間近で皆ピリピリしている。
ラスト1周のジャンが鳴り、オートバイは規制解除した。当然のことながら、一気に爆発する。キョエーッ。ここらヘンは、あまりよく覚えてない。4,5番手を維持して走っていたと思う。下りでは力任せでなくスキルでトップを追うことに集中し、ラストスパートに備える。野球のグラウンド脇を過ぎて、そろそろ最後の坂へと突入する。落車も最も発生しやすい、緊張の瞬間である。昨年はココからラストスパートした、というポイントより少し手前で、トップがスパート体勢に入ったのが見えた。僕にとってはそれは早過ぎる位置だったが、選択の余地はなく、合わせてついて行くしかない。脚はあらかた売り切れてじんわりしていたが、その僅かな持ち駒も瞬時に使い切った。もはや普通に勝負しても勝ち目はないが、かといって奥の手があろうはずもなく諦めの心境が渦巻く中で、後悔だけはしない走りをすべきだろうと思いなおし、ダンシング体勢に切り替えて坂を駆け上がる。ギア選択がやや軽すぎたかもしれないがもう遅い。渾身の力を込めてスパートォ!
4位か5位か微妙なあたりにかろうじて食い込んだようだ。ポジションを一つ上げた程度でフィニッシュしただけだが、スプリント力のない僕にとって、最終周にタメを作らず終始ハイスピードで駆け抜ける展開がラッキーな結果を生み出せたのではと思う。
リザルトを見ると4位だった。トップとの差は約0.5秒、アベレージは39.35km/hで、フィニッシュ時のスピードも45km/hまで上がり、昨年より速かったのは上出来。最もスピードが落ちた瞬間は、コントロールのかかった9周目の上り区間で32km/hだった。
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あとでPOLARを確認したところ、驚くべき事実が判明した。
過去の記録に残る僕の最大心拍数は前述したとおり170bpmで、しかもつい最近出したものだ。それまでは久しく167bpm付近が最大と考えていた。ところが、今回遥かに上回る178bpmというとんでもない値がでた。ただしフィニッシュラインを超えて、ペダルを止めたとたんに跳ね上がった記録ではあるが。レース途中にも、6周目で170、8周目で174まで上がっていた。潜在する可能性をたたき起こした結果なのか、それともトレーニングで変化したものなのか。値が示すほどキツかった覚えはないというのも不思議だ。


ラップ毎の最大・最小・平均心拍数と平均速度の推移