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レース後

ゴール地点ではPrince-SLの彼と出合った。高江の関門でとっ捕まったらしい。痙攣で自転車から降りて数分間休んだと言っていた。なんかやっぱ、無茶な人です。
沖縄はやはり肉の国? ゴール後はステーキをはじめ、長時間煮込まれてトロトロにとけそうな鳥や豚のスープ、子豚の丸焼きなど豪快だ。風邪はレースですっかり吹っ飛んだ気がして、気分は清々しかった。でも残念なことにあまり食欲がなかった。食べ物はたくさんあり、ビールも飲み放題だったのに、悔しすぎる。今度はもっと腹を空かせて参加しよう。

このレースでは唯一の知り合いであるポンズ山本さんと、それに会社関係の人とはゴール後少し話をしたが、うろうろしていたらその後会えなくなってしまった。独りで参加する者の寂しいところ。パーティも終わり、用のない荷物を選り分けて宅配便で家へ送りつけたあと、会場から10kmも離れたホテルへ自転車で向かうと、フロントで意外な人からのメッセージを受け取った。五島アイアンマンで知り合った北海道のHさんがツールに参加していて、連絡をくれていたのだ。女性で本島1周330kmツーリング二日間を完走したタフな人。無理やり呑みに誘ってすみませんでした。


ホテルサンコーストでは、自転車を中に入れていいと言ってくれた。

11月15日(月)
翌日は20:10那覇発の飛行機で帰る予定なので超ヒマである。身体もそこそこ問題ないので、予定通り名護から那覇まで自転車で移動することにした。交通量が多いと聞いていたR58を避けて、遠回りな島の南側ルートを走る。月曜なのでトラックも多いが、田舎道ではクルマも少なく快適だ。唯一、ケツの痛さに顔を歪める。100km程度乗っただけで、翌日飛び上がるほどケツが痛くなるなんて、どれほど自転車に乗ってないかが計り知れる。やはり完走する資格ナシだなと思う。
最短で走れば70kmの道程を、かなりのんびりと休み休み、くねくね蛇行して走ったにもかかわらず、午後4時頃には那覇市内に入ってしまう。市内は車の量が激しくて道も悪く、おまけにいたるところアップダウンだらけでとてもじゃないが乗ってられない。それでも、仕方ないから観光地っぽいところでも行ってみるべぇと、苦労して首里城跡へ向かうが、自転車では入れないようなので外をグルっと見てお終い。京都のお寺などよりははるかに興味をそそられたのだが。
皮肉にも、今日の走行距離も100kmになった。帰りの飛行機もやはり一睡もできず。出がらしの飲み物は要らないから、シートを寝やすいように改良して欲しいと切に願う。

起伏に富んだ地形の、にぎやかな感じの那覇市内

空港からの便利なリムジンバス最終便をすんでのところで乗り逃し、とほほな気分で仕方なく電車でエッコラと輪行袋を担いで帰った。品川で客のまばらな山の手線へと乗り継ぐ。ドアに自転車を置いて立っていると、目鼻立ちのくっきりした、よーするに全方位美人のおねいさんが立ち上がってこちらへやってくるのが視界に入る。こんな自転車に興味を持って寄ってくるのは決まって外人である。頼むから止めてくれ、英語でまくし立てるのだけは。ここはジャパンだ郷に入っては郷にしたがえっつーの。
「飛行機に自転車乗せるのって大変ですか?」
流暢な日本語、じゃない、よく見たら日本人であった。ああびっくりした。
「いや、そんなことはないですよ」と意外に冷静なおいら。
彼女いわく、一度飛行機で輪行してみたいとか。もう輪行袋も持っていて、仕舞い方の予行練習もやってみたという。じゃあもうOKじゃないの? 実際、飛行機よりも山手線での輪行のほうが数倍大変だ。
後で思ったことだけど、マニアックな内容にもかかわらず会話が自然で感じのいい人だ。
こんな人もいるのか。
「これからどこかへ行かれるんですか」 「いえ、いま帰ってきたところです。沖縄でレースだったんですよ」 「沖縄ですか! ひょっとしてトライアスロンですか?」 「いえ、ロードレースです」 「トライアスロンじゃないんですか?」 「純粋な自転車のレースですよ」
なんだよトライアスロンだったら良かったのかようー。実はおいらだってロードレースは門外漢なんだよう、本職はトライアスロンなんだようー。
などと言う間もなく彼女は田町で降りていってしまったが、リムジンバスに乗れなかったお陰でおねいさんとお話できたのはつくづくラッキー、悪いことの後には良いこともあるのさー。と思ったのでした。

反省/考察
レース後、やはり考えることといえば、もし別の走り方をしていれば完走できただろうかということだ。記録を見ると、平良の関門から源河までのラスト約15kmを、平均22.2km/hという常軌を逸したスピードで走っている。そういえば、後半一緒に走った覚えのある選手の何人かは、関門に引っかかっていない。つまり終盤でのタレがあまりに酷かった。もう少し均して走ることができたら、という思いは捨てきれない。そもそも、レース前から足切りを覚悟していたほどの者がトップ集団内維持に拘るのはおかしい。無理せず最後尾からスタートして、最も遅い人と一緒に走る、そのくらいの慎重さがあってもよかった。集団走行のメリットはかなり薄いかもしれないが、常に誰かは居るものだ。後半以降のレース展開はひたすら抜かれるばかりで、しかも彼らに乗っかることはできなかったのだ。

だが、ふと別の考えも過ぎる。これはロードレースだ。参加する限りは、勝利のために先頭集団に着けるだけ着き、その結果、力尽きて果てたとしても、それはそれでベストを尽くしたと言えるのではないか? 完走することの意義ももちろんあるけど、それだけを目的としてスタートからセーブして走るのはやはり本末転倒だろう。
という考えで、今は落ち着いたのであります。

もう一つ、思うことがある。
今回は直前の不調続きが大きな敗因の一つのように言いつづけているが、果たしてその通りだろうか? 普段どおりの調子であれば完走できたのだろうか? 正直なところ、体感的にはそんな気が全くしない。調子さえ良ければこの坂をもっと速く走れるのにと歯痒い思いをした、などという覚えはまったくない。不調かどうかにかかわりなくこのコースの厳しさは予想を越えていたのだ、と感じる。もちろん、初めてのコースだから比較検証もできないし、また今まで走ったどの120kmよりも過酷であることは間違いない(修善寺のほうが当然キツイが、最長70kmしか走ってない)。しかし予測できないほどの開きはないと見ていたのだが。
それとも、ブランクが長過ぎて、普段の調子や手ごたえの感覚を忘れてしまったのだろうか。
もちろん来年はリベンジしないではいられないだろうが、万全の体調で挑んだとしても似たような結果に陥る気がしてならない。そういう意味で、大きな不安を残したレースとなった。