Ermstal Marathon 2013参戦日誌
2013/7/14
ハーフの部 21.0975km

新婚旅行でドイツへ来た。
折角だから何か一つマラソン大会に出ようと思い、日程や開催地、内容等を考慮してこのErmstalマラソンを選んだ。
前日の土曜日は開催地Metzingenにほど近い都市Stutgartに宿をとった。Metzingenに泊まることを考えなかったのは、土曜日のオランダからの移動が過密スケジュールなのと、Stutgartも観光しようと欲張ったため。
前日の日記はこちら

7月14日(日) レース当日
Stutgart駅でニシンの酢漬けのサンドイッチを買い、朝6時半発のRE(快速)で一路、Metzingenへ。ドイツの鉄道はホントに静か過ぎる。静寂の中、もぐもぐ食べる音だけが妙に響く。8年前に参加したヴュルツブルクマラソンの時も同じ感想を抱いたことを懐かしく思い出す。
途中Plochingenで乗り換える。59番ホーム。この小さな町の駅にホームが59本もあるわけがなく、とあるホームの端の延長上に気動車が停まっていた。追いやられぽつねんとした姿に「いたずら機関車ちゅうちゅう」を連想する。
なお、Metzingenへは通常乗り換えなしで行け、電化されてないわけではない。
車窓からは見渡す限り非の打ちどころのない田園風景が続き、絵本をそのまま現実にしたような、教会を中心とした小ぢんまりな街並みが所々見え隠れする。Metzingenもそんな小さな町の一つだろうと考えていた。
遥々日本から参加するマラソンといえばベルリンやパリ、ニューヨークなどの大規模な都市型マラソンに限られるだろう。ヴュルツブルグは日本でも有名な観光都市だが、その中心部を走れる実にすばらしい大会と言えども日本人参加者は僕一人だった。今回は、それより遥かに小規模で、しかもこれといった特徴も売りも見当たらない。わざわざ行って走るのはなぜ?と問われたら返答に窮する。
だが僕は別の期待があった。
観光ガイド本には載ることのないであろう、ごくフツーの小さな町をじっくり探索する機会はまずない。フルマラソン100人ハーフで400人10kmが800人程度の(距離が短いほど参加者が多いのも面白い特徴)、ほとんど地元の人たちだけで作られた大会は、観光地のみ巡っていては見つけることのできない、飾り気のない素のドイツを体験できるに違いない。
お祭り男宮川になった気分だ。

まず旅行の日程を先に決めてから、その間の週末にドイツで開催されるマラソンを調べた。少なくとも5つある。夏とあってか、自然豊かなコースを走る涼しげなトレイル系大会が多く、多彩ぶりが魅力的ではあったが、街中を走り文化とのふれあいも欲しいとの意向から比較的スタンダードなこのMetzingenを選んだ。オランダから最も近く旅程的に無理がない、というのも要因として大きい。
もし旅行が1週間早かったら、Ironmanフランクフルト応援、という予定を組んでいたかもしれないな。

数百人規模のマラソン大会というと、日本の常識では練習会レベルのものしか想像できない。そんなわけで僕らはレース参加を今回の旅行のメインイベントとは捉えてなかった。もし手続きの不備などで参加が認められない事態になったとしても、まあ別にいっか、くらいに思っていた。

ぶらり途中下車の旅?世界ふれあい街歩き?そんなイメージで駅に降り立つ。僕らのほかにランナーは数名程度。まだ見かけるだけマシだ。Wuerzburgのときは、時間が早すぎたか僕ひとりだった。時間にルーズなこの僕がね。
ランナーについていかずとも、目的地はすぐ判った。駅からのびる真っ直ぐな通りの先にはZielと書かれたゴールゲートが見えた。その先には、年代物の酒蔵か馬小屋を改造したような集会場が三つ立ち並んでいた。さまざまなイベントが行われるのだろうか。無風流で閉鎖的イメージの公民館などと違って、町の活性化のヒントが詰まっている気がしたよ。コンクリートから人へ、というスローガンを掲げた党が以前あったけれども、その二つを排他的なものと考えるからダメなんじゃないか、と思った。

僕らはEメールで事前エントリーしていた。
この大会のエントリーシステムはドイツの銀行口座を必要としたので、国外者の参加方法をメールで問い合わせたところ、エントリーは受け付けるから名前と住所とTシャツサイズを返送し参加費は当日持って来ればいい、と言われていた。その旨を受付で伝えたのだが何かの手違いか出走者リストには登録されてなかったために、こちらの意図がなかなか伝わらずすったもんだした。結局当日エントリーのやりかたで事前エントリー代(最安の17ユーロ、およそ2300円)を払う。ドイツの大抵のマラソンはエントリー代が数段階あり、また当日ドタ参制度がある。
スタッフの一人から一言、「少々待ってください」とあまりメジャーではない日本語が飛び出したのが印象的だった。どうやら僕らは歓迎されたようだ、と感じつつ準備に取り掛かる。と、ゼッケンを留める安全ピンが無いことに気づく。ヤバい、こういうものは自分で用意するのがドイツ流? それともどこかで貰えるんだろうか…忙しいスタッフをゼッケンピンで再び煩わせるのも気が引け、しばし途方に暮れていたが、床を見回すと一つ落ちている! 乞食根性を発揮して会場内の床から5個の安全ピンを探し出した。ま、最低二つあれば問題なかろう(安全ピンは受付で言って貰う、とヴュルツブルクマラソンレポートに書いていたのをすっかり忘れてたよ)。

この大会でぶっ飛ばしてもしょうがない。そもそも五島以降ほとんど走ってないので記録も望めないし、苦しいだけだ。そんなわけでカントクのペースに合わせて走ると決めていて、しかもハーフだからお気楽だ。
出走者が少ないからスタートエリアなんてきっちりとしたものはなく、ゲート手前の僅かなエリアに人が集まっている。市長の挨拶が長引いてスタートの9時を過ぎた。饒舌なMCが場をしきり、ロック調の音楽とともにスタートのカウントダウンが始まった。このあたりの盛り上げ方はやはり垢抜けていて日本とは違う。

9:02 a.m. マラソン・ハーフマラソン・10km同時スタート
ゆっくり走って長く愉しむのが趣旨なので後ろの方からのんびりスタート。ひゃ〜わくわくするね。
スタートしてすぐ、スタッフTシャツを着た日本人らしい女性から「がんばってください」と穏やかに声をかけられたが、違和感なかったので「はーい」くらいの返事でそのまま通り過ぎてしまった。あ? 日本人も住んでいるんだなあ。・・・あれ?? なぜ僕らの存在を咄嗟に見分けられたんだろう? 考えてみたら不思議なことだった。この物見山のウェアの文字? もうちょっときっちりリアクションしておけばよかった。
この方とは一瞬すれ違って終了、とは実はならなかった。ここでは鳥飼さん(仮名)と呼ぶことにしよう。

 

町は小さいから沿道は人だかりということはないけど、銘々が賑やかに声をかけてくれて、寂しさはない。とにかくこの知らないドイツの街中を走れているだけで十分満足だ。
時差ボケ+毎日食べ過ぎ+旅の疲れが災いしているか、それとも五島の疲れが未だ抜けないのか、身体は重くて体調的にはかなりバッド。カントクにとってのイージーペースなのでどうあろうと問題ないけど、今日のカントクはイージーではなさそう。それに予想外に日差しが強い。先週Ironmanフランクフルトで走っていた慈朗さんのしんどさを想像した。エイドでは早速水をとる。
日本のようにエイドの先にダストボックスはなく、コップは散らかり放題。これはぜひ日本を参考にしてほしいところ。

街の中心部から線路沿いの住宅地へと入り、やがて左手にぶどう畑が見え始め、右手も畑となり、徐々に田舎の小路といった感じになってきた。見晴らしのいい田園の向こうは川をはさんでモコモコと山並みが続いている。何て風光明媚だろう。

10km強を往復するコースは地形的に谷間を遡るゆるい上りとなっており、まあ特に問題はないと思っていたのだが、今日は僅かな上りも案外足に来て、1kmが長く感じられた。もしフルの方にエントリーしていたら大変だったなと思っていたら、カントクから「10kmにしとけばよかった」などと泣きが入る。そりゃないだろ?

次第にコースはMetzingenを離れ二つの町に絡むことになっている。石畳の道に導かれ一つ目の町Dettingen An Der Ermsの中心部へとくると、木立の中にショップなどが立ち並び、リゾートの街のような雰囲気でこれまた気分が良かった。ハーフの部の看板スポンサーBeckabeckのお店を発見。カフェのチェーン店?

町を抜けると少しずつ道は傾斜し始め、徐々に山の方へ近づいている感じだ。自然の景色も壮大さを増してきて、ホントに気持ちがいい。額縁に入れたくなるような眺めが楽しめるランとは予期していなかったので、へえ〜とあちこちケータイカメラでパシャパシャ撮っては感心しまくり。ただ、暑さによるダメージも徐々に大きくなり、カントクは少々ヤバそうだ。まだ1ケタ台の距離なのにすでにヘロっている。

ハーフの部とフルの部のトップ二人が競るように折り返してきた。パラパラと後続がやってくる。このコースで大会を続ける限り、参加者数はこのくらいがちょうどいいのかもなと納得。なんせ道幅は3m程度だからね。

二つ目の町Bad Urachに入り山裾の斜面に立ち並ぶ家々の姿を見ていると、てっきりここは別荘地と思っていた。地名のBadは風呂の意味があるので温泉地なのかなとか(実は普通の集落らしい)。折り返しポイント近くでトイレに寄り、再スタートを切った頃には僕らはほとんど最後尾となってしまった。レースでここまで後ろだったことは、かつてないかも? エイドでコーラやバナナ、ミューズリを摂ったら少し元気が出てきたようだ。ハーフの大会には普通置いてないよ。

そんなわけで、フルも兼ねるエイドは結構充実している。ヴァサ(水)、コーラのほかに、スタッフがしきりに「イソ!イソ!」と勧めてくる飲み物があった。Wuerzburgの時に飲んだ妙な味の超科学系飲料かと思っていたが、味は普通の微炭酸グレープフルーツジュースっぽい。いや、年月を経て改良されここまで美味しくなったのかもしれないな。コーラと並んで一般的な名称なんだろうか(スポーツドリンクはドイツでは通称Iso-Drinkらしい。Isoはアイソトニックの意)。

僕らよりさらに後ろの推定60代夫婦が目を引いた。男性が大きな箒を、女性は便所たわしを背負っている。思想的な仮装で粋だなあ。こんど真似しようかな。意外にもフルの部で、走りなれた体型をしていから僕らなどよりもずっと通な人たちだろう[後日追記:この人たちは最後尾の目印として箒を持って走るいわゆる「箒走者」とのこと。仮装ではなかった。鳥飼さんに教えて頂きました]

往きで見覚えのあったランナーに追いつくなど、少しずつカントクは持ち直してきた様子。帰りは下り基調なので僕も楽だ。
私設エイドもたまにある。子供たちがどうぞと勧めてきた赤い塊、一瞬何だろう?と思ったらスイカだった。スイーツのように甘い。スイカのクオリティにかけては日本産は負けてないと思っていたが…。

前後に選手はほとんどいない状況で、沿道の応援は直接僕らに向けられている。最初は恥ずかしがっていた僕らも、リアクションするとより反応があることを学習し、徐々にハーイなどと声で答えるようになってきた。
銀座のパレードに50万人が集まったなどと人の数を成功の尺度にしたがるが、沿道に5人もいればフィーバーするには十分であり、盛り上がるかどうかは人数ではないことを教えられた。僕らが不得手な部分でもあるが。この大会がたとえ小規模であっても決してしょぼーんとはならないのはそのためだ。これはメッツィンゲンに限ったことではないのだろう。

駅前の角を曲がり、ゴールゲートへの直線路へと入った。21kmのErmstalジョギングツアーは歓声に包まれながらフィナーレを迎えようとしている。最後の花道の数百メートルをのんびり味わっていると、予想外のことが起きる。沿道からスタッフが一人僕らへ駆け寄ってきた。往きで声をかけてくれた鳥飼さんだった。やはり僕らのことは認識されていたらしい。「一緒にゴールまで走ってくださいって言われてまして」とのこと、この後何やらあるようだということは直感できた。僕らは否応なく楽しくなってきて知らず知らずにスピードアップし、鳥飼さんにはしんどかったかもしれない。カントクと手を取ってフィニ〜ッシュ。

total 2:13:19(P6:19) ネットタイム
男子282位/314人 女子68位/95人  total350位/409人



MCとカメラマンがやってきて、妙な日本人カップルはインタビュー攻めに。鳥飼さんはその通訳として呼ばれたようだ。なぜあなた方はこのメッツィンゲンマラソンを選ばれたのか!? 興味津々のようだが申し訳ないことに期待に添えるような面白い答えが出来ない。日程と合致してたってだけで、とくにこだわりなんてないんだよ〜。
MCが場を盛り上げようと折角頑張ってくれているのになんだかつまらん返しをしてしまった。
ここMetzingenはアウトレットの町として有名なのですがご存知でしたか?と訊かれ、逆に僕らが驚く。へえ〜露ほども知らなんだ! Stutgartからは買い物ツアーバスで大勢訪れるらしい。そんなことすら知らないでMetzingenに来たのか?と不思議がられたかもしれない。ガイドブックに載ることのないフツーの町、との認識は正しくないようだ。そういう意味では、名もない小さな町のイベントに参加するとの当初の目論見は少し外れたのかもしれない。とは言え、アウトレット街とこのマラソンは確実に切り離されている感じがした。
再びMetzingenを訪れることがあるとしても、その目的はきっとマラソンだろう。

イベントが終わってからになりますがよかったら家に来ませんか? と鳥飼さんから思いがけないお話をいただく。えーーっ! そんな願ってもないご提案を辞退する理由などどこにもない。ぜひお願いします。

鳥飼さんは、日本人特有の曖昧表現を理解しつつ、ドイツ的な合理性を併せ持った、とても話しやすい方だ。こんなふうに通訳を任されることが多いために、端的で判りやすい表現を常に心がけ、頭の回転も早いに違いない、まさに「ニュースで英会話」の鳥飼玖美子さんのイメージとダブり、僕らの間ではすっかり“鳥飼さん”で馴染んでしまった。実は失礼ながらお名前を伺うのがずっと後だったのだが。
大会のコアなスタッフにも近しく、受付時に片言の日本語を話してくれたのも鳥飼さんとのつながりのおかげだったようだ。

のちの合流を約束して、僕らはイベント会場のもろもろのお楽しみにふけることに。
まずはゴール後の補給。ノンアルコールビールがスポンサーから配られていた。瓶から飲めて贅沢な振る舞いだ。これがおいしい。リンゴが使われていてシードルとビールの中間のような味。ホップの香りと苦味の中にほんのり甘味がある。無理にビールに似せなくても、こういう方向もあるんじゃないかと思った。
続いてこの地方のビールと太いソーセージ。いや〜たまらんでしょ?
大会会場のすぐ脇には、雰囲気のいいレストランがあった。
つくばでもかすみがうらでもいいから想像してみてほしい、ゴール地点から徒歩30歩のところに、木立に包まれたテラスがあっておいしい生ビールが飲める自然食レストランがぽつんと出現した姿を。
ありえんでしょ。
意外と選手で埋め尽くされているわけでもない。時折ゴールするフルの選手を遠巻きに見ながら、テラスでやはりビールとランチ。僕はオーナーお勧め料理を頂く。たっぷりの野菜がカラフルに美しく盛り付けられたぜいたくな一品だ。僕は正直運動になってないので明らかにカロリーオーバーなのだが。
実は鳥飼さんが薦めてくれたお店でもあったため、かなりお安くしてもらってしまった。

そういえば参加Tシャツってどうなってるんだっけ。Wuerzburgのときと同様、別売り扱いだった。7ユーロだったのでもちろん購入。
受付会場だった小屋は表彰式が行われており、月桂冠に見立てたような?直径40cmはありそうな特製ブレッツェルが副賞として用意されていた。すごいなどこで作ってるんだろ? これ貰っていたら食べきれないな。
艶のあるこげ茶色の独特なドイツのパン、ブレッツェル。今回の旅で固くてしょっぱくて見た目が奇妙なこのパンの美味しさに気づいた。

これまでも述べてきたとおり、このErmstalマラソン、しっかり盛り上がる大会だった。出走者数が少ないことで、コンパクトな会場で運営でき、アットホームな雰囲気があってスタッフとの距離感も近い。ごった返した人ごみにウンザリすることもないし、コースはスムーズに走れるし、会場にまとまり感があるので表彰式などもしやすい。つまり、いいことづくめという気がしてきた。日本では考えられないパターンだ。人数の少ない、規模の小さな大会はお金も集まらないからコース設定から会場設営まで何かとショボい、という方程式はここドイツにおいては成り立たないようだ。むしろ、この一イベントを少ない人数でシェアしているので一人あたりのウマ味が大きいと感じた。その上エントリー代も破格値だし、採算とれているのかという点が気がかりだが、不思議なことにスポンサーもたくさんついている。アウトレット関連企業ではなさそう。そして、後で知ったけど優勝者には賞金も用意されていた。もしこの大会がそっくり日本で行われたら参加希望者の殺到間違いないのでは。
大会成功の秘訣はなんだろう。運営者の知恵と努力の賜物なのか、集まる選手の気概なのか、補助金制度などの色んなバックアップのおかげなのか、ドイツの土地柄が可能にしているのか、謎だらけだが。

まだにぎやかに大会は続いているが(実はほかにもいろんな種目が続き、スタッフは大変そうだ)、市の中心部をぶらぶらと歩いてみる。どこを歩いてもきれいな町並みが続くのは、観光都市に限ったことではないようだ。日曜でショップはほとんど閉まっていて、普段の街の活気を窺い知れないのが残念。
やがてアウトレット店が立ち並ぶエリアへとたどり着いた。なるほどこれはすごい。自然発生的に次々と店が建ち大きくなっていったとのことで、各店舗が単独で存在しているのがここの特徴。地元企業HugoBossが生地の切れっ端を売り始めたことがその始まりらしい。つまりここは計画的に作られた三井アウトレットパークなどとは成り立ちが異なる。ヨーロッパにおけるアウトレット発祥の地とも言えるのかもしれない。

再びレース会場へと戻ると、さらなる盛り上がりを見せていた。1歳刻みでカテゴリー分けされたキッズ部門に人だかりができている。地元の大運動会になっているのだ。もしかすると僕らマラソン部門はイベントの前座だったのか? 水色の大会Tシャツに身を包んだ大勢の子供たちが元気よく駆け抜けていく様を見ていると、ここメッツィンゲンの未来は安泰だなと感じた。

午後5時近く、プログラムがすべて終わり、コースの片づけを少し手伝い、偶然通りかかった若い大会会長にも一言お礼を告げたあと、いよいよ鳥飼さんの車に同乗してご自宅へ。奇遇にもマラソンコース沿いの家だった。裏手の向こうにはぶどう畑の斜面があり、ベランダからはきれいな街並みと美しい山々が見渡せる、素晴らしい住環境に思わずため息。
「片言の日本語を話す」息子さんの存在は伺っていたが僕は勝手に高校生くらいを、カントクは30前後の社会人を想像していた。いざお会いしてみると、僕の読みが当たったよ学生さんだね、と思ったら27と聞いてびっくり。齢より若く見えるという日本人的特徴をしっかり受け継いでいるようだ。
よそ様の家を覗くなんて失礼、などとドイツ人は考えないから大丈夫よ、とのことで、家の中を隅々まで拝見させてもらった。建物の外観はあれこれ見てきたが中がどうなっているのかはホテル以外全く知らないので興味津々。外観は屋根瓦や壁の色など条例等で規制されているそうで、建売でまだ築が浅いという真新しさを知り得る要素は少なく、周囲に馴染んでいる。インテリアは、天井に渡る太い木材の梁などが目を引くが、基本的には日本人にも違和感のない家庭的な雰囲気でまとめられている。全体的に家の中でもフォーマルを貫く印象のオランダに対し、ドイツはリラックス&カジュアルな感じかな。各家庭には(集合住宅でも)必ず地下貯蔵庫があるそうで、食料備蓄の考え方が昔から根付いている。息子さんが日本へ行くたびにスーツケース一杯に買って帰るというカップヌードルが大事に保管されているのが面白かった。ドイツでも買えるが醤油系の味がないのが物足りないのだそうだ。それを聞いて僕はドイツのカップラーメンを土産に買っていったが、日清製が数点ある程度で、市場規模はごくわずか。カップラーメンで生きている日本人は多いんだなと改めて思う。
ボイラー室があり燃料は重油、冬の暖房にかけては北海道よりも重装備のようだ。その代わりクーラーは無いみたいで、日が当たる3階の部屋は結構暑くなっていた。その息子さんの部屋には浅草で見かけるような提灯やハッピがどーんとかけられていて、この「ナンチャッテ日本風」は日本文化に詳しいはずの彼の目にも興味深く映るようだ。
物静かなご主人は煙突掃除のマイスターで、日本人に通ずる穏やかさや優しさを感じる人だ。個人事業主でありながら消防署の仕事も兼ねていて、今日はレース中に出動要請?があり、コースは交通規制のため自宅から自転車で出向いたとの事。
庭でたくさんのソーセージを焼いてくれた。こういうのはやはり男の仕事なのかな? 焼いている間、ドイツ語の分からない僕らと日本語の話せない?ご主人との間でしばし無言の時が流れる。んー、色々と話したいんだけど何も話せない、それは僕らが引っ込み思案だから? それとも言語の壁?
ただ、もしかするとその歯痒さはご主人も同じように感じているのかも、などと思ったら、少し通じ合えた気がした。それにしても、思いつく限りのなにかを話せばよかったな。
5人でソーセージを囲んで夕食。ドイツというとソーセージだが意外と食べる機会に恵まれなかった。この日僕はさまざまな種類のソーセージを食べ比べることができた。日本市場でもソーセージに関しては割と種類があるが、それらは偏った種類を細かく分類しているにすぎない、という点でビールと共通性を感じる。
昼に飲んだノンアルコールビールが印象的だったので、ご主人が愛飲しているノンアルコールを頂いた。酵母入りで注ぎ方も同じ気遣いで。ノンアルコール作りも気合の入れ方が違う。泡はきめ細かく、濁り系の香りと甘みがあって美味い。むー、これなら毎晩ノンアルコールビールでいいかも。というか、第3のビールとかって、何のために飲んでるんだろ?って気がしてきた。

「Metzingenのぶどう畑から作られるワインはなかなか美味しいが、地元で消費されてほとんど外に出ることはない」という話を聞いたら、そりゃぜひともお土産に買って帰りたくなった。しかし今日は日曜でお店はどこも閉まっている。そこは図々しくお願いして、貯蔵庫にあった赤と白一本ずつ譲ってもらうことに。ドイツワインと聞くと白を連想しがちだがちゃんと両方作っているんだね。僕はお酒の味は正直判らないが、きっと僕らが走ったコースの香りが蘇ることだろう。大事に包んで持って帰った。
駅まで送っていただき、ご夫婦に見送られながら乗り込む。まだ外は明るく、もっと話がしたかったなあ。遠慮して帰りの便を早く指定してしまったことを悔やみつつ、電車はStutgartへ向かってスルリと走り出した。