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第20回ツール・ド・おきなわ2008参戦日誌
2008/11/9 市民レース130kmの部 雨の中のレースはどうやら逃れられそうにないことは、数日前から明白であった。 沖縄の濡れた道路はよく滑る。TDO参加者には常識である。ただ、調べてみると「アスファルトに貝殻が混ぜてある」のではなく、砂利や砂等の骨材にコーラルフロック(珊瑚礁石灰岩)と呼ばれるものが使われているかららしい。そういえば以前JAF Mateの記事にもあったが、市道、県道などでその配合率が違うと記憶している。これには、コスト的な要因、強い太陽光に耐えるためなどの説があるが、まあとにかく雨の日にはレンタカーの人も要注意である。追突事故が多いらしい(雪国じゃあるまいし・・・)。 というわけだが、雨のレースだからといってZIPPの使用を躊躇うつもりは無かった。普段通りの感覚でブレーキが効くと、路面μのほうがあっさり負けてロックしてしまう。ブレーキの利きが悪いカーボンリムはその点、バランスが取れているのである。この理屈は合ってますかね? 厳密にはカーボンリムはブレーキの利きが悪いというより、じんわりかけられない、という特性の問題という気もするが、雨のTDOは二度ほど経験があるのでまあ何とかなるだろう、というのが本当の本音。そもそも僕にはカーボンリム以外の選択肢が実は無いのであった。昔使っていたキシリウムはフレが酷く出てしまって練習でも使ってない。 11/8(土) レース前日 現地到着時は晴れ。ここ数日沖縄は異例の暑さとかで、今日もその余波が残り、レンタカー屋でクルマを待つ間に暑さでぐったりしてしまった。今月に入ってからうっすら燻りつづけている風邪の具合も影響しているようだ。ドライバーは浅倉さんに任せっきりで、後ろの席で落ち着かせていただく。 名護に向かうにつれ曇天になってきたが、時折ぱらぱらと降ってくるくらいで本格的ではない。初めて訪れる名護商店街の一角で選手受付がおこなわれていた。国際の部は今年からステージレース化し、今日はこの街中でクリテリウムが行われ、その余韻を僅かに残している。完走したのはほんの数十人らしく、ナルシマの監督として来ていた戸井さんが嘆いていた。DNFの選手は特別ルールで明日も走るだろうとの大方の予想だが、このことがレース展開にどんな影響を及ぼすだろうか。 ![]() 徐々に暗くなる中、野津さんはライトを持って試走に行った。 僕ら物ポンズもとりあえず普久川ダム上りのふもと、与那まで走ってみる。去年の強烈な向かい風はなく、とても走りやすい。あの強風はレースの主要な場面で背中を押してくれるので、ソロ走行になりやすい僕にとって実はありがたい存在ということが判ってきた。無風となるとちょっと作戦も変わってくるだろう(大した作戦でもないが)。 10時前に就寝。比較的よく寝られた。 11月9日(日) レース当日 シトシトと雨の降るなか、5時半に朝食。例によって昨晩食べ過ぎてあまり食欲が無い。 ボトルの準備。一つはオクマのおいしい水道水、もう一つはアイアンマンジャパンの例に倣って、アミノバイタルゼリーを3つ詰めた。保険で羊羹とPowerJel一つをポケットに入れる。源河の起爆剤トップテンをフラスクに移し変えてポケットに。CrampStopはもちろん必携。 雨天につき、水を吸って重くなるインナーおよび靴下を切り捨てる。靴下はどうせグチョグチョの真っ黒になるだけだし、ランと違って靴下の重要性はほとんど感じてない(というか判らない)。DMTになり靴擦れしにくくなってからは、靴下を履く理由はほぼ「気分」だ。 スタート会場である道の駅に行くと、ほとんどの人は雨宿りをしてアップを諦めている様子。これはスロースターターな僕にとって好都合だろう。少し雨脚が弱まったところで、ビニル袋を被ったまま走りに出た。 昨日と違って風があるが、さほど強くは無い。雨の日に風まで強いと追い風爆走モードがかなり怖いのでちょうどいい按配と思われた。10kmも走らずに終わりにした。これ以上は雨で冷えて無駄に体力を消耗しそうだ。 予定の時刻をすぎてもトップの200km国際が通過しない。雨のせいもあるのだろうか、ようやく通過したのが数人の逃げ選手、そのさらに7分後に大集団が続く。あまりに遅いため市民200kmが迫ってしまい、いつぞやの悪夢の再来、すなわち我々130kmより市民200kmを先に行かせるという番狂わせが発生した。我々のスタート時刻は昨年より実に20分以上も遅れ、もし関門の脚切り時刻が予定通りならば選手のほとんどが引っかかるであろう事態になった。我々の運命はいかに? 8:54:53 a.m. 市民130kmの部スタート 雨、それに向かい風が弱いため集団密度は常識的レベルだ。浅倉さんの後ろで安全運転に徹する。生きた心地がしなかった去年からみたらずっと平和だ。しかし、20分以上寒い格好でスタートを待たされ、身体が冷えて寒くて仕方がない。慈朗さんは前寄りをキープしている。多分恐怖心も3割ほど加わり、歯をガチガチ言わせながら、与那のコーナーまで無事到着。ここから早くも本日最大の勝負所が待っているが、ようやく温まることができると歓迎する気持ちも微かにあった。 普久川ダム上り(頂上までは7.8km) 去年のように前の選手に1cmたりとも離れまいと緻密にスピードコントロールするのは止めて、多少遅れても努めて自然体で上ることを言い聞かせていた。少し重めのギア比を選択し、大腰筋と太腿あたりのパワーを意識して、局所的にトルクをかけずにペダルの12時から深めの5時くらいまで均一に、骨と関節で踏むことを心がける。乳酸をできる限り溜めず、心肺機能と集中力の勝負に持っていくイメージで。 坂が若干きつくなったあたりでダンシングに切り替えると、簡単にスリップして走りに集中できない。予想していたことではあったがこの程度の斜度で滑るとは。 矛盾するようではあるが、去年ほどの辛さと逼迫感がない代わりに、前半飛ばしすぎたかタレが出始めた。トップはまだ見えているが徐々に離されている。後ろを振り返ると・・・あれー見事に誰もいない。明らかに、ハッキリクッキリと3-40名の第1集団が形成されていることを認めた。去年のように、この集団に後続集団が追いつくシナリオはまず絶望的と悟った。そして今、自分はその集団から切れかかっている。 後で思えば、ここで僕のレースは一つ終わった瞬間だった。重要度を認識し、必死の追走を試みる強い決意が見事に欠けていた。 山岳ポイントを通過し、ここからはTDOで最も手強い下りが待っている。TDOのコースは全体的にほとんどテクニカルではないが、雨という条件が一気に難易度を上げる。なぜなら単なる真っ直ぐな道でも滑って転ぶ奴がいるくらいだからだ。早速コーナーでズリっとこけている奴が出てきて、戒めの材料には事欠かない。 道を正確に覚えていないので慎重に下っている途中、この区間でも特に難しいと思われる複合Rの右コーナーで、僕の前方を走っていた二人が立て続けにスリップ、転倒した。思いがけず僕の走路に二つの障害物が立ちはだかる! これは何かの試練ですか? コーナリングのラインを変更するのは今更不可能。転んだ二人の姿が目の前に迫る。万事休す!!! 早くもここでレースは強制終了、いや、レース人生が終了だろうかと、この後訪れる悲劇を一瞬で頭に描きつつ、すんでのところで二人の僅かな間隙をすり抜けた。後輪のZIPPが左側の物体に当たったが転倒は免れた。 おいおいおいおい頼むよ〜〜〜。 ![]() 補給所を過ぎた上り坂→でカメラを構えた綾野さんに声をかけられる。そこでふと、他の物ポンメンバーはどうしたんだっけ? と気になり始めた。第1集団には誰もいなかったはず、と思ってふと振り向くと慈朗さんが真後ろにいた。 奥〜辺戸岬〜与那 再び下りに入る。徐々に人が増えてきて、第2集団と呼べるような態勢が出来つつあった。まずは下りの得意なデュークさんが加わり、頼りない僕に代わって下りをペースアップ。やがて浅倉さんや丹羽さんも居ることに気付いた。僕もなんとしても第1集団に追いつくべく、今までにない積極性を発揮して引いた。途中から丹羽さんも加わり、先頭交代のリズムも出来るだろうと期待したがしかしなかなか上手く回らない。なぜだろうと観察してみると明らかにパイプ詰まり工作員が含まれていて、先頭5番手以内の好位置を常にキープしつつ決して前には出ない者がいる(仮にナヨオとしておこう)。これじゃ単なる邪魔者だし、回してけ!と直接言ってみたけどすごく辛そうなフリでごまかすばかりだ。ホントに辛いんなら後ろで休んでろよ。こういうのを抑えのアシストって言うんだろうか。だとすると実に見事な仕事をしていたが、一体誰のアシスト? 暫らくして疲れてきたので後退する。トップ集団復帰への僅かな望みが、実は欠片も無いことをとうとう認めてきたとも言えるだろう。 丹羽さんとデュークさん、それに理科大と一部の人(ほとんど覚えてない)が引くばかりの走行が続く。ナヨオの仕事ぶりは徹底している(笑)。 奥の上りへとやってきた。ここで再び頭に出て、ペースアップを図る。というか、僕ごときが先頭のペースを作るというのがそもそもおかしい。奥の上りはこれまでのレースでは集団から切れないようゲロを吐くくらい辛い区間だったが、今のこの速度は遅すぎる(Polarデータを見比べても、去年よりざっと2km/h以上遅く、決して体感的な話ではない)。坂でペースを上げすぎると集団の秩序を乱すだけの奴としか見られないので抑えざるを得ない。この時点で皆が疲れてきたとは思えないし、つまりは集団の士気がいまひとつということだろう。第1集団と第2集団には大きな隔たりがある、と痛感する場面だった。 奥からの下りではやはりデュークさんが攻めの走り。対照的に僕はビビりが入ってポジションをずるずる下げて海岸爆走モードへと入る。あいにく爆走にならず、平均42km/hくらいで推移する。追い風がやはり弱いようだ。先頭交代も相変わらずスムーズではなく、デュークさんと丹羽さんが苦労している模様だ。 おや? 意外なところでポンズジャージを発見。追いついてみると200kmの滝山さんだった。「ダメだよこんなとこにいちゃー」と言うので「お互い様でしょぉ〜?」と返す。余裕のペースだったので連結してくるかと思っていたが、すぐ離れてしまったらしい。残念。 ![]() 2回目の普久川ダム上り 本日二つ目の勝負所と言いたいが、これまでの走りで集団がガツンと上げてくるとは思えず、気楽なダムのぼりへと入る。 スルスルと前へ移動し、先頭付近で走る。この上りではタダ乗りしている人や妨害工作員を切り捨て、やる気のある4-5人に絞ればこのあとゴールまで協調体制をとって楽しいレースになるだろうと踏んだ。事実その通りになり、大体のメンツが絞られてきた。慈朗さんや浅倉さんがクイっと上げていく場面もありいい感じだ。 ダンシングは相変わらずスリップしてしまうが、赤い特殊舗装面はスリップしないことに気づき、積極的に利用した。ただこの舗装面はザラザラした感じでグリップ力が今一信用できず、下りでアテにできないんだよな。なぜだろうか。 遅れている85kmクラスを次々にパスする。そういえば彼らにしてみたらスタートしてまだ一つ目の坂なのに、黄金のタレ具合はこちらが心配してしまうほど。この付近はまさに初心者でーすって感じで、TDOはレベルの幅が意外に広いんだなあと思った。ちゃんとゴールまで行く体力残っているですか? 8割ペースで峠をクリアし、いよいよ下りへと入る。1周目の下りのハプニングを思い出し、慎重度はさらに増した。峠をトップ付近でクリアしたので余裕もあったのだろう。 「例の悪夢のコーナーは確かこの辺りだったはず」と慎重に下っていると、トロトロ走ってんじゃねー!と言わんばかりに、すぐ右脇をバビューンとかなりの速度差で追い越していく奴がいた。彼は右コーナーをイン(反対車線)をついて最短で曲がっていく。とその時だ。 ガシャーン。あっさりこけやがった。言わんこっちゃねー。スリップした彼はアウトコーナーまですべり、つまり僕の走るライン上まで来て止まった。な・に・し・て・く・れ・る・ー! 1周目で奇跡的なすり抜けを演じた、あのコーナーで、再び障害物が突如現れた。これは何かの試練ですか? 彼の右をすり抜けるにはRがきつすぎてスリップする、左をすり抜けるとその後コースアウトする、これはもう、何とか止まるしかない。出来る限りのフルブレーキング。しかし空しく障害物は目の前に迫り、ガツン! と横倒しの自転車に突っ込む。左に吹っ飛んで転倒。ガッデム! すぐさま起き上がると、意外と身体は何とも無い。彼はまだそこでごろんとしている。 「早く避けろ!そこに居るんじゃない!」と叫ぶが、「おれっち何で転んだんだろう?」とでも考えているのか、ボーっとして全然頭が回ってない様子。 ちょうどその現場を通り過ぎた浅倉さんの証言によれば、僕は笑顔だったというのだが、僕の頭の中は、この衝撃でまず前輪はパンクし、フォークは破損し、DNFは必至と思っていたので、すっかり観念した顔だったのだろう。が、チェックするとEVO-CXは7気圧のままだし、フォークも曲がってない。前輪を回してみると、若干フレが出たがブレーキアーチを開放させればシューに当たらないことが判った。まだ続行できそうだ。 外れたチェーンをはめなおし、ソロソロと走り出す。Polarデータに因れば、落車時の完全ストップタイムは意外に短く38秒ほど。徐々に問題ないことを確認して、少しずつスピードを上げていく。そのときデュークさんが追い越していった。これはいいパートナーに巡り会えたぞ、と後を追った。 ところが、下りの得意なデュークさんと、片やこの転倒がすっかりトラウマになり(自分がスリップしたわけじゃないのに)、カンカンカンと不気味なサウンドを発するフレの出たZIPPでますます下りが遅い自分とでは、その差は開くばかり。補給所でスポドリを一つ取り、安波までの長い下りではハンドルにしがみ付いて下る。怖いよーたまらんよーションベンちびっちゃうよー(それはそれでOKだけどさ)。当初の38秒差がどんどん膨れ上がってもはや取り返しのつかない差を生んでいた。 やっと下り終えたときの安堵感は筆舌に尽くし難い程であった。もうこんな恐いのはイヤじゃー。 ![]() 物ポンメンバー、それに普久川を一緒に上ったメンツに追いつくべく、追走を開始する。本人は追いかけているつもりでも、実態はどんどん離されつつあると考えるのが普通だが。高江の上りは比較的長い。途中でデュークさん他数名に追いついた。よし、まずはこの集団で行くぞ! と思ったのだが、デュークさんは上りで遅れてしまう。この後も頻繁に下りはあり、再び追いつかれることを予想してそのまま行くことにした。 ふと見ると200kmの大浜さんがチェーンを落としたらしく止まっているのが見えた(本来なら大浜さんと遭遇するはずは無いのだが、中盤でパンクに見舞われかなり遅れたらしい)。何となく声を掛けにくく、そのまま200mほど先行した頃、「何だよ終わりじゃねーか!」との絶叫が静寂な山林に響き渡った。びっくりしたなーもう。後で聞いたらチェーンが切れたらしく、そりゃ確かに「終わりだ」と思うかも(その後メカニックを待ってチェーンを繋いでもらい続行)。 トライアスロン歴20年の僕としては、自転車における最速イーブンペース走はそれなりに自信がある。そして、前の集団を追う今はまさにその走りを実践中である。 しかしながら、どうも周りとはペースが合わない。下りがダメなのはさておき、上り区間で先に出てしまうようだ。ディープリム装着車のイメージとしては逆なんだろうけど、これが僕にとってのイーブンペースなのだ。集団に気を使うのは却って調子が崩れるので基本的にソロ走行のつもりで拘らないことにする。彼等が僕に気付いて乗っかってくれば、そこで初めてローテーションしようと考えていたが、案外無視されるので嫌われ者なのだろうかと少々落ち込む。 あるとき、二名の130kmを引き連れた85kmのオーベストの一人が「協力して行きましょう」と声をかけて前に出てきた。そうこなくっちゃ。計4人となった集団はリズミカルに回し始めた。全員の意思の統一が図れた走りが初めて実現し、これはいいかもしれないと思ったが、長くは続かなかった。僕は85kmの人の後ろを走っていたが、軽い上りで彼が中切れを起こし始めた。頃合を見て前に出て繕い、態勢を立て直そうと試みたところ、あるところで彼は渾身の力で僕のお尻を押して、潔くバックアタックを決めてしまった。諦めるのが少し早すぎるじゃないかとも思ったが、彼のその義理堅い行動には、一押し以上のパワーを確かに受け取った。 平良の海岸沿いの平坦路でもちょうど行きずりの集団と一緒になる。ここで印象深いのは、暫らく前から同じペースとなったナヨオの存在だ。今度は先頭交代に加わっている。前半のあの行動の意味は何だったんだろう? 緩やかな左カーブの遥か先に、10名規模の集団が見えた。もしかするとあれが、僕が追い続けている130kmの集団だろうか? 「みんな、あそこまで追いつこーぜ!」 余裕があったので前を長めに引く。だがふと振り返ると着いてきてない。気持ち1km/h程スピードアップしただけなのになぜ切り離すんだ? この平良の海岸線は毎年不思議とペースが落ち、そして逆放置される不可解な区間だ。 薄々感じていたもののようやく確信に至ったこととして、追いついた集団は結局使い物にならないということだ。一瞬後ろについて、雨宿りのように休むのは有効だが、彼らのスピードを底上げしつつ自分も楽をするなんてことは期待できない。早々に見切りをつける運命なのだ。 最後のエイドは何も貰わずに通過する。確かちょうどこの頃は8人前後の混成集団と一緒になり、そのまま有銘の上り(源河坂)へと突入した。 有銘(源河)の上り〜源河 2名ほど、勝負所とばかりにクイっと上げていく。彼らはここ30kmほどよく見かけていた常連の人だが、こうして結局一緒になっているのにこれまで協力体制がほとんど出来てない。僕の走りはかなりウザイってレッテルを貼られているかもしれん。まあ、僕は他人のために走っているのではないので、知ったことではない。 ここで僕は計画通り、ひゅ〜ずさん入魂のトップテンを半分飲む。この特濃ドリンクを無造作に飲んだら喉でむせて、ネバネバが気道を半分くらい塞いでしまったように息苦しくなった。これはヤバイ、と水を飲んだりしているうちにズルズル引き離された。ゲホゲホ! とは言うものの、彼等の上りスピードはもうよく判っていたので落ち着いて追う。 とそこに、見覚えのある水色のジャージを発見、脚を見ればすぐ判る、F誌編集長だった。意外にもレース中遭遇できたことが単純に嬉しくて「ファイトっす!」と挨拶すると、 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウイッス!!」 しばし沈黙の後で、自分に渇を入れるかのように叫んだ。しまった、この正念場にしては安易すぎる言葉をかけてしまったか?と思うほど、真剣で鋭い眼差しが逆にこれまでの過酷さを物語っているようだった。後で聞いたところでは、200km集団のトンネル内大落車事件に例外なく巻き込まれたが、重度のメカトラで復帰に10分以上かかったという。こうなるともう周囲に脚の合う仲間がないことは、2分遅れた僕でも痛感している。延々一人で追走してこの坂を迎えたに違いない。 その後は瀬田さんに遭遇し、「なんで(Aクラスが)85km?」とツッこみ、先行されていた同行選手もパスして一人黙々と上る。もし第1集団に残れたとしてもこんな速度じゃ即切れだ、まだまだ課題は大きいなと形ばかりの反省を唱えつつ、頑張らない上りで意外とすんなり名護市の看板を通過した。去年はしんどかった上り返しも普通にクリアし、70km/hは軽く出る源河への下りはまた慎重に。関門所で僕を呼ぶ声が聞こえ、一体誰が?と不思議だったが、その正体はホソヌマさんだった。ありがとうございます。 名護市内平坦路 ![]() そうやって前に見えるソロや小集団を目標にしつつ、見えない何かを追っていく。85km国際女子が一人混じった集団に追いついたときは、その彼女が飛び出して僕に着いて来てくれたが、しばらくするとまたソロに。はるか遠くに5,6人の集団が見えた。あれは慈朗さんのいる集団だろうかと考えつつ、ゴールはもう目前で最早どんなことがあろうと追いつけない。最後のスプリント直線に入ると向かい風になってしんどくなったが、下ハン持って最後のもがき。40km/h維持が限界。結局一人で静かにゴールした。 ![]() あれっ? 上ハン持ってるじゃん Special thanks to 綾野さん
3:57:50.8 44位(トップから0:18:42遅れ) 平均/最大心拍数142/165bpm 平均速度32.80km/h 雨〜小雨 21℃ 弱風 2936kcal スタートから持参し摂取した物:水300ml アミノバイタルゼリー×2 トップテン エイドで摂ったもの:スポドリボトル 150ml ゴール後 すぐ後ろに130kmがごそっといる集団がゴールしたのが見えた(リザルトによると9人)。ラスト2km付近で後方確認したときは誰も見えなかったのに、いつのまに迫っていたんだろう? 最後のこの平坦路でようやく集団走の本領発揮と相成ったのだろう、どっと追い越されるところだった。危ない危ない。それじゃ去年の二の舞だもんな。 慈朗さんと浅倉さんが江國さんと歓談していた。二人は仲良くゴールまで行き、スプリント勝負で浅倉さんが取ったらしい。丹羽さんは高江の上りで脚が止まったらしく、番狂わせで10分以上遅れてゴール。多分前半の引きすぎが効いたと思う。遠藤さんと恒川さんは高江の関門ストップ。しかし今年の130kmはスタートが遅れた関係で非常に厳しかった。300名程度(正確なデータが判らない)の出走者数に対し、ゴールしたのは105人だけ。去年の条件だったら二人とも完走していた可能性は高い。 雨天のためスタートラインに立つことを諦めた人もいたようだ。走った後で、それも十分アリだとしみじみ思う。奥の関門で早々にレースを降りた細沼さん、ただし身の安全のためというより11sスーパーレコードのため、ってのはどうなんですかね? 伝説のレーサー、野津さんは2度目のダム上りまでは第1集団でクリア。そういえばHotStaffのウェアだったのでマークし損ねていた。レース中は一度も見かけていない。僕がコケた下り坂で安全優先のため集団を見送り、31位でゴール。やはり野津さんは強かった。毎週練習している我々は何なのだ。改めて凄い人だと思う。 ![]() とに角、雨の下りで今日ほどビビった事はなかった。こんなに神経すり減らして、生きた心地のしないレースなんて全然面白くない、来年は出るのを止めようかと走りながら本気で考えていた。でもまた1年経てば実感としては忘れてしまうんだろうけど。ただ、雨の日は同じカーボンでもZIPPより制動力で信頼度の高いWH7801Cのほうをチョイスしたほうが良いかもしれない。それに、下りでスピードが出すぎても全然有りがたくない。 200kmの部では前述した通りトンネル内で大落車があったそうで、奈良さんや二郎さんも転んだらしい。いやいや恐ろしすぎる。にもかかわらず、奈良さんは3位に入り、初の表彰台となった。本人はあまり満足してない様子。強い人は目標が違うね。 表彰式で奈良さんが壇上に上がる場面では、会場の拍手が誰よりも多かったのが印象的だった。ファンが多い。 ![]() 「今日の下りは面白かったねー」だそうで。 翌日は遠藤さん企画のツアー。メインは塩工場の見学。窓から覗いた作業員は最瞬間製薬の人みたいだったよ。ここで買ったお土産はかなり評判が良かった。あれこれ悩んだだけのことはある!遠藤さんナイス企画。お昼に入った郷土料理屋もアタリで満足。
出来たか出来なかったかに関わらず、第1集団に意地でも喰らいつく努力がやや手ぬるかったのは大きな反省点。まあでも、その場では「もういいや」って思っちゃったんだよな。それに、おそらくダム湖への下りで千切れた可能性大。ま、とに角余裕でトップ集団でクリアできる力をつけないとダメだろう。 浅倉さん達は僕の2分前にゴールしており、結局転倒が原因で生じた差を最後まで埋めることができなかった。たった2分、縮められなかったか。差を広げられなかっただけマシと考えよう。浅倉さんのいた集団も消極的で不満があったそうなので、3人いればかなり阿吽の呼吸で効率的な走りが出来たかと思うと、転倒がつくづく悔やまれる。 さらに、現場を見た浅倉さんによれば、「あれは避けられたはず」とのこと。僕自身、実は避けられたんではないかとの思いもある。あまりにも律儀に、障害物に向かって突進してしまった。回避を早々に諦めて、いかに衝突を少ないものに抑えるかという発想に切り替えてしまった。さっさと観念してしまうのは昔からの僕の悪い癖だ。 カーブでは、止まる事を考えると絶対に曲がれない。 障害物は注視するな。かならずその方向に進む。 路面のあまりの頼りなさに、それらのマイ鉄則をすっかり忘れてしまっていた。打ち上げで三上店長と話した時の「速く下ろうとせず、楽しんで下るんだ」の言葉は、悪条件な下りが誰よりも得意な店長だからそんなことが言えるんでしょ、と言い返したくなったけど、よく考えればたしかに的を射ていると思う。前向きな攻めの気持ちで下ることがやはり重要だ。この難しい条件をゲーム感覚で楽しめと。さらに店長は、道路状況だけでなく回りの選手のポジションの変化などあらゆる情報を考えるのが楽しいんだ、と話していた。貰い落車は言い訳にならないってことだ。なるほど僕も無謀な彼が追い越して行った時に、そこで滑るかもしれないという悪い予感はあったわけだし、先読みして自分のラインを考えていれば回避行動にもう少し心のゆとりが出たはずなのだ。いや、それらを全く考えてないわけではなかったが、どちらかというと思考をシャットアウトしようと脳が働いていた気がする。 まあでも、あの雨の中ホントに無事で良かったよ。 |
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