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第17回ツール・ド・おきなわ 2005 参戦日誌
2005/11/13 市民レース120kmの部 レース前日 チバポンズメンバー5名+関係者2名が25℃の那覇空港に降り立った。さほど気温のギャップを感じないのは、関東が最近までかなり暖かかったせいだろう。空港内通路で佐渡のTシャツを着たオーベスト森川さんを見かけ、「今日はトライアスロン大会じゃないですからぁ!」と思わず突っ込む。そんな浮かれポンチな僕とは対照的に、初おきなわで初の200kmに挑む森川さんは静かに燃えているようだった。 ![]() だがそれより何より、1週間ぶりのまっサラな脚は動きたくてしょうがないだろうとの期待を見事に裏切り、今日の雲よりもどんよりと重いペダリングにかなり幻滅する。こんなんで、大丈夫か!? 名護で受付を済ませ、寄り道せずホテルのオクマまでやはり30kmの道程。自走は自分で選んだ道だったが、なんだかすごくつまらなく、背中の荷物がやけに重く感じられ、アー早く着かないかなーと妙に苦しい30kmであった。すっかり腰が痛くなっちまった。この腰痛が明日の伏線となってしまったのかもしれない。自走して唯一プラスだったのは、さっきまでの微熱が吹っ飛んでいたことだ。かなり精神的要因のものかもしれない。 合計走行距離61km 消費カロリー1026kcal ↑450m 平均速度23.5km/h オクマリゾートホテルでは、サキムラさんご夫妻とディナーをご一緒する予定だったが、サキムラさんの自転車のITMステムに致命的トラブル発覚、部品調達に東奔西走中で飯どころではなくなった。それではお先に、と山本さんと二人で席につくと、隣席は奇遇にも元会社のK湊先輩ご夫妻。明日の目標などを確認しあう。そこで初めて、参加者が300人にまで膨れ上がっていることを知った。 まあ、トライアスロンだと300人なんてたかが知れているのだが、ロードの300人となるととんでもない数である。先月のアート杯も60人程だったわけだし。 ![]() クリーミィさが絶品の杏仁豆腐を別腹に突っ込み、すっかりデブデブ状態。コテージタイプの部屋は山本さんとの贅沢な二人部屋だ。TVで知床半島の大自然をボーっと眺めつつ、9時半頃消灯。 夜中に暑さでうなされ何度か起きる。山本さんも、眠りが浅い模様。 レース当日 5時起床して早速朝飯へ。スタートは9時過ぎなのでそんなに早く食べることも無いかと思ったが、レストランは人で溢れ返っていた。普通に食欲はあり、去年ほど緊張していない感じだ。トライアスロンの時の重圧感はまるでない。今日は自転車だけだけんね、という理屈なのか。バナナを1本貰って帰る。 自転車を搬送トラックに載せる前に、感じの良さそうな人を見つけて空気入れを拝借する。使い込まれた鉄製の重い空気入れにそのお人柄を感じた。短い会話の中に、去年DNFだったことなどを話すと、それならきっと今年は大丈夫ですよと言ってくれた。550番という若いゼッケンの人(=過去に実績のある人)に励まされ、少し勇気付けられた気がした。 スタート地点の普久川(フンカワ)ダム行きのバスに乗ろうとしていたそのとき、突然大粒の雨が降ってきた。みんな慌ててバスに乗り込む。今日は降水確率10%と言っていたのに、なんじゃこの雨は! でも数分で止んで、やれやれといったところで、スタートに向けてバスが走り出した。 レースのハイライトであるダムへの350mの上り坂をバスが走る。Polarで標高をチェックし、大体の中間地点などを確認しておいた。自走組も僅かながら見受けられる。去年は自分も自走する気でいたが、今年はまったく考えられない。おきなわのコースの場合、アップなしの苦しさよりも筋肉はひたすらフレッシュに、という考えに変わってきたのだ。 普久川ダムから眺める空はかなり厚い雲で覆われていた。くどいようだがホントに降水確率10%か? まあでも去年みたいに暑いのは避けられそうで、悪くはないだろう。それでも、念をいれてボトルは2本用意し、1本は水を、もう1本はメダリスト粉末を溶かしいれた。おいらが「念を入れる」なんて珍しいねー。よっぽど去年の暑さが堪えたんだねーオホホホ。 チーム錬もそこそこにポンズジャージなんか着て、ちょっと照れ臭いが、同時に安堵感もある。練習用ジャージを着て出た去年は居場所を失われたみたいで何かと落ち着かなかった。 3度ほど軽量化し、やがてスタート位置近くへ並び始める。ゼッケンが若くないので、多少は遠慮してやや後方寄りに身を潜めた。やがて、すでに80kmを走ってきたチャンピョンの部のトップがやってきた。いつもながら、この急な上り坂で世界レベルの走りを見ると鳥肌が立つね。 そのタイミングに合わせてジュニア国際の部がスタートを切り、トコロテン式に我々市民の部がスタート位置の公道上へドヤドヤと入り込んだ。定員200人をはるかにオーバーする300人がスタートを迎え、いつに無く道幅一杯に選手が並び、とてもじゃないがゴチャゴチャして、今スタートって言われても無理だぞ、と誰もが不満顔。そうこうしているうちにスタートのタイミングを逃したらしく、チャンピョンの部がかなりバラけていたことや、またその直後の市民200kmがやや高速だったこともあり、異例の事態が起きた。市民200kmのトップがもうすぐそこまで迫ってきたので、通過するまでスタートできなくなったのだ(通例では、市民200kmが到達する前にスタートを切る)。道幅一杯に広がっていた120km組が、慌てて左側1車線分を開けて200kmの通過を待つ。ひっきりなしに「ちゃんと指示を出せよ!」とか「危なくてやってらんねーぞ」などと様々な罵声が飛び交っている。道幅わずか3mほどの狭い間を、無事200kmの大集団が通過した(きっと「何だこいつら?」と思ったに違いない)が、千切れ組が絶え間なくやってくるため、なかなかスタートが切れない。そんななか、「スタート30秒前です」と突然アナウンスがあり、「こんなんでスタートさせんなよ!無理だよ無理だって!」と至る所でブーイングが発せられたが、容赦なくパン! とピストルは鳴り、なし崩し的にスタート。 僕はというと、結構面白がっていたんであります。 沖縄の県民性と言おうか、良くも悪くもいい加減というか適当さが如実に現れる場面であった。まあ、結果的に問題は起きなかったが、スタート時刻が20分ほど遅れたことにより、無情にも足切りも20分早まるシステムであることは、その時の僕は知らなかった。 9:34 a.m. 市民120kmの部スタート 「ラインそのままそのままぁ!」「左に膨れるな!」との叫びを聞きながら、ジェントルに集団は進み始めた。去年はスタート直後のわずかな上りで、脚が一度売り切れた覚えがあるが、今年もやはり似たようなものだった。筋肉があっという間に窒息状態となり、もう少しでヤバイというところで頂上がきて、一気に下りへと突入する。まあ、アップなしなんだからこんなもんだろう。毎日の通勤でも、八丁堀駅の地下ホームから地上へ上がるまでの階段でフトモモが売り切れるのと同じだ。エスカレータを段飛ばしで上っていく平凡な中年サラリーマンから容易に千切れてしまうのはなぜだろう? 下りは去年ほどハイスピードではなく、比較的おだやかなため、集団後方寄りだったが中切れも無くひとまず安心だ。すぐに集団内にこたやんさん@リマサンズを発見。今年は前述の事情により、200kmの人たちがポツポツと序盤から混じっている。様々なレベルが入り混じった300人の大集団の下りで、安定した走りのこたやんさんのおケツを借りることはとてもメリットがあった。 前方に山本さんが見えながら、なかなか前に出られなかったが、奥(オク)の手前の上りに差し掛かったころに追いつき、次第に集団の整理が始まった。さて、前回はここで切れたのだが、比較的ゆっくりの今年は何とかついていける。このペースなら去年の自分でもなんとかなったのかもしれない、と少し悔しく思う。 奥の上りに入り黙々と上っていると、突如後輪に僅かな負荷を感じると同時に「あああ〜っ」と切ない声が聞こえ、その3秒後にどんがらがっしゃーん、とぶっ倒れなすった。「落車ぁ!」の声が響きわたり、一瞬にして僕の背後は空白となる。 なんと、落車のきっかけを作ってしまったのだった。覚えている事を正直に記せば、15cmほど右にそれたタイミングと確かに一致しているので僕が最後の引き金を引いたのは間違いない。だがそれは先行者に追従した僅かな動きであり、斜行と呼べるようなレベルではないはず。大変申し訳ないけど見捨てて続行。他に選択肢もないが。 とはいえ気分は良くないのは確か。上り途中だったのでおそらく巻き添いを食らったのも2,3人程度だと思うが、その後の奥をどんな感じでクリアしたのか記憶に無いほどああだこうだと悩んでしまった。実際はここで年に数度しか出ない170bpmを記録している。 ![]() [スタート→32km] 普久川ダム下り、奥手前と奥、辺戸岬 スピードの出る下りに入ってからだったか、その前からか記憶が定かでないが、大粒の雨が降ってきた。やがて土砂降りとなり、一気に視界が低下。慎重に下る。 なんだこの雨は。完全に想定外だ。多少ぱらつくことはあるだろうと思っていたが、これはマジスコールだ。下りきってトンネルへと差し掛かる。2年前の豪雨の悪夢が記憶に新しい人が多いのだろう、「トンネルだぞ! 慎重に行けよ!」と叫ぶ声がする。聞いたところでは、トンネル内の舗装は通常では考えられないほどの路面μで、「ミドリ安全」のCMのように「ありえねー」って言うくらい滑るらしいのだ。おまけにかなり暗い。全身硬直状態でトンネルを通過。だが、出た途端にさらに激しい雨が打ちつける。たまんねー! ここは普段なら追い風に乗って高速列車が形成されるところ。部分的に冠水するほどのザブザブの中を慎重に集団で走っていると、前方に80km集団が見えた。スタートしたばかりの彼らは、推定300人の巨大集団である。それが徐々に迫ってきた。長く伸びた大迫力の集団を右側レーンから追い越しにかかる。80kmの選手は概ね左側寄りを走ってくれているが、とにかく人数が多いため右側の空いたスペースは2列分ほどしかない。そこを微妙な速度差で、視界不良の中を追い越さなければならないのはストレスが大きかった。だが、この混雑に紛れてトップが逃げてしまわないよう、周りはみな考えていたに違いない。豪雨にもかかわらず平均43km/hで右側車線をひた走った。 先ほどから山本さんが見えない。もしかすると、奥での落車に巻き込まれたのだろうか。意図的に僕の後ろについていたとすれば可能性も高い。ひょっとして、ハスったのは山本さん張本人? あの悲痛な声の主はまさか? 悪夢のシナリオを組み立てていたところで、ふと見ると真後ろに山本さんがついていた。良かった! ほっと一安心。 80kmの大集団と並走したまま、普久川ダムへの上り口へとやってきた。「左へ曲がるぞー! もう一回曲がるぞー気をつけろ!」と後ろの山本さんから大きな声がかかる。ガッテンですぜ。2段階目の左折点は完全に冠水しており、情けないことにビビって大回りしてしまう。とにかく、おきなわの道路は油断ならないのだ。 序盤は3-4%程度の緩い傾斜で、28km/h前後で上る。雨だろうとペースが弱まることはない。やがて傾斜がきつくなり、スピードも16km/h前後に落ちたあたりで、本日最高の173bpmを記録した。正直言って、この時点で目標はすでになくなっていた。120kmのトップはまだ見えているが、このペースで最後までついていけるとも思えなかったし、まだ後半にたっぷり坂が残っている状況で力を使い果たしてはいけないことを去年痛感していたから、自然とマイペースに切り替えることになった。 そうは言っても、173bpmが限界でなくてなんだというのか。 バスで覚えていたはずの上り中間地点はどこだかサッパリ分からず、Polarの標高を見てチェック。200mほど上ったあたりから山本さんを見かけなくなり、同時に80kmの大集団もあらかた抜いて、周りはポツポツと居るだけになってきた。もはやトップ集団は見えない。 まだ1滴も飲んでいない水だけのボトルの蓋を外して全部捨てる。上りに差し掛かる前に考えておくべきことだった。佐渡の小木の上りではいつもそうするじゃないか。 普久川ダム上り区間 7.5km 平均傾斜4.4% 平均22km/h 約20分半 ![]() [32km→59km] 平坦路から、与那、普久川ダム、安波 下りに入ると、路面μ未知数のためスピードとコーナリングがかなり怖い。雨天時のカーボンリム&コルクシューはブレーキの効きのレスポンスが遅く、徐々に制動力が増していく感じで微妙なコントロールが難しい。さらにこのZIPP、後輪が一部ぶっ壊れている。要するに抑えが効かないのでお先に失礼、って感じで一か八か右レーンから選手をポツポツ追い越していく。早速コーナー途中で自爆している選手も居たりして、怖さ100倍である。全身硬直状態が長く続き、腰が痛くなってきた。ダム湖過ぎの1stエイドでアクエリアスを1本貰い、まだ半分ほど残っているメダリスト入りボトルはそのまま携帯することにした。 ダムからの長い下りも恐怖との戦いだった。コーナーは緩いので、こんな雨でも最高70km/hを記録している。下りきった時には腰痛が激化しており、戦意はかなり喪失していた。このサバイバルな状況をいかに切り抜けるかということで気持ちは一杯なのだ。脚のエネルギー残量から見て、完走の目処がおぼろげながら立ってきたため、目の前の目標を失ってしまったとも言える。 幸い、徐々に集団が形成され、15人前後まで大きくなった。メンバーは80、120、200kmと均等にごちゃ混ぜで、200km組がやや遠慮がちな走りであるものの、どの組の脚も大体揃った奇妙な集団だった。滝のような雨はひとまず落ち着き、視界不良の問題も解消された。だが、島の東側では時折横からの突風が吹いてフロントのディープリムが揺さぶられるという新たな試練が生まれた。それでも、晴れていればほとんど問題ないレベルなのだが、この雨では風にあおられるだけでスリップしそうな感じだ。特にラインをキープする集団走行ではかなり厳しい状況が続いた。安全確保のため急遽先頭に出て走ったり、ローテーション途中でも前方を開けて走らなければならないこともしばしば。後続は、中切れするのではと気が気でなかったかもしれない。 集団のペースはレース前半の勢いと比べると平和だった。このスピードでは後続に追いつかれてしまうのでは、と思うこともあったが、先頭交代で自分が引く番になると、実はかなり辛いことを思い知らされる。無理せずこの集団についていくことが身のためだと徐々に悟るようになった。 ほかの人もあまり力が残っていないのか、先頭交代も効率的とはいえなかった。機関車役として印象に残っているのはIBEXジャージの人で、結構長々と引きっぱなしのこともある。後にeibinさんと分かったその人は、「前を追わなければ意味がないじゃないか」とゴール後熱く語ってくれた。激しく同意なのだが、その時の僕は脚のエネルギー問題よりも、もっぱら腰痛悪化による戦意喪失が大きく、モチベーションを欠いていた。ただなんとなく着いて走っているだけだ。唯一上り坂では、腰への負担が少ないためか前に出ることが多かったように記憶している。 まだ雨は降りしきっていたので、佐渡の時のように下りを利用して軽量化を密かに行う。雨もたまには役に立つ。 途中の平坦路で名前を呼ばれた。えっ? と思って振り返ると200km組の戸田監督@日野自動車。咄嗟のことで、「あははぁ〜」と訳の分からん声で返事した。「一緒に行きましょう!」とか、多少でも気の利いた一言が返せないのが悲しいところ。 微かな空腹感はしばらく前から抱えていたが、ロードレースではなぜか補給が億劫になる。それはよくないと、意を決してバナナをこのへんで食べる。痙攣の予兆のように筋張っていた脚がしゃきっとしてきた。気をよくして、パワージェルを食べようと封を切って口にくわえると、3秒後に落としてしまった! なんたること! 数少ないエネルギー源を素人同然のミスで失ってしまった。もう一つくわえ、今度は慎重に全部食べる。固形燃料はこれで終了。 ![]() [59km→88km] 高江、平良 慶佐次(ゲサシ)のエイドがやってきた。去年は脱水症状のため待ちに待ったエイドだったが、今年はアクエリアスを1本貰うのみ。手渡す人が「ポカリ!」と言っていたのが可笑しかった。僕も良く間違えるけど、今時、ポカリは無いでしょう? しばらくして上りに差し掛かる。なんだか今までよりちょいとキツイこの上りは、結構距離もありそうだ。そこでふと疑問が湧く。これってひょっとして源河(ゲンカ)の峠? 2ndエイドからこんなに近かったかな? でももし源河だとしたら、これは正念場である。もしそうでなかったら、あまり頑張りすぎてはいけない、云々。ハテ、困ったぞ。 そこで、隣を走っていた200kmの人に「これっていわゆる源河ですか?」などとアホなことを訊ねる。「そうですよ! これさえクリアすればあとは平らです」の返事に思わず嬉しさがこみ上げた。よっしゃがんばるでー。脚はかなり使い果たしていたが、去年のヘロヘロののぼりと比べたら雲泥の差だ。6-7%の坂を平均15km/hで上ることができた。雨も止んでいたので、本日初めて暑さが厳しく感じられ、貰ったアクエリアスを頭からかけて冷やす。毎度恒例の、「あと残り○○mだよ!」と大嘘をつくオバちゃんの声も耳に届かない。集団先頭は先に行ってしまったが、自分なりにベストを尽くせばそれで満足、との気持ちで黙々と上る。思ったより早く頂上は訪れた。ここから「名護市」の看板を確認して、ホントに源河だったんだ!と実感した。下りはやっと安心して飛ばすことができ(とは言っても一切ペダルは踏んでない)、源河の関門まで来た頃には先行していた集団トップにも追いついた。ここで赤旗を振られた去年の屈辱を、今日は気分よく駆け抜ける! やったぞ。完走はこれで約束された。 後続も少し追いついて、また7,8人くらいの集団になる。さてここからは未知の領域。僅かなパワーでの高速巡航には少々自信がある。先頭交代に加わって引き始めた。 ところが源河の上りが相当効いたようで、両足ふくらはぎが強烈につり始めた。やばーい。後続に交代を促すと、「一杯です!」と言われてしまった。「僕も両足攣ってしまいました!」と弱点をさらしつつ下がる。だが、前を引けるのは4,5人で、後続の半分はツキイチ決定の様子。しばらく温存して痙攣がおさまったところで、また前に出て強烈に攣る。その繰り返しだ。いつまでこのヤバイ状況が続くのか・・・体力は残っているのに、思いっきり走れないのが歯がゆい。少しでも痙攣対策にと、ボトルに残っていた薄めのアクエリアスをきっちり飲み干した。平和な走りで痙攣がおさまることを祈る。マルちゃんのトレードマーク入りジャージの骨太な選手が積極的に引く。 ぽつぽつとソロの人も吸収するなどして、最後は15人くらいの結構まとまった集団になってきた。チャンピョンの部8人ほどが固まって走っているのも見えた。あれはクールダウン? 残すはゴールスプリントのみだ。まあ、意味ないって言えば意味ないけど、いいじゃん、そのままゴールするよりは。 ![]() [88km→ゴール] 慶佐次、源河三段坂、名護の平坦路 ゴールまであと1kmを切ったあたりで集団が最も遅くなる。なんだなんだ? みんなそんなに溜めてどうするつもりなのか? 最低25km/hまで落ちて、異常事態である。緩やかな左カーブを過ぎて、あとは直線をまっすぐ行くのみ、というところまで来ても動きは無い。残り500mの看板を過ぎて、さすがにもう行っても良いだろう? と思ったそのとき、右端からジュニア国際が一人抜け出した。集団内でジュニアは彼ひとりだから、一番意味ないんだけど、それに反応したのが二人ほど。目の前のマルちゃんマークも抜け出し、当然後を追う。先着しているはずの奈良さんの目の前で、シケた走りはナランメーと思い、とにかくフルもがきしてスプリントォ〜と攣りそうな足に鞭を打つ。(確か)ジュニアは垂れて、意外と後続は誰も巻き返さず、マルちゃんマークは敵わず、というか、積極的に引いた彼を刺すことなど考えられなかったが、集団内3位くらいでフィニッシュ。最高52km/h止まりだったけど、いやー、気分良かった。 ![]() 山本さんも程なくしてフィニッシュ、僕の一つ後ろくらいの集団に居たみたい。後半でチームプレーもどきが果たせなかったのは思い返せば悔いが残った。そういえば僕はアシストとしての立場をこれっぽっちも意識してなかったのだ。 前述のとおりスタートが大幅に遅れた80kmと120km組の足切り基準はかなり厳しくなった。源河でDNFがどっと溢れかえったらしい。同チームのサキムラさん、カイシャのK湊さん、まさかのDNF。源河の関門は警察の厳しい管轄により、情状酌量の余地が無かったようだ。が、それにしても、K湊さんは先月あたりから唯一のライバルとしていたので、僕としては寂しい〜ですよ。 奈良さんは市民200kmで5位入賞を果たし、同じチームとして僕は何もしてないけど誇らしい。いつかは、ちゃんとしたアシスト役としてDNF覚悟で走るというシナリオも、ロードレースならではで面白そうだと思った次第。そんな脚力をつけられる日は来るのだろうか。そんなややこしいことするより、奈良さんがさらに力をつけて単独で優勝を狙う方がはるかに近道だろう。 21位(完走92人) 3:17:16 平均/最大速度 34.4/71.5km/h 平均/最大心拍数145/173bpm 獲得高度1485m 消費カロリー2505kcal 24℃ 曇り一時豪雨 ![]() 夕方5時からは某所で打ち上げ。50名近く集まり大盛況だった。ブラームスの橋川さんも大ノリで、こういう人だったのか、と初めて知る。多くは知らない人ばかりなのに、こんなに楽しい宴はホントに久しぶりだった(比べるべくも無いが、カイシャの飲み会とは大違いだ)。食事も美味くて、がめつい僕はたくさん食べた。あまりに大声で叫びすぎて、その後二日間はのどが枯れたままだった。 レース翌日 名護まで自走の予定だったが、チームで借りていたレンタカーのトランクにVXRSがすっぽり入ることが判明し、初日の退屈さが身にしみていたのも手伝って自走中止、みんなと観光決定。今帰仁(ナキジン)村にある世界遺産の城跡を見に行った。昨日とは打って変わって穏やかな気候で、おおしまぜみの泣き声とともに、癒されるひととき。 那覇に戻り、国際通りの市場へと足を運ぶ。地元の魚をさばいてもらっての昼食である。このお店は毎度お決まりのコースみたいで、リマサンズ大所帯軍団が先着していた。目一杯食べて大満足。ご馳走様でした。 市場で島らっきょうの漬物を買う。これが強烈に臭くて辟易した。大きな声では言えないが、雨のレースでぐっしょり濡れた翌日の生乾き状態のバイクシューズと同じ匂いだ。まさにそのシューズがデイバッグに入っていたのだが、その100倍臭い。ビニール袋で何重に包装してもシャットアウト不可。空港でも機内でもどこでも匂っている。思わず、「これはバイクシューズが匂っているのではありませんから!」と周囲に言いたくなるほどだ。説得力ないけど。 家で食った島らっきょうはとても美味かった。でもこれってらっきょうと言うよりエシャロットだと思うが。今度おきなわへ行くときは、まず高性能なタッパーウェアを現地調達しよう。100円ショップのでは、多分ダメだ。 |
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