第4回うつくしまトライアスロンinあいづ参戦日誌
2002/8/25
オリンピックディスタンス

わずか一週間後に佐渡という本命が控えていたので、いつになくセーブを余儀なくされるレースとなった。
だが、全力の7割で挑むレースは、何か新たな発見があるかもしれないという期待もあった。
猪苗代湖を泳ぎ、会津若松へ向かってバイク、会津大学周辺のランとなる。バイクラックが2箇所になる風変わりな大会だ。
スタート前に時間的余裕があるということで、猪苗代の方に宿をとったのは、明らかに失策だった。まず、インターネットで予約した宿には、選手は僕一人だった。猪苗代に泊まるのは少数派だったのだ。おのずと、大会終了まで誰ともコミュニケーションがない境遇となる。
徐々にその理由がわかってくる。まず、ラン用品を袋に詰めてスタート前に預け、会津大学へトラックで搬送してもらう。だが、会津若松周辺を宿にした人は、朝にラン用品を自分でバイクトランジットにセッティングが出来たのだ。だが、猪苗代派は、バイクからランに移るときに、トランジットバッグの中をまさぐらなければならない。また、そのトランジット風景も全くチェックしていないので、シミュレーションもできない。
このレースを本命に挑んでいたとしたら、その不公平さにかなり憤慨しただろう。

とにかく7割のパワーで、と言い聞かせ、スイムスタートでは最後尾につく。
水は澄んでいて綺麗だ。これならセンターのコースブイやロープも水中で確認できる。ほとんど蛇行することもなさそうである。
700mポイントを折り返したあたりで、徐々に遅れ始めた選手を追い越すことが多くなってきた。余裕があるせいか、より速い泳法を発見した。腕をかいた勢いで、頭をぐっと水中に沈ませるという感じで、かなりゆったりしたピッチになる。イルカが水上で円弧を描きながら泳ぐイメージと似ている。やや辛いが、この泳ぎを続けていると、間違いなく選手をパスできるのだ。不思議なくらいクイクイと進むので面白くなってきた。もっとはやく気づけばよかったと考える。
スイムを終え、バイクラックへ行くと、久々にバイクがほとんど残っているトランジットというものを経験する。7割を言い聞かせ、3分以上かけてトランジットを通過する。
当初は向かい風が強かったが、次第に下りへと入り、スピードが上がっていく。悠々と50km/h以上出せるほどの見通しのいい坂だ。いい気になって踏んでいると知らぬ間に疲れるので注意する。
途中ヘアピンコーナーで後輪をロックさせる危うい場面もあったが、無事バイクフィニッシュ。さて、どれほど余裕が感じられるだろうかと期待してランに入ったが、思いのほか身体が重い。しかも息があがってきた。全くのフラットだというのに、ペースは上がらない。4、5kmほど過ぎたあたりで、またしても右足アキレス腱付近が肉離れを起こし始めた。その後ゴールまで痛みは加算され、ラストはキロ6分もかかるとんでもないペースでラン終了。まったく冴えない結果に、かなり不満の残るレースであった。結論として得たことは、たとえ7割ペースでも、気合が入らないとやはり辛いだけなのだということだ。
猪苗代まで戻るバスは、結局大会終了後まで出ることはなく、帰りたくても帰れない不便極まりないシステムであった。
もし次に出るなら会津市内に泊まろう、と肝に銘じた。