第18回ツール・ド・おきなわ2006参戦日誌
2006/11/12
市民レース130kmの部

レース前日
今年も物見山とチバポンズの混成「物ポンズ」隊が羽田に集結。スカイポーターサービスが廃止された今年はドッと輪行組が増えて荷物預かりは混雑している。我々も半数は輪行組だ。手荷物照合札に「じてんしゃ」とモヤシのようなひらがなで記入する「研修中」の地上スタッフのおねいさん。フワワーッとして心ここにあらず。ANAの入社試験は顔パスでしょうか?
一抹の不安を抱きつつも、無事TIMEは沖縄に運ばれた。レンタカーのBOXYとbBに自転車4台、人8人分乗して、まずは滝山さんのつてで地元の食堂へ行く。他のみんなが食べ終えた頃に出てきた「煮付け定食」は、最後だけあって美味かったです。

名護で受付を済ませ、一日早く沖縄入りしていた江國さんにごあいさつ。200km組の滝山さんは調整不足のため残念ながらDNS、今回は普久川ダムで補給のサポートをしてくれるとのことで、ありがたくメダリストボトル1本とSAVASゼリーの補給を預託した。SAVASは会場の出店で買ったものだ。
ついでに出店でSPD-SLの黄色クリートも買う。オーベスト森川さんからご忠告賜り、あのカチャカチャ動き回るユルユル黄色クリートは本来の仕様ではないことが判った。クリートと体カバーを新しくすれば前後方向には動かない。そういえば買ったばかりのころはそんなことはなかった。

我々130km組(ホソヌマさん山本さん)は引き続きレンタカーでホテル「オクマビーチリゾート」に到着。去年のような自走は無し。自転車を組み立て、早速クリートをはめ換えた。ねじ込んでいる途中、パキーンと音がする。やっちまったらしい。ネジ切ってしまった。アホですか!
早速乗ってみると、うむ、確かに遊びは減った。それでいて、赤クリートのときの違和感もない。グッドだ。普久川ダム上り口の与那入口まで試走する。
うんざりなほど風が強い。おきなわ戦にディープリムは必需品と思っているが、唯一の弱点は横風の恐怖である。去年は雨と横風でかなりストレスが溜まった。晴れていればさほど気にならないだろうが、突然スコールがやってこないとも限らない。明日には穏やかになってくれよな、と願う。

例によってオクマの夕食は罪作りだ。美味すぎる。結果として、喰いすぎる。
小湊さんご夫妻と、ファンライド誌編集長の金城さんも交えて、6名で楽しい夕食。金城さんは80kmに挑戦とのことで、いずれ紙面を賑わせるだろう。楽しみだ。部屋に戻って体重計に乗ると、63kg台。この日までに60kgを切りたいと言っていた<誓い>とやらは、どこへ行ってしまったんだろう???
レース当日
ホソヌマさんのスーパーな爆睡サウンドに一晩中悩まされた割にはすっきりした目覚め。朝飯は軽めに済ませ、チェックアウト前に再び体重を量ると、62.4kg。今日はこの仕様で行きます。
風は強いが昨日ほどではなさそうだ。いずれにせよ、晴れていればそんなに問題は無いだろう。案外追い風基調でこれ幸いな場面のほうが多いかもしれない。少しだけ近所を走り回り、体調確認をする。先週までのコッテリした疲労感はほぼ解消された感じだ。

今年から実質17km延長されて130kmとなったこのコース、スタートはオクマからすぐ近くの道の駅で大変便利だ。召集所エリアにはすでに陣取りのための自転車がずらっと置かれている。やや肌寒い中、スタートまでの1時間ほどをもてあます。験担ぎの意味も込めて袖なしポンズジャージを着ているので、なおのこと寒々しい。次回はゴミ袋で作った簡易ウィンドブレーカでも用意すればいいかもしれない。
今年の僕のゼッケンは617番。130km組は600番から始まり、頭10人分ほどは台湾からの招待選手?で占められているので、この番号はかなりキている。銚子の3番に引き続き、番号負けしているのは間違いない。
チャンピョン200kmが通過し、さていよいよスタート間近ということで最後のトイレに行く。
トイレから戻ってくると、なぬー! 僕の自転車だけが召集エリアのど真ん中に転がっている。もう全員スタートラインに移動していたのだった。スタートはゼッケン番号順ということになっているが、いまさら前のほうに移動などできるわけもなく、最後尾にちょこんと着く。そこにポンズ最年少のコジマ君が現れた。腕にはびっしりと関門毎の制限タイムが書かれている。そんな用意周到さを持ちつつ、メーターの時計は10分以上狂っているあたり、同じ血を感じるよ。予定より10分早い8時30分きっかりに、パン!という音と共にあっさりスタートが切られた。

8:30 a.m. 市民130kmの部スタート

その3秒後にまたパン! と鳴る。なんだ? フライング再スタートですか? と思いきや、誰かが早速バーストしたらしい。合掌。運が良いのか悪いのか。ま、5分後の過密集団の中でやらかすよりは良かったよ。
普久川ダム上りまでの5kmの平坦路を怒濤の322名が危なっかしく進む。20秒毎に詰まり気味のどこかで注意喚起の大合唱が起き、事情を知らない沿道の人には、ガラの悪い連中としか見えないかもね。幸い落車は発生せず与那入口まで来た。さて、これからが本当のスタートだ。
新コース130kmのレース展開をどう予想するか、無い知恵絞って考えたシナリオは以下の通り。
・ダム上り1本から2本に増えたことの影響は大きい。レース全体では、更なるスタミナが要求されるだろう。
・だが、まったくのサラ脚で始まる1本目の上りは、持久力よりも脚力・パワーで差がつく。アクセルベタ踏み状態でもトップには着いていけないだろう。
・実力が正規分布に従うとすれば、脚力で抜きん出たトップ集団は少数だ。そのうち半分は後半のスタミナ戦でタレるに違いない。残り半分が、ホントの実力者だ。
・200kmレースを見ていると、1本目のダムでの逃げはたいてい決まらない。10名程度の集団であれば、後続のマス集団に吸収されるだろう。
・つまり、最初の上りで死ぬ気でトップ集団に着けることの意味はあまりない。それよりも、筋肉を不可逆状態まで追い込んでしまうことのリスクは大きいだろう。
・マス集団となる第2集団あたりをターゲットに、負荷を抑えた上りを心がけよう。
さて、結果的に大はずれだった目論見をつらつらと書くことに何の意味があるのか謎だが、正確に言えば展開の読み違いそのものよりも、作戦遂行の仕方がまずかった。
集団やや後方ポジションで上りに入る。ワインディングに入るともはや先頭は見えない。ヘタに釣られるよりそれで良いのだと考えていた。後日Polarを見ると155bpm平均で、途中の緩斜面では150平均で推移しており、去年の平均164bpmから比べると、限界二歩手前といったところか。常に追い越しながら上っていたので、そんなに悪いペースでもないだろうと感じていた。頂上まで来ても周囲に選手は何人か見え、下ったあとも集団が形成されるであろうことを確認する。

Photo by CyclingTime.com

ダムまでの比較的急な下りはコース中最もテクニカルと思われる区間だ。とは言えよほど無茶なスピードでなければ不安は無い。ここで予定外の人を発見する。二度目のダム上りで追いつくよ、と強がりな宣言を突きつけていた小湊さんに早くも追いついてしまった。その硬直した下りフォームは一目で「気持ちは後ろ向き全開です」と訴えているのが見て取れる。うむー、下りの課題はほぼ解消したのではなかったのですか? これではいくら脚力があってもトップ争いには絡めませんよ。
などと人のことを偉そうに評している場合ではなかったのだが、その後の補給ポイント(ただし一巡目は補給なし)でサポートの滝山さんに「あれ? なんかあったの?」と言われる。そんな冷めた嫌味みたいなこと言わんでもいいでしょう? よくあるロードレースの応援とは、「先頭から○分、行け行け! 追いつけるぞ」とか、絶対有り得ないアドバイスをするもんでしょう?
だが、この時点ですでにトップ集団から5分は離されていたらしい。おそらく順位は100位にも入っていなかったと思われる。当初の作戦としては、せめて50位以内を想定していたはずだ。だが、自分のポジションをある程度正しく把握するためには、上り口で離されていく時に先頭を確認しておかなければならなかった。そうすれば、トップ集団が10人程度ではなく現実には40人ほども居たことを少しは予測できたかもしれないのだ。

その後、奥までは長い下り基調。ZIPP404の威力を借りて、先陣を切って気持ちよく進む。ソロの先行者を拾いながら、徐々に集団が形成されてきた。ここからは、トップ集団に追いつけ!の意気込みに切り替えて積極的に飛ばすのだ。無理なこととは露知らず。
軽い上りでチェーンを落とす。停止し追い越されて初めて、集団が25人くらいまでに成長していたことを知る。偶然やってきたニュートラルカーが「大丈夫?」と声をかけてきた。なになに、何の問題もないですよ。「くっそー」とお約束の言葉を吐きつつ追いかける。さほど苦労なく追いついたので、この集団スピードの程が判るというもの。
去年までは最大の鬼門だった奥を8割ペースで超えた。白地に水色とピンクの、昭和時代のチアガールが着ていそうなジャージ(ごめん)の人が先頭をよく引いており、ペースを作っている。あとで調べたら学法石川の高校生?だった。海岸沿いの追い風爆走区間に入っても、彼の引きは活きがいい。僕もたまに引く。うまく回らないので後続に手サインを出すと、また彼だったりする。

この集団のまま二回目のダム上りへと突入。ここは集団のペースで行くつもりなので比較的楽だ。上りでは徐々に暑さを感じてくるので、水をかぶって効率的に冷やすことを心がけた。学法石川が先頭を行くが、どうも力をもてあましている感がある。僕は3、4番手を走っていたが、後続は徐々にリストラされている模様。頂上手前で彼は約20m先行し、僕は無理に追わなかった。Polarによれば去年よりも約2分多くこの上りに費やしており、ヌルいと言わざるを得ない。結局彼はスローダウンし一緒に下る。
1つ目の補給ポイント。スタート時に満タンだった水とメダリストボトル、それにSAVASゼリーは空となり、新たに水ボトルをもらい、滝山さんからメダリストとSAVASゼリーを受け取る。補給は計画どおりだ。Y字路を右へ折れ、5、6人引き連れて思いっきり下る。

安波(あは)からの上りだっただろうか。右ふくらはぎが攣りかけてきた。去年よりも早い時点でのシグナルだ。獲得高度は去年とは違うのだから、それも当然かもしれない。保険のために持ってきていたCramp-Stopを取り出す。今年の五島で買い、オロロンなど大抵のレースで常に持ち運んでいたが、一度も使う機会が無く未開封状態が続いていた。だが今日は明らかに使うことになりそうだ。余裕のある今のうちに包装を剥いておこう。ついでにシュッと一吹きしておく。

80km組の4人がいつのまにか追いついてきた。彼らはトップ集団であり、やんわりと見送る。ところが下りに突入するとノンビリとしているので、活性化するためにも前に出てガンガン引いてみた。優勝狙いの4人にちょっとばかりの手土産になっただろうか。
このZIPPはおきなわでホントに差が出る。一所懸命ペダリングしている選手の隣を、何もせずすーっと追い越してしまうのだ。ホイールバランスを調整したためか、絶対的安定感もプラスされ矢のように下っていく。シマノのカーボンを家に置いてきて正解だったよ。ま、下りの引きは任せてください。
積極的に飛ばしたためか、いつしか学法石川君と二人だけになっていた。彼の流面形の顔と、生真面目に引く姿はどことなく大浜さんのイメージとダブる。上りで並んで走っている途中で、ちょっと世間話などをしてみた。彼は高校生には見えなかった。とにかく強いことは間違いなく、どこまで一緒に行けるだろうか?と考える。
そんな折、緑色ゼッケンの選手が追い越していく。200kmの先頭グループだった。奈良さんも含まれていて、どうやらオーベストの逃げは実現しなかったようだと知る。このトップ集団に混じっている他のクラスは居なかった。彼らのスピードに着いていける位なら、もっと前を走っているはずだろう。
さすがに二人ではスピードが上がらないのか、その後比較的大きな混成集団に飲み込まれた。どうやら80kmがメインの集団という気もするが、200kmや130kmも混じっている。トップ集団でもないので、乗ることにした。だが後の結果を見る限り石川君はこれに乗らなかったようだ。理由は定かではないが、潔しとしないということであれば彼には負けた気がする。
彼がホントに集団に居ないのか、後方に下がってきょろきょろ探していたら、前方で突然落車。ゆるい直線の下りでスピードも出ており、2-3人が巻き込まれ自分の目の前に立ちはだかる。すんでのところで左からかわして事なきを得た。「集中して走れよこのヴォケがあ!」と罵声が飛んだ。ま、ごもっともだけどそんなに怒るなよ。
さて、乗ったからには、130kmがコバンザメでないことを証明すればいいのだ。ということでちょくちょく前へ出る。引くというよりペースを乱していただけかもしれない。海岸沿いの平坦路ではどういうわけか一気にスピードが落ちたので、「どうした?何か溜めなきゃならない理由でもあるのか?」と訝しく思いつつも一気に前へ。逆放置プレイされただけだった。

燃焼し尽くして一人で走っている130kmの選手は、2回目のダム上りあたりからチラホラ見かけていたが、ますます増えてきた気がする。もう何十人目だろうか、前方にいる集団はかなりスリム化しているに違いない、との期待もある反面、ゼッケンの若い方(630番以内)は一人として見当たらず、今回の作戦は失敗との見方がますます濃くなっている。「なぜこんなトコにいるの?」と突然声をかけられて、振り向くと内房RCの瀬田さんだった。瀬田さんというと日野ジャージのイメージだった僕は気づかず失礼しました。
二つ目の給水ポイントが近づいてきた。ボトルはまだ足りていたので用はないのだが、あたりはラインが入り乱れ混沌としてきた。実はちょうどそのあたりで200kmの大きな集団が追いついてきたのだった。その中に大浜さんが居た。オオッ! 200kmを先頭から見てきている僕には大浜さんのポジションが判る。これはなかなかいい位置ではないですかい? ほぼ純血集団だったので乗るのは控えたが、一瞬だけ大浜さんに一声かけたくて前に出た。そのままの勢いで下りを飛ばし、最後の難関、源河への坂へと突入する。
200km集団に飲み込まれ、やがてじわじわ離されつつ、ラストのハイライトを無理のないペースで上っていると、IBEXと書かれたジャージが見えてきた。ややっ! Eibinさんではないですか。去年はずっと同じ集団でお世話になっていたが、今年は全くペースが合わず、こんなところでの再会はお互い不本意である。辛い思い出しかないこの坂を去年と同じタイムであっけなく越え、そのあとの下りで本日最高の75.2km/hをマーク。
下りでEibinさんが追いついてきて、残る平坦路15kmは二人で始まることになった。燃え尽きていたかに見えたEibinさんだが、粘りを見せている。ここからガチンコ勝負ですか。

去年はこの平坦路で致命的なほど攣ってしまい、思うように走れなかった。その教訓を受けてCramp-Stopを攣る度にシュッと一吹きして何とか乗り越えている。これで遮るものはなくなった。ゴールまで全力で行くべし。ためらうことはなにもない。
ソロ走りに長けた前方の外人選手一人に追いつき、3人で行く。と思っていたらいつしか後ろに細長ーく15人程引き連れていた。だが、先頭を明け渡したとたんにスローダウン? 気がつけばあの外人選手が一人抜け出しているのが見える。誰だ、中切れを起こしてほったらかしにしたのは? 集団を一気に抜け出して空気DHポジションで一人外人選手を追う。我ながら積極的である。Eibinさんもついてきた。少数に絞られた集団は、追い風に乗って飛ばす。平地で30km/h台は一度として出なかったはずだ(あいにくPolarは速度計測エラー)。
そこには、Eibinさん以外に競える130km組がもはや居なかった。前方からタレた選手が降ってくるか、集団にかろうじてくっついている程度だ。なので、ゴールスプリントに向けて気をもむ必要もなくなり、限界まで思う存分飛ばすことができたのだ。80kmは比較的活きがよく、順位も上のほうだろうから、彼らを引くつもりでガシガシ行った。途中でEibinさんが「僕はここまでです、あとでまた会いましょう」と離脱宣言が出る。ダメですよ、それを言っちゃあ。「頑張りましょう!」と強く返したが、自分に言ったような気になってきた。
そこに沿道から突然女性二人のまさに黄色い声援が飛んできた。日野のYochikoさんとFitteのあやさん(後にご挨拶)だった。なんて絶妙なタイミングだろう、願ってもない声援に、最後のアドレナリンが充填された。「残り4km」の看板を目にしてからは、よっしゃ4kmを一人でも爆走してやる、と意味もなく燃える。前方500mには今まで見えなかった大集団がうごめいていた。大浜さんの集団だろうか? 無理でも追いつくつもりで飛ばす。一旦は80km組4人に先頭を明け渡すが、ラスト1kmで牽制が入ったので左から一気に再び前へ。自分としてはスパートを開始したつもり。まあせいぜい有効活用してください。コーナーを曲がり、最後の200mで下ハンダンシングしたけど、太腿には何のエネルギーも残っておらず形だけ。当然ながら全員に捲くられてゴール。今日最高の165bpmはこの瞬間で出た。

Photo by CyclingTime.com

計算するとこの平坦区間を平均41km/h以上(去年は34.7km/h)、150bpm(同143bpm)で走っており、自分にとって最もどうでもいい区間で最も頑張ってしまった。この区間を有意義に走る、というのは去年から思っていたことだったので、それだけでも達成できたことは価値があった。

終りよければ全て良し?そんな充実感に浸りながらゴールしてみると、予想以上に130kmの選手がウロウロしていた。蓋を開けてみれば、そこには66人もの130km組が居たのだ。正直なところ、もう少し自分の順位は良いだろうと高をくくっていた。去年よりはずっと頑張れた気がしていたからだ。だが、前述したとおり、第1集団はおよそ40人、第2集団もかなりいたらしく山本さんはそこに含まれていたようだ。最初に僕が混じっていた集団は、大きく遅れた第3集団ということになるようだ。
そうだ、山本さんを最初から見失っていたのは大失策だった。レース経験豊富な山本さんは、僕のようなつまらないミスを犯さない。あれこれ下らない作戦を立てるより、シンプルに山本さんをマークすることが早道だったのだ。その結果オーバーペースで潰れていた可能性も否定できないが、悔いのないレースにはなっただろうと思う。
3:54:33 67位(トップから0:12:26遅れ) 平均/最大心拍数141/165bpm 平均速度33.25km/h
獲得高度2060m 23℃ 中風 2802kcal


道中の補給がバッチリ上手くいったお陰か、全然腹も減らずビールだけ飲む。過去最高の4位という順位に悔しがる人、高江の関門から自走で帰ってきたという人、ダンナがガッツポーズでゴールを決めていたころ、野良猫と遊んでいたという奥さん、それぞれに色んなドラマがあって話は尽きない。
会場内で見覚えのない人に声をかけられた。このサイトを見てくれているというアイアンマンアスリートだった。こんなサイトもたまには役に立つもんだ。初おきなわで200kmにエントリーし、完走を果たしたとのことで、正直驚いた。後で調べたら五島で僕より断然速い人。やはり僕にはまだ200kmは無理だ。
夜は恒例の打ち上げ。例年よりもこぢんまりと30数名が集い、楽しく夜は更けた。

レース翌日
美ら海水族館に行く。みんな一度とならず行ったことのある人ばかりなので、一生行くことはないかも、と思っていたらあっさり2年目で実現。ギネス認定の巨大アクリル板とその向こうのジンベイザメに驚く。
座布団と見紛うヒトデがかわいかった。
去年と同じ国際通りの市場で島ラッキョウを買う。事前にタッパーウェアを調達し忘れたので、今回もクサーイ匂いを飛行機に持ち込んで、前席のヘビメタ野郎がきょろきょろ臭がっている。そんなこと気にするガラじゃねーだろー???
後日、タッパーウェアでも匂いは全く封じ込められないことがわかった・・・。
何でも貫通する島ラッキョウ恐るべし。
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来年のこの季節は、ハワイのチャンピョンシップに参戦する計画になっており、近々切れるパスポートも更新したばかりであるが、人様のハワイ参戦レポートを見る限りでは、どうも食指が動かないというか、本音は憂鬱である。やはりハワイは蹴って、来年もおきなわ1本に絞ろうかな(言ってろ、ですか)。