第3回太平洋・夢街道トライアスロンin原町参戦日誌
2002/8/4
オリンピックディスタンス

レース二日前に愛息タンクが死んで、緊張感がフっと途切れたときに、風邪に入り込まれたらしい。原町の宿で床についたときに、明らかに風邪の症状が出てきた。明日の結果に響かなければよいがと、回復を願いながら眠る。
翌日の原町もどんよりと曇って、気温は24度前後とかなり低かった。風はなく、波も穏やかなはずだ。だが、競技説明会ではウェーブをいかにクリアするかについての講義が長く続いた。スイムはかなり侮れないらしい。
「大波が去ったら立ち上がり、慌てず次の波
まで待ちましょう」と言って笑いを取る場面。
レース前のトランジットエリア風景。
広々としており快適だ。

まもなくスタート時刻の9時になろうとしているのに、カウントダウンもなく、司会の声が届かないまま、9時になってしまった。スタート合図がどこかで聞こえたが、あやふやなまま駆け出す。一度は「戻れ」の指図がかかりバックするが、聞こえないでそのまま突き進む選手がいたため、うやむやになった。トップとは最大30秒は差がついただろう。
第一ブイまでは波に垂直に泳ぐ。言われた通りにウェーブの下をくぐり、無難にクリアした。思ったより簡単だ。だが、難関はむしろ岸と平行に泳ぐ350mにあった。スタート前は「ナギだ」と言っていたが、実際上下動が激しく、次のブイはなかなか見えない。中央のコースブイは殆ど役に立っていない。かなり蛇行した。サーフボードに乗ったライフセイバーに2,3度注意を受けたほどだ。タイミングが悪いと顔を思いきり海面に叩きつけられる。やっとのことで最初の折り返しに到達し、時計を見ると18分、予想を大幅に下回るひどいタイムだ。あと2回折りかえさなけらばならないというのに。
結局33分もかかった。スイムで30分台を出したのはおそらくこれが初めてだ。そのタイムほどは順位は悪くはなかったが、おちこぼれ選手の気分でバイクスタート。

バイクはほぼフラットでカーブもない、いわゆる高速コースだ。スタート直後から、前方を若い女性が走っていた。彼女のペースは僕とほとんど同じだったので、30m後方あたりにつけてマークすることにした。のちに女子2位と分かったその選手は、20歳という若さのくせに、堂々とドラフティングをするいただけない選手だった。彼女をパスしていく選手にあからさまに同じライン取りをして、少しでも引っ張られようという貪欲さは、後ろから見ていて丸分かりである。コーチの入れ知恵だろうか、いずれにせよ彼女は不幸だ。この大会ではマーシャルはほとんど見かけなかった。
呼吸が整ってきたら、いずれ彼女を追い越そうと思っていたのだが、スイムの疲労がかなり尾をひいているのか、一向に心拍は下がらない。ここで追い越しても彼女が後ろにピタッとついてくるに決まっている。ちぎれるくらいのパワーを溜めなければならない。
周回コース2週目に入ってようやく、上り坂のタイミングで彼女を追い越し、引き離す。しかしながら、女子選手と駆け引きをしている自分も情けない。

冴えない走りのバイクをようやく終え、ランシューズに履き替えて走り始めると、思いのほか身体が軽いことに気づいた。気温の低さが影響していることは容易に推測できた。調子づいて最初の2kmを7分55秒で終える。だが、もしランコースの下見をしていたならば、もっとセーブした走りをしていたただろう!
旧ゴルフ場が舞台となるランコースはまさにクロスカントリーだ。舗装道ではありえない急なアップダウンがいくつか待ち構えていた。それでも、芝生のコースを走る新鮮な感触を味わうことができた。最初の数キロまでは。
途中の壁のような斜面では、大きく腕を振り、全身で登ったが、歩くより遅かっただろう。まさしく心臓破りの坂だと頭でつぶやいた途端に、本当に心臓がベリっと音を立てて破れるのではないかとさえ思った。
2週間前の象潟で唯一気さくに声をかけてもらった、見覚えのあるオヤジをすれ違いざまで発見する。僕よりかなり先を行っているのだ。その3枚目の顔立ちから、てっきりホビーアスリート(しかも遅い方)としか見ていなかったので、見事に鍛え上げられた体躯を目の当たりにして、そのギャップに驚くばかりだった。ゴールまであと5km、その間であのオヤジに追いつけるだろうか、という考えが頭をよぎるが、ヘタな考えをしていることに気づいた。追いつくどころか、どんどん離されていると考えるべきなのだ。思い上がりも休み休みしたいものだ。
女子1位ともすれ違う。ダントツで速い。後で調べたところでは、彼女には3種目全てにおいて負けていた。
ようやくコースが下りへと転じ、あとは心肺機能を頼りに全力で行けそうだと思われた頃、右アキレス腱が痛み始めた。急な下りの衝撃で痛めてしまったらしい。今春のハーフマラソンで突然襲われリタイヤも考えたあの痛みだ。この厄介モノが顔を出すと、一時だろうと決して痛みがまぎれることはないのだった。平地に降りてきて、加速したいところだが、痛みは積み重なっていきペースは落ちていった。
2時間30分あまりでゴール。ラストの故障が悔やまれたが、象潟に続きまあまあのレース運びだったと思う。だが、イマイチ納得がいかなかった。

今回は宿で気の合う仲間もつくれたし、完走パーティーも楽しかった。ある意味、象潟とは対照的なレースであった。