第14回佐渡国際トライアスロン大会Bタイプ参戦日誌
2002/9/1
TypeB=SWIM2km BIKE105km RUN21.1km
(TypeA=SWIM3.8km BIKE180km RUN42.195km)
会津で負った肉離れはまったく治らず、仕事がかさみトレーニングも一切行う余裕がないまま、レース二日前の金曜日に佐渡島へと渡る。
連日すばらしく天気がよい。カラッと晴れ渡り、気温は34度前後もある。翌日の土曜日、宿の同部屋の人と近くの海岸でひと泳ぎする。澄んだ水に大いに満足し、ベタなぎでプールで泳いでいるようだ。魚もたくさん集団で泳いでいる。
レース当日は3時起床。3時15分と信じられない時間に朝食である。久々に、ストイック感あふれる気分を味わう。だが、歳をとったせいか、それほど眠くもなく、辛さはない。
レース会場へ向かう道はまだ真っ暗だ。いつになく緊張感が高まる。バイクラックで準備しているころは、日が昇っていた。今日も間違いなく暑くなりそうで、嬉しくなってきた。すでに気温は28度と発表される。
スイムは、予想タイムプラカードに従ってスタート位置を自主的に決める、マラソン大会のような方式がとられ、スタートラインギリギリに並ぶ人が少ないのは意外だった。それでは失敬、と最前列に立つ。6時にロングのAタイプがスタートを切ったその30分後、Bタイプは2キロのスイムに向け一斉スタートした。
お決まりのバトルを一通り体験した後、ふっと前が開けて、身体一つ前に出た。もしやあらぬ方向へ泳いでないか気になって顔を上げると、前方には誰もいない。ほぼトップの位置にいるようだ。これには興奮した。3mほどの海底が良く見え、ひとかきする毎にぐっと前に出る感じがよく分かる。ミエを張って飛ばすが、さすがに1週間何もしていないことが祟ったか、500m付近で明らかにバテてきた。後続に吸収され、次第に抜かされていく。
700mの第1コーナーを折れても、潮の流れに変化はなかった。原町や猪苗代のときのようなうねりは全くなく、泳ぎやすいことこの上ない。心配されたクラゲも全く出合わなかった。
1300mの第2コーナーを過ぎた時、妙に周囲がごちゃごちゃしてきた。キャップの色から、タイプAの選手と合流したのだと気づく。自分より1.8kmも長く泳いで来たと思うと、妙に感慨深かった。
スイムを終え、バイクラックへ行くと、まずほとんどのバイクが残っている。これはかなり久しぶりの優越感だ。じっくりと時間をかけたトランジットを経て、バイクスタートする。
走り始めてすぐ、沿道のおじいさんに31位と告げられる。予想以上に早いポジションにおどろいた。バイクコースは最初フラットだが、次第にアップダウンが織り交ざる、なかなか退屈させないコースだ。40km付近で早くも腰が痛くなってきた。練習不足の感は否めない。
途中、2つのドラフティング大集団に追い越された。一つ目は、2列縦隊で綺麗に集団を組んでいる。集団後方の選手は隣同士お喋りまでしている余裕ぶりだ。おまえら汚すぎるぞ。
二つ目の集団はさらにひどい。抜かされた後にマーシャルのバイクが後ろからやってきたので、奴ら全員ペナルティだ! と思っていたら、マーシャルに気づいた最後尾の選手が、先頭に向かって「散らばれ!」と叫んでいる。集団でグルになっているのだ。追いついたマーシャルもほとんど注意もしない。甘すぎるよ。
そんなわけで世の体たらくに意気消沈して走っていたが、しばらくしてもその集団の何人かがいまだ前方をうろうろしているのが見えた。大した実力もないということが分かる。
最高の難関は、80km過ぎに突然立ちはだかる、長い長い登りだろう。後半にきてこの登りは堪えた。気温は30度を軽くオーバーする中、沿道の応援もひときわ多い。「頑張れー」の声援に、「ああ!さっきからずっとそうしてるよ!」と心で呟く。「無理するなよ」とでも言ってくれよと思う。すこしでも力みすぎると、いつでも太ももが攣る危ない状態だった。グリコーゲンはとっくに底をついていたようだ。
やっと会場のある佐和田町に帰ってきた。バイクが105kmで本当に助かったとつくづく思う。あと1kmだって辛いよ、というくらい、疲れてしまった。熱中症ぎみでふらつくし、腰が痛くてDHポジションを取れない。たかが105kmだというのに!
二度目のトランジッションで、またしても長居した。ボトルホルダーを腰に巻きつけ、VAAM缶を一本飲み干し、右足首にシップを貼る。とてもじゃないがすぐ剥がれ落ち、その計画性の甘さに呆れた。更衣室に入り、ランパンに履き替えた。入り口の扉が風で開き、よりにもよって通りがかりの女子選手にフルチン姿をばっちりみられる。
大した理由もなく、気分転換のためにHINDのランパンに履き替えたのは大失策だった。なぜなら、じりじりと太陽が照りつける灼熱地獄のなか、ひっきりなしに水を浴びて走るため、通気性のいいはずのランパンはぐっしょりと濡れて、肌にべったり張り付き、本来の機能を失ってしまったのだ。
5km地点で唯一キロ表示があり、キロ約5分で走っていることが分かった。心配していた肉離れの再発は、再三エアーサロンパスを吹き付けていることと、テーピングがかろうじて機能しているおかげか、無事おさまっている。
だが7.5km付近の登り坂で、一時的とはいえとうとう歩いてしまった。太ももの燃料はしばらく前からすでにカラだったのだ。ランで歩かないという昔からの目標は早くも崩れた。
今回はエアーサロンパスのほかに、前日に出店で入手したニュージーランド製の怪しげな秘薬、“cramp-stop”を携帯した。痙攣しそうになったときに、この薬を舌の下にシュッとスプレーすれば治ると謳っているが、とても信じられない。話題作りのために買ってみたが、いざとなると神頼みの気分でシュッとスプレーしてみた。定期的に脚全体に襲ってきた強烈な痙攣も、2,3分ほどで復活できたので、一応効果があったということにしておこう。
ハーフマラソン、ラストは佐和田町商店街の花道を抜けるコース。皆ここでは力を振り絞ってラストスパートしていたようだが、なぜあんなに力が残っているんだ?? 自分にはどこを探してもそのパワーは残っていなかった。本当に、最後の最後までスパートできず、静かにゴールした。
ランでそうとう潰れた割には、順位的にまあまあの結果となり、参加者のトップ1/5以内に入ることができたのは嬉しかった。その後もプールのようなベタ凪の海で泳いだりAタイプのゴールを観戦などして、夜が更けてもレース会場での雰囲気を楽しんだ。
たぶん、来年出るとしてもBタイプにでるだろう。まだまだAタイプに出る資質は備わっていないとしみじみ感じるハードなレースであった。
* * * * *
新潟へ行ってきたというと、大抵の人が「メシが美味かっただろう?」と訊ねる。
新潟は米どころだからという発想で言っているのがほとんどだが、米は保存食であって、全国どこでも同じ品質のものが食えるし、新潟にも安いブレンド米は流通している。事実、今回の宿のコメは、同部屋の年配方に不評だった。僕はコメの良さはよく分からない。それよりも問題なのは料理である。
新潟地方のレースは今回で5回目になるが、正直言って毎回、新潟の料理には共通の印象がある。腹が減ってりゃなんでも美味いと感じる能力は人一倍あると自負しているのだが、新潟の味だけは例外だった。豊富なメニューを用意することが、新潟流のもてなしだと思わせるほど、並べられた料理にはサービス精神を大いに感じる。しかし、食べていくうちに、いつしか苦痛を伴ってくるのだ。今回は3泊したが、日を追うごとに食事が全く楽しみでなくなってくる。最終日の帰路の途中、新潟県を抜けたあたりのSAで食事をすると、毎回ながらほっとできる。
その原因は何なのか。甘い、しょっぱい、すっぱい、といった、基礎的な味付けが、ストレートに、その素材の持ち味よりも手前に出てくる、といった感じなのだ。名物の岩ノリの佃煮は、吐きそうななくらい甘い。素材の旨味はどこかへ消えてしまっている。味噌汁などは、魚の頭部や海老、カニまでもがダシとして入っていて、見た目の印象では食通にはタマラナイといった感じだが、実際には生臭さだけが先行し、汁としての美味さは感じない。
そうそう、味噌汁は間違いなく独特である。まるで、暫く置いた味噌汁の上澄みだけを取り出したかのようであり、ワカメがまさによどんだ沼の印象を決定づける。味噌の茶色はどこにも見えず、当然赤なのか白なのかも分からない。味噌に限ってケチっているとも思えないのだが。薄味というわけではなく、しっかりと塩辛い。ちょうど、水ではなく海水と少量の味噌で作ると、こんな感じになるのではないかと思える。食べているうちにそのしょっぱさが嫌になってくる。この「しょっぱさ(甘さ)が嫌になってくる」感じは、どのオカズにも共通する感覚だ。そして、もう一つ言えるのは、料理に「香り」の魅力がない。
新潟出身の人には怒られそうだが、もちろんあくまで私自身の見解である。
不思議なことに、山形や石川では、その印象をもったことがなかった。
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