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2007佐渡国際トライアスロン大会参戦誌
2007/9/2
type A
Swim 3800m Bike 190km Run 42.2km

今年7回目のエントリーにして、初のTypeA挑戦。佐渡はドラフティング無法地帯なので毎回嫌な思いをするのにもいいかげん精神的に疲れて、もう出ないと決めていたのだが、去年の同時期のオロロンを走って少し考えが変わった。オロロンはスイムが2kmと短く、バイクコースもほぼド平坦な割には、脅威となるドラヲ集団は形成されなかった。200kmは勢いで走りきれる距離ではないため、集団ペースに身を預けると貧脚なドラヲ連中は却って自爆するためだろう、と読んだ。佐渡のTypeAはスイムも長く、かなりバラける。強豪エイジ数人がパラパラと先を行き、後続は集団化してもスピードは上がらないだろう。
また、去年のオロロンはかなり暑かった。近年でのロングのランは涼しいジャパンしか経験していなかったので、酷暑の下でのフルマラソンがいかなるものか、予想がつきにくかったのだが、スピード自体はキロ5分以上と大したことが無い為、意外と乗り切れることが判った。佐渡も日によってはまだまだ暑いのだ。
今回、唯一そして最大の不安事が、1週間前にやってしまったハムストリングスの肉離れだ。それ以来、ランを一切禁止し、ひたすら安静に努めたので、一体どこまで治っているのかも判らないが、歩いただけでまだ僅かなシコリはある。ラン途中でバクダンが破裂しなければいいが・・・。

これはレース後の夕食メニュー
宿はツアー会社に遅く申し込んだため、相川で希望した民宿がとれず某ホテルに回されたが、こういう大型旅館にありがちな、イマイチな食事内容にかなり失望した。そのうえお盆ばかり巨大で絶対量が少ない。しっかり食べなければならないレース前日は、酒の肴と蟹と炊き込み御飯。軽く2杯分のご飯を食べたらオカズが無くなって食事終了だった。翌朝は弁当だ。きちんと食事を用意してくれる民宿とはサービスとして雲泥の差だし、しかも4時から配布だという。(どうせ作り置きなんだし)3時に食べたいと言ってみたが、鼻で笑われ10分の前倒しがせいぜいだった。6時スタートなのにね。揚げ物ばかりの弁当はおかずを殆ど残して米だけ食う。かなりカーボロードが不十分だが果たしてこれが吉と出るか凶と出るか。
5時前に現地入りして急いでナンバリングをし、バイクをセッティングする。雨が少し降ってきて、「今日は一日雨模様の予報に変りましたぁ!」と、ますます悪くなる天気予報にやや呆れ気味な感じのアナウンスが聞こえた。肌寒さすらあり、アームウォーマーを袋にセットしておく。準備が終わったところですでに入水チェックギリギリタイム。慌ててスイム地点へ向かった。

6:00 a.m. タイプAスタート
砂浜からのスタートで、100mほどは浅瀬を足で進む。こうしながら、徐々に自分の泳ぐ場所を吟味できるので、スイムバトル回避に一役買っているかもしれない。直近のスイムレベルでは、3800mをイーブンで泳ぎきるペースは超ノンビリと判っているから、とにかく慌ててはいけない。アップを兼ねるスローなパドリングで穏やかに泳ぎ始めた。
まずは300m付近でいきなりゴチンと硬いブイに頭突きを喰らわせたほかは、まあ順調に進んでいる。人口密度もそこそこで、気を配ればバトルも避けられる。雨が降っているようで(泳いでいる最中に雨が降っているのかどうかの判断は難しい)水は濁り気味、海底は10mほどまでうっすら見えていたが、700mのBタイプ右折のころには見えなくなっていた。徐々に波を感じてきて、ここ佐渡では珍しい経験だ。Bタイプと比べてAはより沖に出るので、この辺から外洋の影響が高まるのかもしれない。だがむしろ心地よさすら感じるうねりで、まあこれくらい波がないと海って感じがしないね、とポジティブに考えていた。

1300mポイントの第1マークを20分41秒で通過し、右折して浜と平行に1100m泳ぐ区間も目立った問題は起きずに進む。2.0と書かれたブイで時計を見ると31分48秒、あれれ? つい先日の長水路プールでの計測より格段にいい。オーバーペースなのか? しかし、この先もタレそうな気配は全く見えず、いつまでも続けられる感覚である。
さて、それらの調子よさの原因は2400mポイントである第2マークを曲がったところで知ることになった。ここまで100mを1分33秒のペースで来ていたが、ここからの1400mが長かった。突然アゲインストの波に変ったのだ。いや、変ったのは波ではなく我々の泳ぐ方向だ。
まあでも五島の波のようないやらしい角度・小ささではないので、呼吸もタイミングを合わせやすく、海水を飲むことは抑えられた。しかしこれは進んでないだろうなと思った。前半のタイムが良すぎることが何より証拠。ムキにならず、他人を目印に泳ぐことにした。ちょうどこの頃は5,6人のパックが出来ていて、女性も一人含まれ信頼できそうな集団だった。尿意がかなり高まってきたので、ある人の真後ろに着いて精神統一、泳ぎながら何とか出てこないものか試したが、やはり無理だった。トイレをどこで済ませるか、このころから悩みの種として浮上しつつあった。

スイム1:03:48(22位)
HRave/max=114/127bpm 水温24℃
心拍は100以下で推移か、と思ったがそこまで下がってなかった。最後まで余力を残したので、全体的にもう少しペースアップしてもよかったかもしれない。


トランジットに2分33秒、やることといえば、靴下を履いただけ。靴下に穴があいていたので、親指に穴が来ないように左右考えた。貧乏くっさい。アームウォーマーは無しで行けると判断した。

7:06 a.m. バイクスタート(190km)
バイクもとにかくイージーが基本。ジャパンの時のペース配分を思い出せばいいだろう。ただし、ジャパンほど選手層が厚くないので、僕の前後にはほとんど誰も見えず、ペースメーカーは見つからない。暫らく追い風基調の中を38km/hくらいで進む。カイチョーです!! やがて相川のアップダウンを超えると追い風もなくなり、フツーなペース、34km/hあたりに落ち着いた。雨は止んでいるが路面は所により塗れている。
1234番という覚えやすいナンバーが追い越していき、無意識にターゲットに据えたのか、尾行を開始したが、やがてトイレの看板を目にしたとき、フラッと立ち寄ってしまった。32km地点だ。トイレトイレ〜と考えてばかりで集中できないのが嫌になったのと、この先車中トイレは無理だろうと踏んだ為だ。車中トイレ遂行には、洗浄とカモフラージュのための水ボトルが必須なのだが、二つのボトルケージは貴重なスペシャルがセットされなかなか減りそうもない。汚い話ですんまそん。
トイレの窓から、通り過ぎる選手一人を確認しつつしばし現実逃避の感覚。大して走っても無いのに、尿道はすっかり塞がれて排泄に時間がかかり、1分40秒を要した。

大佐渡の突端に近づくと、景色も徐々に雄大さを増してくる。ほほー、これが今まで見ていなかった佐渡の別の顔かあ!まったく人影も無いわけじゃなくて、小さな村は点在している。しかし、このあたりはまさに僻地と言えそうだ。日々の生活はいかなるものだろうと想像を巡らせる。
意外とあっさりと、名物のZ坂(正式名称知らず)が見えてきた(55km付近)。まさにZ字を描くようにジグザグに道が壁沿いに走っており、これは一度見たら忘れない景色だね。多分トイレ中に追い越された、一人の先行者に追いつきつつあったが、この坂で一気に距離が縮まる。さあちょうどいい獲物だぞーと思いつつ、淡々とペダルを回す。ふと見下ろして自分の通ってきた道を眺めると、そこにぞっとするものを見つけた。6人のドラヲ集団が追い上げてきていたのだ。
Z坂の中腹辺りまで上ったところで、もう一度見下ろすと、しばらく後方にまたもう一つ、5,6人程度のドラヲパックが見えた。そこで、今回の目論見が全く外れたことを確信させられ、一気にトーンダウンする。やはり佐渡はドラえもんの島として立派に健在だった。
Z坂を上りきって、ソロソロと下っているところで6人の集団に追い越された。意外にも彼らは100X番や101X番といった、開会式で写真つきで紹介された優待選手や上位選手で固められており、すなわち1022番の僕より速い連中が一致団結して追い上げを図れば、これは敵うはずがない。集団の最後に居たのは1002番、招待選手だった。仮にもタダで出させてもらっている大会で、自らの力でフェアに走ろうという精神が欠片もない現実には、頭にくるというより、ただただ落胆した。トライアスロン界の常識なのかこれが? 日々何を鍛えてきたというんだ君らは。

しばらくアップダウンが小刻みに続く。ここでふと、前の集団を視界内に収めようとペースアップしていることに気づいた。いかんいかん、今や、彼らの悪行を見逃すまいとの怒りや憤慨で固められた「負のエネルギー」によってペースが作られている。負のエネルギーは、言い換えれば悪魔のエネルギーだ。悪魔から借りたエネルギーは、必ずやどこかで5倍、10倍にして返さなければならないのだ。悪魔から借りてはいけない。冷静に走ろう。
上りがなくなり、下りから平地になったところで、7人に増えた集団はその威力を発揮し、一気に視界から消え去った。

島の突端はかなり面白い景観が楽しめたはずだったが、そんなこんなで、おまけに向かい風が強くていい印象が無い。ようやくぐるっと突端を回り、島の東側、かなり平坦が続くと思われるところで追い風に乗って快適に走れると期待したが、なぜか追い風に変わらない! なんだよ全然スピード出ないじゃないか。だいたい30-32km/hくらいでかなーりショボいぞこれは!
草木を観察するとハッキリと向かい風って感じでもないんだが、どうもスピードに乗れず。後で思えば、この頃がもっともきつかった。なんだよジャパンのバイクより断然キツイよ〜、とずっと恨み辛みな心境で走っていた気がする。終始マッタリ走行に徹し、物練での負荷よりも低く抑えて走っているのに、走行距離二桁でもう音を上げているってどういうことだ? 8月の練習量はそれなりに多かったし、野辺山高地練だってやったのに、これは断じて納得が行かない。やはり悪魔からの借り物によって急速にツケが回ってきたんだろうか。そんなことばかりアタマに浮かぶ。

お昼時になってきて、腹が減りそうな予感がしたのでウィダーゼリー×4のエネルギーボトルをぐびぐびと平らげた。これ全部食って720kcal、まあ普通の昼飯ってとこでしょうか。
向かい風平坦路をめげそうになりながら30km走り、やっと街並が見えてきた。両津の商店街の中を通り抜けるころは応援がひときわ多く、気分もリフレッシュできる。渦巻いていた憤懣もすっかりおさまっていたので、再び沿道の声援に手を振って応えながら走る。Z坂で見かけた2番目のパックにいつ追いつかれるか不安だったが、途中エアロメットを被った一人に追い越されただけだ。集団が掃除していくためか、前からも誰も降ってこない。

両津からは馴染み深いコースになるので安堵感が出てきた。だがタイプBにとってはほんの序盤であり、まだまだフィニッシュまでは遠いのだ、と何度も言い聞かせ、焦りを抑えた。129km地点、空になった2本の自前ボトルを一気にキャッチャーに投げ捨て、本日初めてエイドに立ち寄る。涼しかったので無補給のままここまで来てしまったのだ。コーラと水、バナナを貰う。

見慣れぬ大会関係車両が目に留まった。タイプBの最終走者に追いついたようだ。ここからぽつぽつとタイプBの選手を追い越しながら走る。僕とはまるで違ったレースの楽しみ方をしている人たちと世間話でもしてみたいところだが、如何せん速度差がありすぎて無理。
赤泊をすぎたころから念願の追い風基調に変わった。37-8km/hで巡航することが出来る。だが、すでにアベレージは目論見より低く、この程度のスピードアップは焼け石に水といった感じだった。ジャパンとオロロンを足して二で割ったコース、つまり中間くらいのアベ32km/hくらいは出るだろうと考えたのだが、浅はかだったようでかなり下回っている。
名物小木の上りに来た。セオリー通りエイドには寄らず、僅かな水だけを持って上る。タイプBのときはここに大勢の応援が詰め掛けていたのだが、かなり減っている印象だ。やはり佐渡はタイプBが美味しいとこ取りだなあ、などと思いながら走る。でも上り坂では黙々と集中して走りたいのでちょうどいいかも。160km過ぎてからの上りとなるとさぞかし堪えるかと思ったが、追い風区間で体力も気持ちもかなり持ち直したのだろう、意外と楽で気分よく上れた。後にPolarログを見るとここで本日最高の157bpmが出ている。調子よかった証だ。
佐和田のゴールまで残り10kmの平地区間はまた強い向かい風になって萎えたが、あれ以来ドラヲパックに翻弄されることなく、また雨上がりの道でパンクすることも無く、190kmの長旅を安泰に終えられることは何よりうれしかった。二人ほどメカトラの選手をパスしたが、それ以外は前後に誰一人タイプA選手を見かけぬまま、後半100kmを一人で走った。本当にレースが進行しているのか? と不安になったくらいだ。

バイク 6:10:54(17位) 二つのトランジット含む。
実質走行時間 6:05:58(トイレタイム含む) 実質平均速度 31.2km/h(メーター距離190.58km)
HRave/max=130/157bpm 獲得標高1600m(天候不安定のため実際より多いと思われる)


1:14 p.m. ランスタート
雨予報は若干外れて相変わらず曇天の空模様が続いていた。日よけとしての帽子は恐らく要らないと思われたが、雨になるかもしれないことと、今回の参加賞の一つでもあるのでかぶって出ることにした。靴下を替えたかったが朝方の雨で濡れて、替える意味がなくなってしまった(なぜ袋に入れておかなかったんだろう?)。まあいいんだ、穴あきでもお気に入りのJCRC靴下だから。ポイント賞でJCRC靴下が余ってしょうがないという人、格安で譲ってください。パワージェル、グリコBCAA粉末、クランプストップ(痙攣防止薬)、空のペットボトル、それらが入ったサコッシュのような役目のレジ袋を掴んでスタートを切り(トランジットタイムは約2分35秒)、走りながら一つ一つ背中のポケットに収納する。佐渡はエイド間が長いため、途中で水分を持って走るためのペットボトルを用意した。験を担ぎ、オロロンのときと同じ細長の「からだ巡茶」を選ぶ。適度な容量、持ちやすさ、ポケットへの入りやすさがポイント。これに、吸えば出てくる構造のキャップをつける。
ペットボトルは口が狭くて水を補充しにくいのが欠点。ガバッと飲み口の広いペットボトルって出ないかなあ。

さて、ここからが僕にとってのロングのスタートとも言える位、課題山積のランのスタート。気になる肉離れは、走り出してすぐ違和感が出て、ぎこちない走りになった。んー、なるべく気にせずに走らないと、このギクシャクした動きはますます増幅されていくに違いない。かばう走りをするよりも、痛みの発生を恐れず普段どおりのフォームになるよう心がけた。腕をできる限り大きく振るのはジャパンの時と同じ心がけ。
気温は涼しくて実に走りやすい。これは僕にとって実は歓迎すべきことではなかった。ランが得意な人からはますます差が開くことになってしまうと考えたからだ。暑いレースを乗り切るノウハウや耐性といった別要因が大きく関わって欲しかったが、この涼しさでは純粋なランの実力でタイムがほぼ決まってしまう。
まあでも気分よく走れるのは間違いない。最初の5キロは、こんな楽なロングが未だかつてあっただろうか? と思えるほどのんびりとジョグに興じている。それでもキロ5分は若干切っていたから、僕にとってはむしろオーバーペースな程であり、これ以上頑張る必要はなにもないと判っているのはとても楽だった。このまま何ら問題なく42.2kmを走り通せそうな気さえしてきた。エイドではやや念入りに左太ももにエアーサロンパスを吹きつけて、肉離れ防止のおまじないをする。多少は効いただろうか。

反対車線はタイプBの選手が次々とやってくる。きれいな人に目が行っていると、突然「ひゃあ!がんばってくださーい」と元気に叫ばれてビックリした。思わず返事をしてしまったが、違う違う、自分が言われたんじゃないと思い直して後ろを振り返ってみるが他に誰も居ない。どうもタイプAはまだ少ないのか目立つらしい。結構色んな人(多くは女性)に「行ってらっしゃーい」などと声をかけられた。ここにきてゴールとは反対方向に向かいフルマラソンに出かける人がいるなんて信じられねー、って感じなのかも。僕もタイプBで走っていたときはつくづくそう思ったもんな。でも最初からそのつもりで走れば別段そうでもないんですよ、お嬢さん。
7km過ぎからアップダウンが始まる。このコースはジャパンよりは坂が少ない、と聞いていたけど、やっぱりそうでもない気がする。まあでもまだ余裕があったのだろう、いつのまにか10kmのポイントに来ていたときは驚いた。タイプBで出ていたときは、この折り返しポイントまでがとてつもなく長いと思いながら走っていたからだ。この5kmは23分22秒、単純計算でキロ4分40秒という信じられないペースで走ったことになり、間違いなく距離が若干短いとは思うが、アップダウンをものともせず走っていたことは確かだ(以前、タイプBのコースを地図上で測ったところ、約450m足りなかった)。

10kmを過ぎたあたりから異変が起き始めていた。足首を固定する筋肉が急速に売り切れて、かかとから爪先へのスムーズな着地ができず、早くもドタドタ走りになってきたのだ。フルマラソンでは33kmあたりから発生する症状だが、たったの10kmでこれでは先が思いやられる。バタバタと靴音を響かせて、随分とカッコ悪いだけでなく、走りに無頓着な奴と思われるのが辛い。
やがてT字路にぶつかり左折する。ランコースは大まかに言ってちょうどこのT字路の形状をしており、折り返しが2ヶ所ある。暫らく行くと常連優勝者の井手選手とすれ違った。僕の予想では金田一選手が1位で来るだろうと思っていたのだが、続く2番手、3番手にも彼は発見できず、これはかなり意外だった。結局11人ほどとすれ違ったところで折り返しが来て、自分のポジションを知る。金田一氏はリタイヤでもしたんだろうか、と考えていたが、実は彼は遥かに前を走っていて、僕がT字路に来る前に逆側の折り返しルートに既に入っており、ゴールするまで見かけるタイミングがなかったのだ。その事実はホテルに戻って同室の人から教わるまで知らなかったのだが。

ランを苦手とするため、どうしても今のポジションがどこまで落ちるかを考えてしまう。折り返しを過ぎて、反対車線の追い上げてくる選手を品定めしてしまう。三人目は結構離れていたので抜かれるのは二人までだろう、などと情けない皮算用をしてしまった。ま、考えるだけならいいんだけど、それが走りに微妙に影響するからいただけない。特に多いパターンが、競りそうな相手にはヘナヘナと戦線離脱してしまうことだ。後続の二人は元気そうに見えたのでいずれ追いついてくるだろうが、今のところまだ気配はない。こういう生殺しな状態に弱い。

比較的涼しいとはいえ、エイドでスポンジは必須だ。コーラを飲み、ペットボトルに水を満たした。
頭に水をかけ、帽子を被りなおして、再びどこまでも続く道を走り始める。ワンデーコンタクトレンズと500円のサングラスを通して見える田園風景は、ハイビジョン映像のように鮮明に見えた。近頃は、ちょっとしたドライブや些細な労働で目が疲れたり滲んで見えたりすることが多くなったが、レースでは毎回どういうわけかふと、視界が異常なまでにクッキリと見えていることに気づかされる時がある。ひっきりなしに流れる汗やスポンジの水に関わりなく、たとえ土砂降りの状況下であろうとも、視界は冴えまくり、同時に頭もスッキリしている。長時間のコンタクト装着で本来ならショボショボしてくる頃だが。時間の経過とともに野生的な機能がめざましく向上してくるんだろうか?
同部屋のKさんとすれ違う。「速いねえ!」と言われたが、一回りも年上のKさんのにこやかな表情こそ驚きだ。
忍び寄る後続からの逃げと、一人タレ気味な前方の選手を追う気持ちとで、身の程をわきまえたペース配分を忘れていたかもしれない。すれ違う後続にヘタレな状況を悟られたくない見栄もあっただろう。絶対スピードは速くないが、その時点での疲労度から見たら確実にオーバーペースだったようだ。心拍数もこの付近が最も高く推移し、145bpm前後を指していた。ハーフ地点通過は1:46:27で、今までになくいいタイムだが、その時間計算は走りながらできていない。ただ、通過タイムの9:01:09を見て、キリのいい11時間まであと約2時間、残りのハーフを2時間で走るのはまあ、ほぼ可能だろうと考えていた。11時間切りという目安がおぼろげながら浮上するきっかけとなった。

再びT字路を過ぎて、二つ目の折り返しポイントを目指す。アップダウンが相変わらず続き、かなり脅威なものと化していた。もはやキロ5分は全く維持できなくなり、ガクッとペースが落ちたのが判る。だが、いつもの「潰れた」という感覚とも少し違っていた。ジャパンでの潰れた状態と、今のこの状況の違いはどう説明したらいいのだろう? 走りながら考え出した結論としては、
潰れた=脚全体が動かないが、それ以上に言い尽くせない疲労感によって身体が異様に重く、筋肉への指令も出せない状態
今の状況=太腿など脚の主要な筋肉は完売してしまったためにスピードは上がらないが、疲労感は少なく心肺は余裕がある
つまり言い換えれば、気持ちは潰れていないということだろう。

1つ目の折り返しと同様、井手選手を筆頭に先頭とすれ違いながら走る。ラン後半のこの時点でトップとこんな関係ですれ違えるのは嬉しかった(トップではなかったが)。やっとの思いで二つ目の折り返しポイントに到達した時は嬉しかった。ここからはゴールまで、いままで見てきた道を戻るだけだ。

折り返し直前でとうとう一人に追い越される。それでも予想以上に後延ばしにできていたので、彼とのペース差はほとんど無いだろうからついていこう、と思ったが、叶わなかった。どうやらここにきての僕の相当なペースダウンによって一気に詰められたということのようだ。
と同時に別の前走者が目前に迫っていた。だがよく観察すると彼は僕より速く、差は開いていく。彼はエイドでかなり長居し、そこで僕が一気に詰めているらしいことが判った。つまりエイドの数だけ彼は落ちていく。案の定、次のエイドでようやく追いついた。
彼のゼッケンは覚えがあった。バイク60kmで追い越されたドラヲの一人だったのだ。コイツには負けたくないという気持ちがふつふつと湧いてくる。これも負のエネルギーなのか。
エイドを手短に済ませ、長居する彼を置き去りにして走り出す。だが程なくして追いつかれ、追い越していった。この時ばかりは意地になって着いていき、そして下りに差し掛かると、大きな手振りとストライドで重力に任せて飛ばし、逆に追い越した。ぐいぐいと引き離した。かなり捨て鉢走法だったような気がする。だがそれはやはり悪魔から借りたエネルギーだったようだ。上り区間に入ると急速にペースダウンし、やがてまた追い越された。今度は着いていけなかった。そしてエイドが見えた。
先着した彼はスポンジの入ったバケツに寄りかかり、僕はスポンジを取れなかった。だがそんなことで負けるわけにはいかない。いつまでもエイドでくたばっていればいいさぁ。

ふと見ると去年オロロンで5位だったTさん、それに毎回佐渡Bでゼッケンが隣同士の、同じ千葉のTさんと続けてすれ違った。でも何でこんなところで? 実は二人ともパンクで随分と遅れたそうで、全体を見ても今回は特にパンクが多かったようだ。その点僕は純粋にレースに没頭できて実にラッキーだったといえる。

ラスト8km、もうここから先は上り坂はない。平地なら何とか脚を前へ繰り出して進めるだろう。この頃の最も脅威となるものは太腿か脹脛の痙攣で、2-3分毎に激しい痙攣の前兆が現れては、Cramp-Stopをシュッと口に含ませていた。未だにホントに効いているのか半信半疑だが、すがるものはそれしかないし、結果的には一度も痙攣には至っていない。とに角大腿四頭筋が最も重症で、既にかなりの筋肉痛を発しており、激痛に近いものがあった。一つ不思議なのは、あれほどドタドタ走りだった足首が、いつしか7割方回復しており、かなり静かに走ることができている。それより何より、左足の肉離れは一切不安材料ではなくなった。一体どういうわけなんだろう。どこか一箇所に大きな問題が発生すると、その他の部分が全く感じなくなる、という妙な経験は実生活上でも何度かあるが、果てるまで使いなおも酷使しつづけている大腿四頭筋への期待と不安は、他の問題を取るに足らないものにしてしまったのだろうか。

ラスト5kmのエイド。ここまで彼とはしぶとく競っていた記憶があるが、次第に見なくなった。そしてここからが、本日最も厳しい区間となるのだった。11時間まで残された時間はあと29分。残り5kmをキロ6分では間に合わないことを示していたが、ジャパンでも多くの区間でキロ6分はオーバーしている。今のこのペースはまさにちょうどキロ6分くらい、余裕かと思われた11時間切りが急に難しくなってきたのだ。
最後の国道に入り、残りは3.5km。筆舌に尽くし難いほどの辛さだった。ここまで辛いレースはいつ以来だろう? と思い返してみると、多分1993年の宮古島まで遡ることになる、と思った。ロングの残り3kmなんて、もう終わったも同然であり、あとは楽しく進むだけじゃないか。それがなぜこんなにしんどいのか。もし11時間切りという目標が無かったら、多分歩いていただろう。11時間を切れるか切れないか微妙な線、前述した通り、そういう状況下では実に弱い。時間との争いを止めたくなる。アー歩きたいよー。

昨日一緒に社会科学習をした同室のFさんとすれ違った。僕は相当死んだような仏頂面になっていたと思うが、Fさんはファイトのジェスチャーを投げかけ、にこやかにフルマラソンをスタートしていった。
ゴール間際で往生しているのが情けなくなってきた。これはもう、邪念を取り払って、黙々と進むしかない。腕を振ることを再び思い出し、少しうつむいて一歩一歩を少しゆっくり目に、足先に魂を込めて走ることに撤した。
するとどうだろう! ふっと200mほど無心で走っていたことに気付いた。これだ。残り僅かな距離をどうやって進むかが見えてきて、気持ちが前向きに変った。やがて1本道は緩やかな左カーブを描き、念願の佐和田商店街が遠くに見えてきた。さらに背中から一押しされる。そして商店街をくぐりぬけたところで、久しぶりに時計を見た。ここまで辿り着けたのも、11時間切りという目標を忘れて無心で走ったことにほかならないのだが、まだあと2分ほどあることを知り、今度はそれが最後のエネルギーとなった。大きなストライドで勢いよくグラウンドへ入り、最後の直線だけは充実した気分を噛み締めながらゆっくりと走った。

ラン 3:44:07(26位) キロペース5:18 (11.3km/h)
HRave/max=140/153bpm 獲得標高260m
5-10km区間と30-35km区間が速いのは恐らく同じ理由で、距離が足りないせい。
こうして見てみると、キロ5分を切れているのは最初の10kmだけ。

総合 10:58:49(総合14位/637人中 エイジ別3位)
HRave=132bpm 消費カロリー7383kcal 平均気温24℃

脚のダメージは近年希に見るほどのもので、ゴール台のスロープから降りるのにまず難儀した。フィニッシャーメダルやタオル、Tシャツを受け取ったあと、椅子に座ったまま動けなくなってしまった。そこで1時間ほど放心状態になり、その間に同室のKさんがゴールしてきても、出迎えるパワーが無い。
後になって見れば、非常に辛かった区間なんて最後のほんの2-3kmのことだったのかもしれないし、それ以外では客観的に見るとむしろ楽チンな状況のほうがはるかに多いではないかとさえ思えるが、ゴール後につくづく感じたのは、完走しとにかくレースを終えられたことの安堵と、もう二度と出たくない、という気持ちしかなかった。どこがどうきつかったのかと自問しても上手く説明がつかないのだが、ジャパンより数倍キツイレースと感じたことは否定し得ない。
急に肌寒さを覚え、このままではいけないと立ち上がると、酷い筋肉痛で15cmの歩幅で歩くのがやっと。そのうち震えが出てきて、悪寒が始まった。放っておくと全身に震えが出て、いたるところ連鎖的に痙攣を起こして死ぬ思いをすることになる、と身の危険を感じ、ほうほうの体でクルマへ戻り、エアコンを30度にしてガンガンに温める。
1時間くらいしたらやっと落ち着いたので、知人のゴールを見届けようと外へ出たら、悪寒がぶり返して居ても立ってもいられない。諦めてホテルに帰った。何もかもが燃焼し尽くされてしまったようだ。