CSC5時間耐久自転車レース参戦日誌
2007/7/21
ペア部門(チーム名:物ポンズ)

春のJCRC修善寺ではZで走らなかったので、今年はまだこの過酷なコースで朽ち果てるまで走る、という経験をしていない。やはり、年に1度はそれをやる意義は大きい気がする。秋の修善寺は佐渡の直後で多分走れないだろうし。
ということで、チームケンズが主催する修善寺5時間耐久レース、ペアの部に出場。半分の2時間半を全力で走ればかなりへたばるのは間違いない。当初実は3人で出るつもりだったんだが人を集められなかった。
朝7時30分、盛永さんと三田で待ち合わせ。駅で待ち構えていたら、予想に反して自走でやって来たモリー、なぜか決戦車LOOKではなく通勤号?であり、ウルトラヘビーホイールを履いている。
なめくさってますね。
道中雨がパラついていて、このあとの晴れ予報もゼロ。そのお陰か週末カーは少なく高速は空いていて、滞りなく小田原まで来た。箱根新道を経て伊豆スカに入る頃は30m先が見えない特濃な霧。これでも通行止めにならない伊豆スカってエライね。
10時過ぎにCSCに着くと、宇津さんと合流できた。毎年チームFサイクルとしてペアで出場しているとのことで、相方のIさんご家族が早々と来て屋根つきのパドックエリアを確保、半分を使わせて頂くことになり、大変助かりました。平に感謝。
チームポテトが大所帯で参加していたのを除けば、JCRCレースのいつもの知り合いはほとんど見かけなかったが、篠崎君を見つけたので声をかけると、不勉強で恐縮だが去年の優勝チームだそうで、勉強不足で失礼しました。ジャパンで見かけた知名人や、後で知ったが塩野絵美嬢もソロで出ており、トライアスリートが散見される。いつものロードレースと違うのはそれだけでなく、参加者のレベルはピンキリで、チームジャージを着ている選手はざっと半数程度で、このコースを走ることが一つの「挑戦」になっているような人とか、DHバー付ブルホンバーとか(ありですか?)、OGKの斬新な形状のヘルメットを被っている人もいた(たしか20年くらい前のモデルか。あれは懐かしすぎる)。

正午、レーススタート
パラパラと降ったり止んだりの空模様だったが、一斉スタートが切られると同時にハッキリと降ってきた。出走チームは全部で187、ゼッケン番号100番台がソロ、200番台がペア、300番台以降が3人以上のチームということで識別できる。まずは集団の恩恵にできるだけ与るのが得策だろうと、第一走はモリーに半ば強引に決定(僕だと集団に着けないから)。最初の30分はピットが閉鎖状態でメンバーチェンジ不可なので、1周10分以下のモリーは必然的に4周走ることになる。
1周目トップは8分を切り、雨とは思えないビックリな速さで通過した。後続はパラパラと分断されながら続き、予想していたメイン集団は全く形成されていない。これは意外だった。モリーは9分20秒と、予定よりは速いがまあ1周目はそういうもん? ってなポジションでやってきた。「引きすぎんなよー」と声をかけるがあまり関係なかっただろう。
今回のペース配分についてはモリーから「1周10分」とあっさり言われていた。モリーにしては妙に手ぬるい目標ゾーンだなと思ったが、僕にとっては逆に自爆ペース。過去にこのコース逆周りをソロで10分切ったことはただの一度も無いのだ。よくできて10分20秒あたりがベストな平均ラインだろうと考えた。選手交代のロスタイムも考えると、二人平均して10分を切るのは無理だろう。
4周を終えたモリーがピットに入ってきた。
モリーの4周のタイム 9:20 9:31 9:37 9:46

1周10分ペースに対し約1分の貯金を引継ぎ、僕が出て行く。雨はほぼ止んでいる。直前に偶然宇津さんがスタートしていて(1周差がある)、最初の上りで追いついた。しばらくはランデブー走行のつもりだったが、下りで差がついたか2号橋で早くも一人になってしまった。周囲に同じペースの人は見えず、概ね追い越すばかりの展開。時たま抜いていく強豪は、これまたスピード差がありすぎて着いていけない。だが、このコースではある程度大集団でもできない限り、下りか上りのどこかで必ずペースが合わず、集団走行のメリットはあまり無いということか、形成されないようだ。
抑えたつもりでも1周目は速い。9分50秒ほどで通過し、そして恐らく想定外の追い込み度だ。目標の1周10分になるべく近づけられる現実的かつ省エネルギーなペースを早く見出さないといけない。垂れて10分11分と落ちてしまってはダメだ。だが2周目も我を忘れて飛ばし、かなりしんどい状況へ自ら追い込んでいる。そして3周目。秀峰亭を過ぎ、続く最初の左高速コーナーで、事は起こった(最初日記では右コーナーと書いたが単純な間違い)。ブレーキングしつつコーナーをややアウター寄りで突入したところ、不意に後輪がツルンと滑り出し、ヤバイと思った時はすでに路面に激突。倒れこむスピードが速くてカウンターもまったく効かず、虚しく上を向いた前輪を眺めながら、ズリズリズリとスライディングして止まった。
うへーこれはかなり恥じくさい。晴れていれば1号橋とここは70km/h前後の最大スピードの出るところであり、ウェットならずとも最も慎重を期すべきコーナーで、ホレ見たことかと言わんばかりにスリップしてしまった。すぐ脇によけて体制を整える。体重の8割を受け止めズリむけた腕から、尋常ならざるシグナルを感じるものの、自転車はチェーンが外れかけた程度で、幸い他に問題は無さそうだ。コーナー監視役のレース関係者が、またか、といった慣れた口調で「みんな外側で滑っているから、内側を回ったほうがいい」とアドバイスをくれた。そうかみんな滑っているのか!? 急いで再スタート、Polarログで見たトータルのロスタイムは約40秒。
不測の落車のようにも思えるが、走りながら考えていくうちに幾つかの要因が次々と思い出され、その積み重ねによるものであることを次第に確信していった。思いつくまま挙げていくと、
・先週のJCRC群馬戦も雨だった。そのときは集団走行で思うようにスピードを上げられない歯痒さが残っていた。自在にライン取りできる今回はそのうっぷん晴らしの心理が間違いなく働いただろう。
・雨は止んでコンディションは徐々に良くなる方向であり、慣れもあって周回を重ねるごとにコーナースピードを上げていった。
・レース前にタイヤに空気を入れる作業では、モリーとしゃべくっていてテキトーにやっていたが、ふと気付くと9気圧まで針が回ったのを覚えている。ZIPP808につけた延長バルブの構造では、簡単に空気を抜くことができない。せめて6気圧くらいにすべきだった。
・そのZIPP、買って1週間後には初期振れが生じており、IMジャパンでも随分と振れた状態で走った。自分で直すのはちと自信が無いのでそのまんま。じんわり効かせるブレーキングは当然ながら無理がある。
というわけで、遅かれ早かれこうなる運命だったであろうが、どこかで転ぶまでは、そうやって省みることは無かっただろう。バカは死ななきゃ治らない。
戒めを胸に刻み、血は垂れ流しつつピットイン。キズの状態を見てピット係が持ち場を離れてかけてきたが、モリーはというと僕の失態に気付かずあらよーっとスタートしていった。
僕の3周のタイム 10:10 9:53 10:34(1周目はピットタイム含む。概ね20秒ほどを要するようだ)

早速水道で傷口をゴシゴシ洗い、異物を取り除く。脚のほうに目をむけると、Orcaのバイクパンツはびりびりに裂けて、ケツが半分はみ出ている有様だ。見苦しいものを晒しながら走っていたことに初めて気付いた。だが今日に限ってパンツの替えを持ってきてない。とりあえずバスタオルを腰に巻いたものの、この半ケツパンツであと4時間も居続けるのは、軽犯罪法に引っかかりそうだと途方に暮れていると、宇津さんが予備のパンツを貸してくれることになった。恐縮極まりないけれどこの上なくありがたく、甘んじてお借りすることに。
第1ヒートとは変ってモリーは穏やかな走りになった。僕の落車が反面教師となり、気張らず安全走行遵守に切り替えたのだろうと思っていたが、前述通り彼は実は気付いておらず、単に自分の中で切り替えたらしい(後でリザルトを見たら、それも1周目だけだったが)。フォトグラファー福島さんが救護室の利用を強く勧めてくれたが、交代の時間が来てしまったのでとりあえずこのままスタートする。
モリー3周のタイム 10:31 9:27 9:28(1周目はピットタイム含む。以下同)

最初の上りで腕から血が滴り落ちてきて、白いバイクシューズを赤く染めた。心拍を上げるとどうやらにじみ出てくるらしい。やはり手当てをしてもらったほうが良さそうだ(→この写真では傷口が逆側で判らないが、すでに落車した後で、宇津さんのパンツを履いている)。
雨が止んで路面が徐々に乾き始めたため、今度の下りは何のためらいもなく安心して飛ばすことができた。その割に1周のタイムは上がらず、既に疲労の蓄積が始まっていることを示していた。後にPolarのログを見た限りでは、下りで明確なタイム短縮は確認できない。ここで稼げるのはせいぜい10秒程度で、それよりも2号橋からの上りスピードのほうがはるかにタイムに影響する。結果的にこの第2ヒートが最も平均タイムが良いが、落車のロスを除けば雨の第1ヒートのほうがタイムは良かった。当り前のことかもしれないが、雨の日にリスク覚悟で飛ばすメリットはほとんどないと肝に銘じよう。
1周ほぼ10分ペースで3周を終え、モリーに交代する。
僕の3周のタイム 10:06 10:01 9:53

走っているモリーそっちのけで、さっそく救護室へ出向いて手当てをしてもらう。出走まであと○○分です、と急かせても、一向にノンビリモードを変えない医務おばさん。腕の施術が終わったところで、時間がきてしまった。脚のほうはまた来なさいよ、としつこく言われつつ、準備をしてピットへ向かうと、そこにモリーがピットイン。これはヤバイ、ダッシュで向かいギリギリ間に合ったぁ、と思ったが、僕がスタンバイしていないことで状況を悟ったモリーは、目の前で叫ぶ僕に気づかずそのまま4周目に行ってしまった。まあそれが当然だろう。
モリーのことだから4周走ろうと何も心配は無いけれど、平等に僕が4周走るデメリットは大きそうだ。隣で見ていた篠崎君に「きっとカンカンに怒って帰ってきますよ」と言われる。
4周目はさすがに10分を少々過ぎて走ってきたモリーと交代。
モリーの4周のタイム 10:23 9:53 9:30 10:06

さて僕も4周を走るために、多少ペースを落とさないといけない。
この頃から再び雨がぱらついてきた。路面は次第にうっすら濡れてきて「あー頼むから降らないでくれー」と祈るが、止む様子はない。当初の完全に塗れていた時よりも、むしろ妙にヌルヌルした印象を与える。コーナーでビビリまくり、自転車を垂直に立ててソロソロ走っても、ふとした拍子に後輪が僅かににゅるんと滑っている(気がする)。インから抜いていく人を見て、必要以上にスローダウンしている自分を客観的に理解するも、トラウマは拭い去ることはできない。やっとの思いで2号橋まで下ってくると、ふーっとため息が出た。辛くても上りのほうが気が楽。雨だろうとノープロブレムなはずの1号橋への下りも、ビビリまくり。いつの間にかこれは重症だ。
4周という条件と、疲労の蓄積で、1周10分のペースが一気に崩れた。3周目は最も酷い10分32秒。ゴルァ何やっとんじゃあ? と一喝したいところだが情けないことに限界。まだ終わりでもないのに全てを出し切って4周目を終えた。1周10分ペースに対し、これまで有していた1分15秒の貯金を、10秒を残して使い果たしてしまった。やはり4周回交代は大いに不適切であったことを思い知る。
僕の4周のタイム 10:10 10:13 10:32 10:22

続く第4ヒートのモリーも、さすがに疲れてきたか平均10分を切れなくなってきた。とは言え、それは後のリザルトで知ったことであって、実はレース中ペースについてはほとんど気にしていなかった。ふと、トータル1周10分ペースからわずか数十秒オーバーしていることに気付いたが、ここから9分台の復活はもはやありえないだろう。
走り終えると、パドックでデレーっと放心状態。それでも、常連Iさんの奥さんによれば、毎年このレースは酷暑で、アスファルトの地熱や照り返しも相まって、見ているだけで大変だそうで、その点今日は涼しくて快適とのこと。雨のレースも一長一短だ。というより、ひょっとするとタイムは良いかもしれない。少なくとも5時間走りっぱなしのソロは炎天下より快適だっただろう。
腕に続き脚の手当てのために救護ルームへ行くと、医務おばさんは不在中だった。脚はパンツがダメージを受け止めてくれたお陰かさほどの傷でもないので放っておくことに決定。
午後4時近くとなり、もうあと1時間で終了なのか! と時の経つのが速く感じた。ラスト15分はメンバー交代禁止であり、お互いどう走るかそろそろ考えねばなるまい、と気付いた頃にモリーが帰ってきた。「残りをどう分担すればいいか考えておいて!」と責任を押し付けて、くたびれた脚に鞭打ってスタート。
モリーの3周のタイム 10:51 9:58 9:55

レース中ずっと選手を追いつづけているフォトグラファー福島さんの前では少しだけ力をこめて走る。1周10分はもはや届かぬものとなり、ヘロヘロと1周して戻ってくると、モリーが「あと1周か2周でいいです」と叫んだ。3周は無いからそりゃ当然だろう?と心で突っ込みつつ、走りながら考える。
終了時刻の5時にフラッグが降られ、そのあとゴールまで走れることになっている。僕らは4時を40秒過ぎて交代したから、残り1時間で周回できる数は99%の確率で6周である。残る1%は、1周9分52秒で走り、5時目前に7周目に突入できる確率、ではなくて、また落車して6周も走れなくなる確率である。
ということは、僕が普段どおり3周するとモリーが残り3周でそのままフィニッシュとなり、周回数に差が出過ぎる。僕が2周、モリーが2周、最後にまた僕が2周すれば、差を少なくできる。きっとそのパターンを読んで、あと1周のセンも有ると言ったに違いない。問題は、4時45分にピット閉鎖となるため、それまでに4周を終えられなければ、モリーが続けて走る羽目になるが、1周11分以上にならなければ可能だ。モリーもそうなっては大変だから最後で飛ばすだろう。
なので2周でピットに入った。というか、もはや2周が限界だ。3周目に行けば大タレするだろう。
ところがモリー、意外な顔をしている。どうやら残り全部を自分が背負い込むつもりらしい。「2周でいいと思うよ」と告げた。というか、3周目で交代はできないよ。
僕の2周のタイム 10:34 10:19

この頃から急に気になりだしたのが、物ポンズチームのポジション。いったい、どの位の成績なんだろう? ずっと走ってきて、ペア200番台で速いチームはあまり見覚えが無い。貼り出された速報を見ると、早い時点では9位、3時間後(くらいだったか)には14位に落ちているものの、予想より悪くない。総合順位なので、チーム人数が少ないほどタレて順位を下げるのも仕方ないか。今はさらに順位を下げている可能性大だが、そんなに悪くは無いかも、ということにして、ラストを自ら鼓舞することにした。ピットで待っていると、モリーがどういうわけか「目が痛くて走れない」と言って入ってきた。目が痛くなかったら3周目に行っていたのか? まあでも、ラスト1周はタイムに関係しないので、次の1周を僕が走るか、3周目となるモリーが担うか、ハッキリ言ってモリーが走ったほうがタイム的には間違いなく良かっただろう。ここに来てのモリーの最後2周のタイムは素晴らしいものだった。
モリーの2周のタイム 9:59 9:57

あと2周と判って飛ばしたつもりだったが、タイムは無残なものだった。相変わらず下りはビビリまくって、ホトホト神経すり減らし、もう勘弁。5時を回り、最終周回の2号橋からの上りで、篠崎君がチームメイトとランでのダウンをしていた。余裕あるなあと思いつつ、最後の登りを渾身をこめて走る。
フィニッシュではスタッフや選手全員がゲートを取り囲んで、まるでトライアスロンのゴールのように雰囲気を盛り上げていた。チームケンズならではの演出と言えるだろうか。終わりよければ全て良し、気分良くゴールさせてもらった。5時間と2分18秒、30周終了。
僕の2周のタイム 10:44 10:22

記録としては29周で終了。物ポンズ 4:51:53.173 (トップ34周) 29.81km/h 総合11位/187チーム中
平均/最大心拍数 未計測 ↑1840m(個人) 26℃


あらためてラップタイムを見ると、モリーの走り方と僕の走り方は異なることが判る。モリーは各ヒートの1周目のみ明らかにゆっくりで、2周目以降速くなっていることが多い。僕の場合、ピットタイム加算のため判りにくいが実は1周目が最も速く、徐々にタレている。

とりあえず休みたくて、帰り支度をする気も起きず、引き上げる宇津さんとは別れてベンチで放心状態。モリーに至っては、スヤスヤ寝ちまってるぞ! あるいは、不甲斐ない僕の走りに呆れてすっかりダウンしてしまったのかもしれない。
表彰式が始まり、一応耳をそばだてていたら、ソロの部2位で今、物ポンズと言った?気がしたのでモリーを叩き起こして、表彰台に上ってみた。「そこ、僕らの場所ですけど」って誰に言われるか身構えていたが、最後まで異議申し立てもなく商品等を受け取れたので、どうやら2位確定らしい。よかったよかった。
レース終了と同時に雨脚は強まり、こんな中でのレースじゃなくてつくづくラッキーだったかもしれないと思い直す。ゆーさろんで脚のキズをシャワーで洗い、早々に脱衣場に戻ると、僕と全く同じ箇所をズル剥けている人を発見し、可笑しくて思わず声をかけてしまった。これはキズの舐め合いって言うんですかね?
帰りの伊豆スカの霧は特濃でまるでお化け屋敷の中を手探りで進むかのような状況となり、生きた心地がしなかった。
* * * * *

後日リザルトを見ると、ペアの部1位のチームとの差は1分16秒。んーちょっと惜しかった。というか、どこかと競うという意識が一切無かったので、そういう白熱する場面を逃したという点が惜しい。
反省点は多い。チーム戦ということを考えれば、リスクを無視した攻めの走りはやはり大いに問題だ。選手交代のバランスを欠いたのもロスタイムに大きく繋がっている。もし落車を免れ、3周交代をきちんと守れていれば、1位との差を詰めて逆転する可能性もあっただろう。