佐倉朝日健康マラソン2013参戦日誌
2013/3/24
42.195km
我が家の最寄り駅から京成佐倉までは乗り換えなしで行くことができるが、早朝はその直通が少ない。レース直前の長時間立ちっぱなしはダメージが大きいので、到着が遅くなるのを承知で、座っていける電車を選んだ。
つまり、ひとたび電車に乗ったが最後、佐倉駅含めトイレは無いものと見るべき。なので余裕を持って起床し牛乳を飲むなどして身体を目覚めさせる。その甲斐あって腸はスッキリしたが、家を出る直前にも、駅でも念入りにトイレに寄って膀胱を空にしていく。
ところが、電車に乗り込んで出発を待つ間に早くも尿意が再来。いまさっき行ったのは夢か?
スタート3時間前のセオリーに従い、先ほど握ったばかりのおにぎりを食べ始める。車内はまだ空いていてランナー風な人も数人見かけるのみだ。
電車の遅れなどもあったが無事8時に京成佐倉駅に到着した。
大会会場までの無料シャトルバスが用意されているが、いつ乗れるのか目処がたたないほど長蛇の列になっている。徒歩で行く人も多い。前回参加したとき(9年前)は確か歩いた。しかし、駅から大会会場までは優に2km以上あるのだ。
今回、時間が押しているので計画通りタクシーを利用する。膀胱も破裂寸前だし・・・。幸いタクシー待ちの列は短く、後ろの夫婦に声をかけて4人乗車で安く済んだ。
受付を終え、運動公園内の仮設トイレへ駆け込んだ。呆れるほど出る。朝から大量に水分を摂ったわけでもないのになぜだろう。
陸上競技場メインスタンドでニーマル関東支部9名が集合。最速のシンさんは新たにこしらえたばかりの肉離れで泣く泣くDNS。でも応援に来てくれるなんてありがたいこってす。
ゲストの小出監督が「みなさん今日はベストタイム出ますよ〜」と言っている。「調子良すぎてオーバーペースにならないよう気をつけてくださいよ〜。マラソンは、20km、いや、30kmまでなら誰でもキロ5分くらいで行けちゃうものです。そこからが大変なんですよ」
制限時間6時間の佐倉で、一体誰を相手に話してるんだこのおっさんは。
気温は10℃ほど。ここ数日、突然夏日のような暑さになったり台風のような風が吹き荒れたりしたことを思えば、今日の雨予報はまあマシなほうかと考えていたが、どうやら降る気配も薄れ、小出監督でなくとも今日が絶好のマラソン日和であることは容易に推測できた。
ただ、高い負荷を維持できない市民ランナーにとって10℃という寒さは若干気になる。ランシャツの下にTシャツを着ることにした。それに加えてアームカバー、脚はカーフガードが寒さ避けになるだろう。念のためホットバルム2番を露出部に塗りこむ。
スタート直前にもう一度トイレへ。再び大量。朝から計何CC出ただろうか? そこでふと思う。昨日までの何となくダルくて重い感じが老廃物としてデトックスされたのではないか。出るべくして出たものではないか。
つまり、単なる軽量化だけでなく、調子を取り戻した証なのだ、多分。そう考えると嬉しくなり、今日の目標設定に戸惑いがなくなった。
走り出して無理を感じなければ、とりあえずキロ4分15ペースで行ってみよう。
2月から再開したスポクラのトレッドミル環境と、駒沢公園というモチベーションの場のおかげで、ここ2ヶ月で急速に走力を取り戻してきた実感はあった。しかし、そうは言ってもたった2ヶ月。サブ3ペースはまだまだ現時点ではキツくて、日によっては楽に感じても、また別の日には5kmも続かないペースだったりする。疲労が抜けた今日はおそらく体調的にはベストに近いはずだ。まずは無理なくスタートできるだろう。最後まで走り通すのは恐らく難しいが、調子次第で適宜目標を修正していこう。
と決めた。
陸上競技場へ急ぐ途中でアミノバリュースティックを1本飲む。水ナシでも飲めるのが美点だ。
9:30 a.m. フルマラソンの部 スタート
結構前のほうに入れたので、スタートは10秒で通過できた。ほとんどロスがない。過去のかすみがうらや東京でこんな条件だったらどれほど嬉しかっただろう。
運動公園は高台にあるのですぐ下り坂が始まる。帰りはここを上らなければならない。
後ろからSHUさんに声を掛けられた。トイレに手間取り不本意なスタートだったらしい。まだ1kmも走ってないから何の問題も無いでしょ。サブ3ペーサーはどこにいるかって? そんなもんいたかな? スタート時、僕より前のわずかな範囲にペーサーが紛れているとは思えなかった。居るとしても背後なのでは。だがSHUさんはペーサーを捜して前へ突進していった。ほとんどダッシュのような速さで、抑えようなんて気はさらさらないみたいだ。
スタートの混雑と京成佐倉駅までのエグいアップダウン区間は、身体が温まるまで無理せず自然なペースで走ろうと決めていたが、やや自分に甘すぎたかもしれない。キロ4分15ペースに対し早くも1分遅れていることに気付く。
キロ表示板は1km毎にあるが小さいのでランナーが密集する序盤は見つけにくい。3、4kmと続けてスルーしてしまった。節目となる次は見落とさないよう気をつけねば。
アキレス腱周辺がこわばって痛い。
0-5km 22:14 P4:27 (スタートロス10秒含む)
5km地点も普通の距離表示で、計測マットもなかった。つまり5km毎の公式通過タイムは出ないってことだ。
身体は十分温まったといえる。キロ4分15以内に収めるべく、徐々にペースアップ。
気が付くと前方200mほどに、宿り木のようにランナーがこんもり密集しているのが見えた。ああ、あれがサブ3ペーサー集団か。SHUさんの言うとおりだった。スタートの10秒差が、いつのまにやらこんなに離されてしまった。確かに、ほぼ1分程度の遅れだ。目標とする場所が具体的な形として見えている。あそこへ向って走るべきか。
強くは無いが、意外と風が気になる。向かい風では目標ペースを下回っているだろう。その分、追い風では若干速く。微妙なアップダウンも速度差に影響する。キロ4強相当のギリギリのところがリミッタになっているのでそういう走りになる。
5-10km 20:55 P4:11
アキレス腱の痛みは消えた。
先日の最終試走では硬すぎて印象のよくなかったJapan2が今日は自然に感じられる。少なくとも靴のせいでパフォーマンスが削られている感じはない。今のところ身体のどこにもなんら懸念点はなく、ペースも楽に感じる。この状態がこのままゴールまで続けば何の問題もないのだが、そうはならないことはよく判っているし、続く確信もまったくなかった。
1分の借金を取り返し、前方に見えるペーサー集団にいずれ追いつきたいとの心理だろうか、キロ4分15を若干切って走っている。微妙に周囲を追い越しながらの展開が続く。
体脂肪率が低く筋肉がぎゅっと引き締まり、直立した姿勢が特徴の、40前後のランナーに追いつく。同じJapan2を履いている。余裕がある堅実な走りを思わせる。途中まで一緒だった友人を切り離して先へ行くことになったので僕とペースが一致するようになった。しばらくターゲットにさせてもらう。
14km地点をギリギリ1時間内で通過。ここまでは普段のトレッドミルと同じだ。全行程の1/3が終わった。これをあと2回繰り返すのはやはり「無理か」と思う。
一つ目の補給、ハニースティンガーを摂る。
10-15km 20:56 P4:11
15km過ぎで斜度10%前後の激坂が200mほど続く。ここは9年前に走ったときも、ずるずると周囲から遅れたことで印象深かったが、ここで追い込んではならないと、前回以上に意図してペースを調整する。ターゲットの彼は見る見る遠ざかっていく。周囲はなぜ今までと同じペースで走れるんだろう?不思議だ。
坂のおかげでこの1km区間は40秒もの遅れを作った。慎重すぎただろうか。
程なくして緩やかに下り始めるのだが、期待したほどの挽回にならない。
やや向かい風となる区間が続く。一人で走りたくないが、あいにくペースの合う人が居ない。彼は随分先に見えている。そしてその先にはサブ3ペーサー集団。自分がまだ見捨てられていないと感じた。
とある交差点の道端から突然名を呼ばれた。「皇居走ろうぜ」のKinuさんだった。ありがとう。旦那さんのサポートだろう。サングラスの僕によく気づいたなあ。
15-20km 21:28 P4:18
20kmでBCAAを摂る。毎度ながらの悩みだが、アミノバリューのスティックは塞がってしまった切り口を慎重に開き、管の途中で詰まらないように形を整え、そっと口に流し込む一連の動作に難儀する。走りながらこの動作は大変しんどい。もう少しパッケージの縦横比を変えるか、素材をもっと弾力性のあるタイプに変えることで解決するはずだ。ランナーのことをホントに考えているのなら、頼むから改良してくれ。
ハアハアと上がった息を落ち着かせるまで少しかかる。せっかく補給したのに逆にダメージ喰らった感じ。
ハーフを1時間半と11秒で通過。概ね、前半の借金は取り返してきた。サブ3達成には若干のネガティブスピリットが必要だが、もし実力相応なら無理のない注文だろう。
30分前の状態とは明らかに異なり、ちょっと「くたびれた」感じが出てきた。
しかし2年前の大田原の中間地点よりは余裕があり絶望感も少ない。しかも大田原は後半長い上りなのだ。理屈としてはその時よりもゴールタイムは良くなるはずだ、と考えていた。
20-25km 20:58 P4:12
これまでのペースから微妙に落ち始めているなか、15kmの坂で離された人にようやく追いついた。彼もまた、少しずつ弱ってきているのだろうか。彼に着かず、追い越すペースが正解なのかどうか判らないが、気にせずマイペースを貫くことにする。
風車が見えてくる辺りは、菜の花や桜も見られてもっとも風光明媚なエリア。川沿いの遊歩道を走る。
何人かのマニアっぽいカメラマンが三脚を立てている。レンズの向く先は風車。ランナーは被写体になっているんだろうか? レジャーシートを広げて花見を兼ねた応援を楽しむ人のなかから、再びKinuさんの声が。まったりして楽しそう。「もうヤバイ!」とかなんとか叫び返した気がする。まさに風前の灯ってところ。
29km付近、橋を渡るところで、体育会系の応援隊らしき女性が「サブスリー行けるよ!!」と大声でハッパをかける。僕の前後にお目当ての人が走っているようだ。無理なこと言うなよ、と思う。
まだサブ3ペーサー集団が遠くに見えている。
25-30km 21:26 P4:17
30kmを過ぎてペース維持がいよいよ厳しくなってきた。
ある時点を境に、フォアフットに切り替わる。脚にとっては楽になるが、ピッチそのままではスピードが保てない、という印象。
背後から徐々に足音が迫っているのが判った。5km以降は追い越すばかりの展開で、追い越されることはほとんどなかった。先ほどのJapan2の彼がまた追いついてきたのだろうと思っていたら、55〜60近いシニアランナーだった。微妙なペース差であり、向かい風もあったので、しぶとく喰らいつく。一人では精神的に厳しいペースだ。集中の糸はいつ切れてもおかしくない。
2kmほど過ぎた頃、少しだけ余裕が出てきたのだろうか、彼のラインを外し、斜め後方辺りへ移動して走っていると、彼が話しかけてきた。たしか、残り10km余りと知った地点だっただろうか。「おや、このペースで行けばサブ3行けるんじゃ?」などと、今気づいたみたいに言う。この辺りを走っている人で、サブ3を意識してない人は普通いないはずだが。
あーそんな無理な目標立てないでくれ。
その冗談とも本気ともつかない一言で、僕はぷっつん来て切れた。いや、彼は恐らく前半ゆっくり目で入り、徐々に上げてきたタイプだ。だからそれは絵空事ではなくて、射程圏内なのかもしれない。それを境に彼のペースも微妙に上がった気がする。
対する僕のほうは、サブ3ペースの誤差範囲内ではもはや留まれなくなり、そこから下降への一途を辿り始める。
二つ目のハニースティンガーを摂った。これは三つ持ってくるべきだったと後悔する。さりとて、エイドにおいてある脂っこいパンを食べる気にはなれない。腹が減っているわけではない。
4分23 4分26 徐々に落ちていく。
30-35km 21:40 P4:20
ずっと先まで見渡せる、長く単調な道。追い風だがスピードが出ない。
フォアフットは路面との衝撃が激しく、左足底の骨が折れそうなくらい痛くなってくる。ヒールストライクに戻すと、すね辺りの筋肉が枯渇していてあっと言う間に走れなくなる。
せめて腕振りを強くして前へ進もうと思い、そこで不思議な現象を発見する。腕を振るとなぜかヒールストライクに戻ってしまうのだ。いったいこれはどういうことだろう。
つまり腕振りもアテにできなくなった。
途中300mほどの不整地区間に入った。この道を通らなくても佐倉のコースは成り立ちそうであり、主催者が意図して選んでいる気がしてならない。
まあすでにスピードも落ちているから、砂利道だろうと関係なかろうと思ったら逆だった。わずかな負荷や抵抗が今は切実な問題となり、ペースはガクッと落ち、おまけに脚に来た。
あと3kmほどなのだが、絶望的な遠さに思えた。忘れた頃に、Japan2の彼に追い越される。ここまで先行していたことのほうがむしろ驚きかもしれない。彼も大分弱っているようだが、着実に前進していた。
35-40km 24:15 P4:51
1km毎にペースが落ちていく。キロ5も維持できなくなった。心臓はまるで遊んでおり、全く運動になってない。つまり脳みそへの酸素供給も滞りがないからだろう、意識はハッキリとし惨め感がますます募る。
あと2kmなんてゴールしたも同然、って思えない。そろそろ運動公園が見えるはずだが、どこなんだ! と苛立ちが募る。
腿の筋肉がほぼゼロで、加速するのは不可能。
ようやく、見覚えのある大通りが見えてきた。会場への上り口でシンさんが応援してくれるが、ありゃりゃって顔で笑ってる。
ここからは急なのぼり。とにかく力が残ってないので坂で誰よりも遅い。せめて、歩かずに上り通そうと思う。歩いているのと変わらない速度だが。
ゴールアーチが見えたときは、心底ほっとした。それでも全くスパートできない。
へろへろとゴール。
40-42.2km 12:48 P5:50
total 3:06:41(P4:26) HR144/156 2450kcal 40-59歳男子117位/2661 総合244位/5203
nettime 3:06:31(P4:25)
グラフには記してないが、Polarログにはピッチも残されている。25km地点を境に、それまでの88rpmから86rpmにシフト。異変はここから始まっていたようだ。36km付近からはそれも保てなくなり、最後は82rpmまで落ちた。
筋肉痛5割、骨折のような痛みが5割といった感じでろくに歩けない。久しぶりに、かなりダメージの激しいレースとなった。立っていることすらしんどく、今すぐこの芝生のベッドに横になりたい衝動に駆られるが、二度と立ち上がれなくなるのがオチだ。終盤のジョグペースで身体もすでに冷えており、程なくして寒さに震えが止まらなくなり、至るところ痙攣を誘発し、のたうちまわる恐怖を味わうだろう。そうなる前に服を十分着込まなければ。荷物を置いたスタンドに戻るまでがレース、と言い聞かせて全力でトボトボ歩き続ける。
そんななか、平然とした顔でクールダウン走してる奴とかいてむかつく。
スタンド席の正面がちょうどゴールゲートで、ボーっと見下ろしながら皆が帰ってくるのを待つ。最初に戻ってきたのが若いK上君。きりっとした顔つきと、年齢差も物怖じしない所はK村君を髣髴とさせるが、彼は非常に気配りの利くイマドキ珍しい若者であった。タイムも大幅短縮し、急成長株だ。
あわよくば3時間45分切りを狙うと言っていたカントクを見つけられないまま、サブ4ペーサーがゴールスパートして入ってくるのが見えた。4時間まで残り数秒。もちろん誰も従えておらず、それでペーサーを果せたと言えるのかどうか・・・?
カントクはその6分過ぎにトボトボと帰ってきた。僕とちょうど1時間差。ただ、納得のいかない結果に悔し涙を隠さないカントクに対し、僕のはある意味納得づくの結果だなあ。
川やんやカズミさんが好記録を残した反面、I口さんは謎の痙攣で大失速。オーバーペースでもないのに明暗分かれるレースとなったのはなぜだろう。
京成佐倉駅前の中華でアフター。安かったけど、店の対応も中華クオリティで結構無茶苦茶だった。毎年この日はランナーが昼間から押しかけるのは判ってるはずだから、ハナから「生ビールありません」はねーよな。
後日、記録表を眺める。
サブ3行けるんじゃ?と囁いたあのシニアランナーはネットで3時間2分弱だったようだ。
ハーフ通過1時間30分11秒というタイムは、僕の着順前後の人と見比べると、平均かやや遅いくらいの部類のようだ。ハーフをサブ3ペーサーについていった人はこの辺りまだ多い。つまり僕だけが殊更タレたわけでもないようだ。しかし、終盤では抜かれまくった。他の人はもう少し緩やかに下降しているのだろう。思えばあの、シニアランナーに意地でついていったのが寿命を縮めたのかもしれない。最大心拍もその時に記録している。
まあでも、タレる感触が久々に記憶に刻まれたのは良かった。 |