JCRC第2戦スペシャライズドカップ・スポニチサイクルロード大会in群馬CSC
2004/4/25 
Zクラス(個人エンデューロ)

耐久レースとは言っても、群馬CSCを2時間半、長くても90km程度とあらば、特に中級者以上にとっては普段のレースと何ら変らないはずだ。それでいて、脚力分けはないので、つまりは上位クラスのペースでレースは展開するのだろう。さてさて、初心者はどこまで揉みくちゃにされてしまうのだろうか?
今回の新たな試みとして、補給にクエン酸サプリを加えてみた。お気に入りのキリンの903は、つまりはクエン酸が効いているのではないかと単純に考え、スポーツクラブのサプリコーナーで物色して買ってきたクエン酸6520mgという粉末(1袋あたり336円)をVAAM粉末(同210円)と混ぜてスペシャルボトル(計546円税込み)を作り上げた。この製品にはクエン酸以外にも思いつくあらゆるものがわんさか含まれて百人力といった感じなので、アイアンマンでも最適と言えそうだ。その効能を確かめるために今回のレースはうってつけと言えよう。
群馬はテクニカルで道幅も狭いため、アイアンマン直前で壊さぬよう、ZIPP404を温存させて旧キシリウムで出ることにした。ブレーキフィーリングが自然というメリットもある。スプロケは悩みどころであるが、長丁場なので軽めの25Tを選択。どうせ数秒と同じギア比で走ってないから、むしろクロスレシオじゃなくても気にならないだろう、という判断である。

久しぶりの寒さ
4:30AMに家を出て、走行中に朝飯を食らい、途中2箇所のSAで軽量化し、さらに30分ほど寝たけれど、CSCには順調に7:40に到着した。アップ目的でコースを1周だけ試走する。
スンゲー寒い。ここんとこ、初夏のような気候が続いたため、暑さ対策ばかり考えていたが、今日は防寒グローブ無しじゃ手が千切れそうだ。実は、持って来てない。どうするよ!?
走っている間に気温が急上昇してくれることを願うのみだ。もしものつもりで持ってきたグレーの長袖ジャージを着る。スタート位置へと移動。
前回の修善寺レポートで重要な登場人物であったチバポンズ山本さんにご挨拶。おっと、今日もSEMASですね。
他にも、2戦続けてZクラスに出ている人は結構多く、プレート番号はそのときの着順にほぼ沿っているため、自分の番号と前後するあたりの人をマークすれば、ペースも掴みやすい。事前に参加者を調べるとは、我ながら作戦も多少は綿密になってきたな。緊張度も高まってくるというものだ。

スタート後いきなり
山本さんとおしゃべりして気分もほぐれてきた頃にスタート。群馬のコースで60人の集団に混じって走る。右も左も前も後ろもピッチリ自転車。これぞ当初からイメージしていたロードレースらしい姿。なんだかすごく本格的だぜウキキー。しかし、敵国の軍隊行進のなかに一人紛れ込んで行進するスパイにでもなったような、自分だげ場違いな気分はナゼか相変わらずだ(判り難い喩えですが)。この緊張感を2時間半も持続できるのだろうか? 高速左コーナー、そのあとの右ヘアピンもまずまずのクリア。去年走った時の記憶がまだ残っているぞ。先導のオートバイが去っていく。
そのときだった。右後方からゴワッゴワッと威圧感のあるあの音が迫る。ロードレースでは珍しいディスクホイールだ。このレースで、そんな選択肢があったですか!?
ものすごい勢いでゴワゴワーンと抜かしていき、先頭もパスしてそのままずんどこ行ってしまった。奈良選手だ。いやもう間違いない。周りでざわめきが起きる。こんな仕掛けを用意してあったとは、走るエンターテナー恐るべし。ぶっちぎりで全員周回遅れに陥れようという魂胆なのか?
そんなわけで早速トップがいなくなった集団は、1周目をマッタリと終えようとしている。この調子なら付いていけそうだぞ、などと考えている。そして2周目に入るすこし手前、1分差でスタートしているBクラスの集団が早くも追い越していった。すると、Zもその勢いに感化されたのか、ぐぐぐっとペースが上がる。いかん、付いていかなきゃ。ヘアピンのイン側でガゴーンと誰かが落車。斜め前で起こったことだったのでかなりビビる。それを見てすこし萎えてしまったのが事のはじまりだったか。集団はペースアップしているので、中切れせぬよう必至で追いかける。

ところが、事態は極めてあっさりと急転してしまうのである。
アーモンドチョコを食べようと蓋を開けたら、いつのまにか空箱になっていたときのように(またまた判り難い喩えですが)、いつカラになったのか自覚がないまま、早々と脚が売り切れてしまったのである。2周目の心臓破りを上がった時はもうスッカラカンであった。集団はまだ10m前方に見えているが、エンジンはまったく用を為さない。
人間、どんなに頑張ったって無理なものは無理、と思わせる瞬間であった。努力とか根性とかで何とかなる次元の問題ではない。
あっけない顛末に、さしてショックも感じずに黙々とあとを追っていると、同じように千切れた面々が他にもいることに気づいた。周りをよく見よ。そして、次のアクションを考えるのだ。とそのときの自分に言ってやりたいものである。


千切れ組。写真右端が自分。最初の頃はちりりんジャージの人がいた。

早い段階で5人ほどの集団が形成された。前回の修善寺とは違い、今度は集団走行をお互いに意識して走っているようだ。平均年齢が高いこともその一因だったかもしれない。
集団で走っていてまず感じたのは、明らかに自分は坂が弱いということだ。このところ、坂をふんだんに取り入れた練習を重ねてきたのに、その効果はまったく見えないどころか、坂で遅れるとは! 毎周回、コース後半の坂区間で徐々に遅れだし、心臓破りを終えた頃には集団から3.4m離されてしまうのだった。つまりこうだ。

・上りでは、余力などない。アクセル全開である。(総合的脚力の低さ)
・全開であるが、それでも集団から遅れる。(最大筋力の低さ)
・全開が30秒と続かない。(筋持久力の低さ)

こんなことなら機材に頼ってZIPPを履いてくればよかった、と少し後悔の念がよぎる。あるいはこのバイクがヘタレってことか? VXRSがあればもう少しクイックに坂を上れただろうか? いやいや、間違ってもバイクのせいではない。ヘタレは自分なのだ。いま要求されていることは、特に難しいことじゃないのだから。

そして、自分は坂に弱いのではない。坂では実力差が浮き彫りになるというだけのことだ。つまりは、乗っかっている集団が単にレベルオーバーなのである。メンバーはBかCクラスなので、当然とも言える。
最初の何周かは先頭を引くこともあったが、上りでズルズルと後退するのを防ぐためには、平地での脚の温存がマストになってきて、引きも消極的になってきた。この集団のペースに乗りつづけることが、すでにかなり厳しいのだった。

そんな頃、後ろから結構な勢いでZが一人やってきた。まさかの周回遅れ? でも奈良さんじゃないぞ? ほどなくしてその人はしゅうさんの掲示板でも見かけたチームWADAのryuさんであることを知る。僕とゼッケンが一番違いなので、修善寺でも一緒に走った人だ。僕のことも覚えていてくれて、気さくに話し掛けてくれた。オオー、これが選手同士のご歓談ってやつですか! レース中に初めて声を発しましたですよ!
ryuさんは序盤早々にプレートが外れるアクシデントで出遅れてしまったという。彼を迎えた集団はますます(僕から見て)統率が取れてきた。とは言うものの、なぜかryuさんはいつも集団の左側頭付近を平行して走り、この集団を引くことはあっても乗っかることはほとんどしないのであった。まるで、練習のために単独で走行しているかのようだ。
また、この集団には自分で先陣を切って走るタイプの人が他に二人いた。たまに僕が頭に出てもすぐに追い超してしまうのであった。これらの人々のお陰で、僕にとってのハイペースな周回を重ねることが出来たのだろうと思う。


ずっと一緒だった6人組。偶然先頭に出ている貴重な瞬間。
ryuさんが写真右端で 集団を窺っている図は典型的パターン。


4周目を終えようとしていた頃、Cクラスが後ろから追いついてきた。またしてもこの別クラスに乗っかって、小集団は崩れてしまうんだろうか、と懸念される。そうはさせじと、乗っかった人を必至で追いかけた。上り区間だったらこうはいかなかっただろう。そうしてCと共にホームストレートにやってくると、なんとCはそこでフィニッシュだった。ふう〜助かった。また集団の旅は続く。

群馬の6kmコースは、ホームストレートと裏ストレートが一部隣り合わせになっている。ここで、トップ集団とちょうどすれ違うようになった。3-4周は同じ感じですれ違っていたと思う。つまりそのころはスピードにほとんど差が無いということだ。トップ集団は人数がかなり多いため、楽チンに見える。でもその集団から千切れてしまったのだから、何も言えないのだが。山本さんが僕に気づいて手を振ってくれた(と思う)。ああ、やはり山本さんは強いなあ[後日修正。トップと思っていたその集団は、実は途中でトップから千切れた第2集団とのことで、つまり我々は第3集団だった]
当初懸念された寒さも、走り出してみれば気温も少し上がり、緊張感もあるせいか、全く問題ないのは助かった。気がつくと風が結構強いが、ゲンナリするほどではない。レース中は不思議なバリヤが色々と自分を囲っているようである。無い知恵絞って考えたスペシャルドリンクは、ちっとも美味くないので飲む気になれず、1.3リットルは持って走ったが気温が低いためかレース終了までに300ccほどしか飲まなかった。
8,9周目ごろか、ウゴーレーシングのベテラン選手が降ってきた。先頭集団にずっとついていたのだろうか。僕らと一緒に参りましょう、と思ったのだが、あっけなく後退していく。そうとうヘタばっているようだ。

上り坂は、25Tよりも23Tで走ったほうが着いて行けることがだんだん判ってきた。かといって25Tが要らないかというとそんなことは決してないのだが。また、ダンシングを積極的に取り入れたほうがいいとも思った。一度だけ、スタンディングで通して上ってみたら、集団から後退せずに走れ、あたり前だが結構疲れた。

11周目。後半の坂をいつもの限界パワーで上っていると、突然ryuさんがチェーンを落としてしまった。マジですか! 集団のスピード維持に多大なる貢献をしてきたryuさんがいなくなると死活問題だ。ここまで引っ張ってくれた人に対し、たとえアシストにも何にもならないとしても、ただ単に恩着せがましい行為でしかなかろうとも、ここは留まって仁義を通すのが筋ってもんじゃないのか? 
と頭では考えていても、止まるほどの度胸もなく、どっちつかずでのらりくらりと進む。そうこうしているうちに、ホームストレートでこんどはZの大集団がドドッと追い越していく。あれ? ぶっちぎり先頭の奈良さんに抜かれた覚えはないし、この集団にもいない、ってことは、こんなに大きな、僕よりもスローな集団が居たってことですか? なあんだ、僕もそこそこな位置に居たんだな。でもこの瞬間にほぼ最下位になっちまったぜぃ。

てなことが万に一つもあるはずが無く、つまりはとうとう先頭集団にラップされたのであろうことは、そのスピードからも明白であった(レース後に山本さんに教わったが、奈良選手は途中でパンクしたとのこと)。12周目はこの集団に乗っかるが、またしても心臓破りで千切れた。ただ、あと1周で終わり、と予測がついていれば、もう少し粘ってついていこうとしたかもしれない。つまりは、ここでは精神的に負けたのだった。僕ら6人のグループで、この先頭集団に最後までついていった人は結局3人。ラストの13周目は完全に一人旅となり、案の定随分と遅いラップを刻んだ。まあこのタイムが本来の自分の実力なのだろうけれど。

34位/59人中という成績は、修善寺に引き続き、なかなか悪くないと思う。
修善寺のときとは対照的に、潰れるまで走ることができないレースだった。ゴールしてしばらく経つと、物足りない気分に襲われた。有り体に言えば、瞬発力の低さがボトルネックとなり、全力を出し切れないのだろう。まあでも、アイアンマンに向けて遅筋の充実を図っていたから、ある意味これはいい傾向と受け止めるべきかもしれない。
とは言うものの、もし今回ZではなくDクラスに出ていたら、記録から判断する限り、やはり2周目あたりで早々と千切れていたであろう。それはそれで悲しいものがある。
special thanks:“モララー店長”(写真撮影)