JCRC第7戦アートスポーツ杯in群馬CSC
2003/10/19 
50kmの部 Xクラス

こんなにも、期待と不安に満ちた気持ちは何年ぶりだろうか。
ロードレース初エントリー。集団走行の経験もなく、いきなり大丈夫なのか? 集団のなかで顰蹙を買わずに役目を果たせるのか? コーナリングで一人だけコースアウトしないだろうか?? 不安材料は山ほどある。しかし、単なる初心者の初体験とは状況が異なるだろう。10数年トライアスロンで培ってきたバイクの経験もまったく通用しないことはないはずだ。
まるで遠足の日を迎えたような気分で、まだ真っ暗な4時10分に家を出る。途中のSAで朝飯をとり、目論見通り7時に月夜野ICを降りると、ロードを積んでいると思われるクルマの列ができていた。チームサポートの大型バンについていって、無事に群馬CSCの駐車場に車をとめる。空は見事な秋晴れとなり、幸先の良さを噛みしめる。

到着時の気温は10℃、寒いし風も多少吹いており、この中を半袖ジャージで走る考えはたちまち却下された。かといって、厚手の生地の長袖ジャージしか持ってないのでできれば避けたかったのだが。
受付を済ませ、その足で試走に出かける。毛糸のチョッキを着て、巨大なリュックを背負って走っている奴など他にいない。シロートさん気分をあえて楽しんでいるようだ。1周6キロの自転車専用サーキットコースは変化に満ちており、序盤で高速コーナー、少し後にヘアピンがある。試走レベルなのに、かなり怖かった。路面も所々濡れており、この二つは慎重に走ろうと肝に銘じた。いずれも下り坂なので、コーナー途中よりも手前での速度調整が肝心と思われた。特にヘアピンのほうは下りがきつく、タイヤはロック寸前である。なぜよりによって下りにコーナーを作るんだ! アブナイぢゃないか! とコーナリングの苦手な自分としてはコース設計を呪うが、常識的に考えてみればヘアピンカーブは坂にこそあるものだ。
召集時間となり、最後のトイレを済ませて慌ててコース上のスタート地点へ走る。初エントリーはカテゴリーX級に分類されるが、参加者は24人とあまり多くない。右隣はピナレロのプリンスSL、左隣はコルナゴのカーボン。フォンドリエスト、インターマックス、タイムVXプロetc・・・。初心者だろうと関係なく高級車ぞろいだ。次々と買い換えるのだろうか、年式も新しい。部品が所々錆びた13年前のマシンはもはや年代モノか。トライアスロンではマシンに無頓着という人は結構多いけど、ここでは皆無である。
さあて、いよいよスタート。あの怖いヘアピンが終わるまでは、オートバイが先導するローリングスタートらしい、一安心。すでに上位グループのC、D、E、O、Fが僅かな時間差でスタートを切っている。S、A、Bなどの強豪は50kmに出場枠がない。
ヘアピンも抜け、これから上りというところで、オートバイが去っていった。レース開始だ。早速飛び出していく選手が一人。これがレースペースというものか。あれ、誰も追わないぞ。おい、いきなり逃げかよ。ほっとくの? 集団の中位にいた自分は飛び出した一人を追って集団の前へ移動開始・・・・というか、あまり考えてません。前を行く奴は追え、と教えられた犬のようだ。集団を利用せずに独走し、バテて最後に集団に抜かれる、なんてブザマなことだけはしないように、という考えはあったのだが、いきなり抜け出す選手がでた時点ですでにパニック。
しかし、自分が集団のアタマに出てきた頃には、かれはもうかなり先を行ってしまって、すでに追いつけないほどの開きになっていた。Xクラスは実力が定まってない。そう、彼は特別なのだ。そう思うことにして追うのを諦めた。ただ、粋がって先頭に出てしまったので、そのまま突っ走ることにした。あーあ。たぶん、多少は諦めきれなかったんだろう。
ゼイゼイいいながら、心臓破りの坂を登る。こんなに息が上がったペースでいいんだろうか? 心拍数をモニタしなければ。心拍計はと、・・・00のままだ! 測れていないよ何てこった。スタート時は正常に計測していたのに。Polarは一定時間信号を受信できないと、以降は信号を一切受信しなくなるというしゃらくさい設計だ。仕方がないので一度ストップして再度スタートしなおす。データは滅茶苦茶だ。周回ラップを計るという気もなくなった。時計も持っていたんだし、せめてラップくらい計りゃいいのに、とは後で思ったこと。

レース中は、時間は山ほどあるけれど、アタマは何も考えちゃいない。(掛川教訓再出)

ひとり、びゅーんと抜いていく選手がいた。そしてまた一人。早くもペースが落ちたのか、と思ってしまうが、恐らくずっと後ろについてきていたんだろう。それに気づかないでいたことが問題だ。
一人は、ロード乗りにしては見るからに太った体型で、トライアスロンではまず上位にはいるはずのない部類の人だ。「じょんのび」と書いてあるチームジャージが彼の体型とあいまって妙にコミカルな印象である。ところが馬力があってキレのある走りで予想外にガンガン行く。この人が抜かして行く時は、まるで逃げを決めようとしているかのようなスピードで出て行く。ホームストレートでは、ポイント獲得のように先行する。今回はポイント制は無しなのだが。
もう一人は、スレンダータイプで体脂肪率10%を切るような人。足の筋肉をみるとかなりの経験者っぽく、なぜX=初参戦なのか不思議だ。その身軽さを生かして、上りになると仕掛けてくるパターンが多い。
つまり、両者とも協力態勢を取ろうという気がないってことか。意思の読めない3人はそれぞれつかず離れず、結果的には先頭が入れ替わりながら、ゴールまで連れ立って走ることになる。
やがて、先行していた別クラスの選手を何人か追い越す。
個々人の実力によって細かく別けられたクラスは、支給されたヘルメットカバーの色で即座にわかる。今回特別設定のX級はゴールドっぽい黄色のカバーで、今追いついた色は蛍光グリーンだ。何人かまとめてグリーンを抜いたが、やがてそのうちの2人が僕ら3人と合流する形になった。僕はこれをずっとE級と勘違いしていたのだが、実はFで、F級とは、「E級よりもさらに遅い」ことを認定された人が晴れて入ることのできる、なんとも複雑でわけありなグループなのである(と解釈している)。正直なところ「自分はまさかFではない」と思いたかったので、実際にFの人と互角に走っていると知ったら、(Fの人にはまこと失礼だが)その現実に愕然として、戦意喪失していたに違いない。
別クラスの人とは助け合って走ってはいけないルールになっており、ドラフティングはなるべく避けて走っていたが、このグリーンの人がXの後ろにピタッとついてしまうことがあり、自分の指定席を奪われた気分になる。
コースはあらゆる変化に満ちており、トライアスロンの時とは比べ物にならない忙しさでギアチェンジを行わなければいけない。5秒と同じギアで走っていないので、ギアチェンジ性能は俄然大切な要素となってくる。退屈させないどころか、気を抜ける瞬間がない。それだけ初心者の証拠かもしれないが。もっと大きな集団の中で走っていたら、また違ったものを感じたかもしれない。ロードレースはDHバーが使えないから嫌だ、と考えるトライアスリートも多いかと思うが、このコースでDHバーを使っている場面はおそらくほとんどない。その重量増を考えたら、たとえDHバーが許可されても装着しないだろう。
相変わらず、Xの3人は可能な限り飛ばしているように見える。それはいち早く飛び出した1人を追っていたのだろうか? 少なくとも自分はそこまで明確なビジョンがあって走ってはいなかった。ただトライアスリートの性(サガ)として、力のある限り速く走るという暗黙の使命によって飛ばしていたに違いない。ロードレースはタイムなどよりも順位が重要なのだということをすっかり忘れていた。僕は、この3人以外にも後続がすぐ近くを走っていると思っており、油断すると後続に追いつかれるぞ、という強迫観念も確かにあった。だが、もしそうなら長い直線や上りで後ろを振り返って確認するなどの作業が必要だったのだ。どういうわけか、安全確認のためを除いて、後ろを振り向くことは一度もしなかった。実は、後続ははるか後ろだったのだ。それを知っていれば、2人に逃げられない範囲で、できる限り抑えた走りをすべきだったのだろう。
コースは8周しなければならないが、4周目あたりで早くも疲れを感じてきた。ゴールはまだかなあ、と考えるようになる。だがトリップメーターは無情にも20km台である。そうだよまだまだだよ。もっとペースを落とせ。処理しきれない乳酸がどんどん溜まっていくぞ。そのときの自分にそう伝えたい。
コースを何周もしていると、次第に慣れてきて最速ラインを憶えてくるものだ。怖かったコーナーも、他の選手並にクリアできるようになった。ヘアピンカーブは、ペダリングしながら走ることを覚えた。ちょっと嬉しくなった。
心臓破りの坂では、数人のギャラリーがいた。アートスポーツの年配の店長も見かける。なんだか先生にチェックされているみたいだ。
ラスト1周となる。さあ、いよいよこれからなのだろう、本当の勝負は。どう見ても、この3人での順位争いは必至だ。この実力差では逃げを打つことは無理。脚を溜めなくては。恐らく、最後の周はすこしペースが落ちていただろう。緊張が高まる。ギアチェンジの繰り返しで、手首の疲れが目だつ。
登り坂では「脂肪率10%」な彼が先頭をひいていた。穏やかについていくと、最後の心臓破りの坂で「じょんのび」が飛び出した。いつものように、あらぬところから意表をついて抜いていく、逃げのスタイルだ。だが、ここはダンシングすれば一気に詰められると踏んでいたので、落ち着いて追う。ところが、いくら追っても彼の背中は小さくなるばかりだ。本気モードの逃げなのだ。いままで、逃げたようなスタイルを何度も作っていたが、あれはまやかしだったのかもしれない。どうせすぐ追いつけるさ、というイメージを与えるために。どんどん彼は逃げていく。ヤバイ、と感じた時はもう手遅れだった。これはダメだ、と早くも諦めている自分がいた。せめて、3着は確保しよう、と早々と目標を下方修正。追いつく見込みのない「じょんのび」を追い続けて、後続の「脂肪率10%」にとっていい先導役になってしまうのも不利だ、と考え、無理に彼を追うのはやめた。すると「10%」が追い越していく。ナイス。ここで後ろについて、ラスト勝負で抜き返せ。
だが、彼も本気モードだった。そりゃそうだ。追い越されたまま、なかなか追いつけない。追いつけないどころか、離されている。今度こそヤバイ!と思う。だが情けないことに諦めモードが早くも顔を出していた。なぜ自分は、こういう咄嗟な場面での諦めが早いのだろうか。
コーナーを抜けていよいよホームストレート。ここはフィニッシュまで緩やかな上り坂になっている。それを見て、一瞬「疲れた・・・」と思ってしまう。だが気を取り直してラストスパート。一応、ラストだからスパートね。そんな感じだ。彼の後ろに追いつく。だがゴールラインはもうすぐそこ。何もできないまま、縦列でゴールを通過した。
ということで結果は4位。ゴール直後、自然と3人で挨拶を交わした。レース中は一言も交わさなかったけど、なんだ、みんな敵意剥き出しってわけじゃないじゃん。って自分もそう思われたかもしれないけど。
単純に順位だけ見たら悪くはないけれど、内容としては落第点だった。戦略的にも体力的にも(特にスプリントが)未熟だったのはまあしょうがないとしても、早々とレースを諦めたのはいただけない。せめて、ラストスパートの時にダンシングで追うべきだった。なぜシッティングのままで走ってしまったのだろうか。じわじわと追い上げる性格が最後に台頭してしまったのか。全力を出すことが照れくさかったのだろうか。後になってみると反省点は尽きないが、実のところ、最高に楽しくてしょうがなかったので、勝負などどうでもいいと思ってしまったのかもしれない。

その後、100kmのレースを観戦する。こちらは募集定員オーバーするほどの人気ぶりで、コースのキャパを超えて混雑が予想されたが、意外と最後まで集団がばらけず順調に進み、自転車レースらしいレースを見ることになった。50人は居そうな迫力の大集団のなかで走ってみたかった。
そうして100kmレースをボケッと見ている間に表彰式が行われていたことに気づかず、折角の表彰台に乗るチャンスを逃してしまった。こんなラッキーな成績を残せたのも最初で最後だと思うので残念だ。

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後日、結果発表があり、クラス分けも発表された。連れ添った3人は揃ってE級入りが決まったが、僕の次の人以降はF級に振り分けられた。つまり自分はかろうじてE級なのだ。F級とはこうして決まるのか。こうしてみるとF級はホントに遅いのか? 最下級なんだから遅いのは間違いない。だが、「おまえもな」ということなのだ。ロードレースは予想以上に層が厚い。


4位の副賞。さすがアートスポーツ杯と言うだけ
あって 福袋並みのグッズの多さにびっくり。
参加費4500円の元は充分とれてしまった。