第23回大田原マラソン参戦日誌
2010/11/23
フルマラソン 42.195km

11月22日(月)レース前日
シゴトを早めに切り上げて、急いで帰宅。19時に自宅出発。
首都高で渋滞にはまり、川口JCT通過は20時5分。通勤割引適用外の時間になってしまった。
蓮田SAのレストランで夕食。注文して1分で出てきた五目焼きそばは、イマイチな味。
雨足が徐々に強まり、トラックに混じって東北道を緊張気味に下る。
栃木は中高6年間過ごした馴染み深い県なので心理的な距離は近いのだが、西那須野塩原IC降車は22時10分、案外遠かった。どういうわけか高速代は1500円だった。休日の最低料金1700円よりも安いってどういう計算なの?
ホテルは大田原市内よりも、鉄道の通る那須塩原市で確保できた。宿泊地を未確認のまま西那須野駅方面を目指す。途中の交差点で巨大案内看板が出現、スムーズに[アジサイ本館]へ到着、22時30分チェックイン。目立って分かりやすいが品のないネオンサインが眩しいビジネスホテル、駐車場を見るとお客さんは多い。体操のおにいさんのようなフロント係は感じが良く、部屋はアットホームな作りで落ち着ける。なおこのホテルは近々名前を変えてリニューアルするそうです。
23時30分就寝。

11月23日(火)レース日

よく寝られた。朝7時起床してすぐに食堂へ。生卵を目玉焼きか卵焼きにしてくれる家庭的サービス付き。食事内容もなかなか悪くないです。昨晩はやや空腹感を残していたが、今は食欲がない。知らずに緊張しているのか。
8時半チェックアウト。ここ西那須野から大田原まではクルマで15分程度。あまり早い入りとは言えず、遠い駐車場(野球場)へ誘導される。まあそれでも運動公園内なので不満はない。
予報に反し、雨がしとしと降り続いている。

まずはスペシャルを預けた。この大会では、一般ランナーもエリートと同じ待遇を受けられる。スペシャルドリンクを10km地点以降5km毎の好きなポイントに好きなだけ預けることができる。なんて太っ腹なサービスなんだろうと感心していたが、実はその代わり、エイドでは水とスポーツドリンクしか出ない、ということにレース後気づいた。エイドの内容を主催者が用意するか、参加者が自由に用意して手渡す手間をかけるか、どちらがお互いにとって好都合だろうか。後者のほうが無駄が少なく、エコ的視点からも理に叶っていると思うが、テーブルから自分の預けたものを探すのに結構戸惑いそうだし、予定外のところで腹が減ったりすることもありうるから何ともいえないか。それと、おにぎりやバナナといった食べものは預けられない。ジェル系はOKだった。
実は僕自身は今回スペシャルの必要性をほとんど感じてなかったが、折角なので経験と思って25km地点にアミノ酸BCAAジュースを、30km地点にパチもんウィダーインゼリーを預けた。

アリーナでスムーズに選手登録受付完了。サブアリーナでTさんと合流する。ここは男子更衣室ということになっているが事実上選手控え室と化しており、雨風をしのいでスタートを待つことができるのはいい。
いつもながらの僕の無計画でルーズな準備行動にかおりさんが業を煮やし、真剣味がない!と一喝されてしまった。どうもすみません。そのつもりはなかったが、やはりどこかで他人事なんだろうか、反省。
ここ数日、右ひざに痛みが走るようになってしまったので、ニューハレXテープで補強、ホットバルム2番を両ひざ周囲に塗る。寒さ対策と動きやすさを考えたウェアは、タンクトップ物ジャーに物アームウォーマー、バンダナ、Zootトライスパッツ、2XUカーフガード。靴はBoston。これに100円カッパをかぶる。
ポケットに携行する二人分の荷物は・・・グリコBCAAスティック2本、アミノバイタルスーパースポーツ、パワージェル4つ、コースマップ。
2回目の軽量化を果たした後、スタート15分前にスタート位置へと向かった。

スタートは陸上トラックの中。実はこのへんもエリートレースの雰囲気があっていい。選手の列が先頭から最後尾まで見渡せるコンパクトさが魅力だ。
3時間半以上のプラカードより後ろに紛れ込む。4時間というプラカードは当然、ない。

今回は、昨年のつくばに引き続きかおりさんのペースメーカーに徹する。つくばではトイレ渋滞8分という痛恨のロスタイム、実際走っていた時間は4時間だったものの、サブ4ですとはとても言えない結果に終わった。スタートの混雑やトイレ渋滞を避けるために今年は人数の少ない大田原を選んだ。しかしこのレースは制限時間が4時間。目標未達は即失格を意味する。そればかりか、15.4km、33.3km、38.3km地点に関門があり、4時間イーブンペース(キロ5分41秒)で走ると全く通過できない。タイム的に最も厳しいのが15.4kmでの脚切り1時間25分で、スタートロスの回収と合わせてキロ5分20秒ペースくらいは必要であると考えた。
かおりさんは去年の今ごろよりも確実に力をつけてきているので、サブ4は堅いと思われたが、これらの関門が一癖あって油断ならない。さりとて、安全を見て突っ込みすぎても自爆の恐れがある。ギリギリのところを狙わなければならない。

雨がほとんど気にならない程度になったので、かおりさんはスタート直前にカッパを脱いだ。僕は来たままスタートする。

10:40 a.m. マラソンの部スタート
いつの間にかスタートライン通過。35秒だったらしい。だが今日はネットタイムは意識にはない。全ての関門はグロスタイムで考えられている。トラックをぐるっと回る。詰まっているのでノロノロとキロ6分で進み、幅狭のゲートでしばし渋滞。一般道へ出て、すぐに安定走行に入る事ができた。
集団の流れに乗って、かおりさんがスピードを上げる。Suuntoメーターがキロ5分前後まで上がっているので、ペース速すぎと注意する。集団が密集している場面では周りに影響されてスピードが狂いやすい。オーバーペースによるタレが一番怖いので、速度は厳しくチェックする。集団がばらけるまでは、邪魔にならないよう僕の後ろについてもらい一列で走る。
Suuntoは5分12前後を示しており、余裕をみた5分20よりも相変わらず若干速いのだが、黙っておく。計測誤差を見越してこのくらいはまず保険をかけておくべきかもしれないと思ったのだ。それに、正直なところあまり速いとは思えなかった。
大田原はキロ表示が5km毎にしかない。FootPodが正しいかどうかは5kmまで判らないのだ。その上スタート渋滞のロス分の把握も曖昧であるため、安定してきたときのペースがどの程度なのかも正確には把握しづらい。5-10km区間のデータが取れて初めて正確なペースが把握できる。
後ろを振り向くと、警察車両などの最後尾車がすぐ見えていて、ランナーは100人以下だ。何だかやっぱりこのペースはやばいのか、と不安になりつつ、まあ5kmで足切りはないからと抑えていく。
以前はよくJCRCのZクラスでご一緒した、大田原在住のryuさんが応援に駆けつけてきてくれた。所々出没してカメラを構えている。地元なんだから出ればいいのにーと思うんだけど、ランは好きではないみたい。

かおりさんが、「5km表示がなかなか現れない」と焦り始めた。僕は、5km表示が現れないのはまだ5kmじゃないからだ、としか考えておらず、目標タイムをとうに過ぎていることに気づかず、焦りがなかった。かおりさんはこの頃から絶対値的視点でペースを管理していたのだが、僕は不正確なFootPodに依存しすぎていた。
自己計測タイム(以下同) 5km 29:28(キロペースP5:54)

5km通過は予想より遅く、想定の2分のスタートロスを差し引いて27分28秒で走ったと考え直しても目標より30秒遅れている(Suuntoログによれば、スタート後500mほどで安定走行へ移行。そこまでで4分かかっていて、関門通過条件ペースに対するロスタイムは1分45秒で十分想定内。なのでこの区間の遅れの主要因は遅すぎる安定走行ペースにあった)。
Suuntoが思ったより誤差が大きいことを把握し、メーター読みでキロ5分8前後で走ることを心がけた。でもまだオーバーペースになることを第一に恐れている。かおりさんにとってキロ5ペースはハーフ限界速度で、僕にとってのキロ4以下に相当する速さ。それを思うと一瞬キロ4分台表示が出るとびびる。測定誤差ということを直感的には受け入れてないのだろう。
6km過ぎから下り基調へ突入するがその印象はない。雨はほぼ上がり、カッパも必要なさそうだが、暑いわけでもなく、面倒くさいのでそのまま着て走りつづける。脱いだとしてもポケットはあいにくもう満杯だ。
10km 0:56:14 区間タイム 26:46(P5:21)

目標ペースを僅かに上回るつもりで走ったが、実際は6秒遅かった。借金を返済できてないので褒められた内容ではない。
快調に走れていて、この辺りほとんど記憶にない。緩やかな下り基調という実感は相変わらずなく、13kmあたりから高低表にないアップダウンが現れそちらの印象のほうが強い。雨でしっとりしたのどかな田園風景が広がる。
時々ryuさんが現れて写真を撮ってくれるのだが、なぜか僕はかおりさんに指摘されるまでryuさんの存在に気づかないことが多く、一時などは、「あ、写真撮ってる人がいる、広報関係者だろうか、誰を狙っているんだろう、僕もリアクション次第では大田原市の広報ページに載るかな〜」なんて暢気なことを考えつつ、それがryuさんと気づかないまま通り過ぎたことがあった。頭の回転は、かなり悪くなっているようだ。
15km 1:23:11 区間タイム 26:57(P5:23)

15kmの通過タイムを見て緊張が走る。
ペースはむしろ落ちている。上りで足なりに走った区間が遅くなったのだろう。
だがそんなことよりも、15.4kmの関門、つまり残り400mを1分49秒で走らなければならない。キロ4分32秒だ。5分32秒ではない。どう考えてもヤバイ。二人でダッシュする。僕らのやり取りを聞いていた40代?女性ランナーが「え、関門ヤバイ?」と聞いて一緒にペースアップし始めた。どうやら毎年この関門を抜けることがこの人の悲願であるようだ。
だがどこかで大丈夫だろうとも思っている。なぜなら周りにそういう焦った人が居ないからだ。後ろにも何人もランナーが居て、フツーに走っている。関門なんて気にしてないみたいだ。ひょっとすると足切りストップなんて、正確には行われないんじゃないの、皆それを知っていて悠長に走っているのでは、と思ったのだ。
関門手前には「関門あと50m」の看板を持った人がハッパをかけていた。さすがに焦ってこの時は二人で全力疾走。「大丈夫だ、まだあと10秒ある」とスローダウンを促して関門通過。つまりギリギリだったわけだ。

暫らくして後ろを振り返ってよく観察してみたが、足切り時刻をとうに過ぎても封鎖されている様子は確認できない。やはり甘かったのか。時間厳守でダッシュして無駄に脚を使ってしまったかなと思った。途中、制限時間カウント開始はスタート時刻ではないかのような選手同士の会話が聞こえてきたので、そういうものかとちょっと思った。
とりあえずコース上最も厳しい関門は通過できた。ここからは少しスローダウンしてもいいだろう。あとは、慎重にペースを守ればよほどの事がない限り大丈夫だ、と一安心。だがこの時の僕の曖昧な計算と、ちょっとした勘違いが、後々に大きく響く事になる。

やがてコース中唯一対面通行する区間へと入る。当然ながら女性ランナーもちらほら含まれていて、さほどシリアス系にも見えない。まだまだ上を目指すぞう、などと考える。Tさんの姿を探したが見つからなかった。意外と速いな。
大きな折り返しコーンが見えてきた。するとかおりさんが突然「トイレ!」と叫ぶ。確かに関門後にトイレに寄る予定にはなっているが、仮設トイレは折り返しコーンのさらに30m先にある。何もここで寄らなくてもとちょっと思ったが、心理的に敬遠する位置にも思えたので空きの可能性が高い。ダッシュして先回りし、誰も入ってない事を確認する。2台設置されていたので僕もありがたく用を足す。トイレのロスタイムは1分20秒ほどに抑えられた。つくばの8分とは大違いだ。
20km 1:51:53 区間タイム 28:42(P5:44) トイレタイム除く 27:22(P5:28)

折り返し以降、6kmほど下り基調なのだがやはり気づいてない。今日は北風が幾分強く、たしかこのあたりは追い風だった。おそらく最も楽に走れる区間であり、貯金を作っておくべきところだったが、それなりに目標ペースには届いている(つもりだった)のであまり必要とも思わなかった。ハーフ通過が1時間57分56秒、2時間より2分速い。上手く行っているじゃん。
このあたりからすでに、周りは僕らよりハッキリと遅い。イーブンペースの走りをすると、中盤以降は追い越す展開になるのは判りきったことだが、僕らは関門ギリギリのペースでもある。つまり最後尾車みたいなもんで、僕らに抜かされた人は足切り確定ってことなんだが判ってるのかなあ? 淡々とゴールを目指す姿は、先のことなど考えてないように見える。
そんなころ、後方監視と書かれた大会車輌が割り込んできて追い越していった。それを見たかおりさんがかなりビビッている。
24km手前くらいから、上りが始まった。ここからしばらく、35kmまでは延々と上り基調となる。上りでは無理せず足なりに上る。ひさしぶりに膝に痛みが走るくらいの傾斜を感じる坂だ。
25km 2:19:41 区間タイム 27:48(P5:33)

Suuntoで下限ペース5分15を目安に走ってきた。キロ5分半は切れていると思ったが若干オーバーしている。上りでセーブした分だろうか、以降はきつい坂でもセーブする余裕はないと考えよう。FootPod誤差の補正をもっと大きめに考えるべきだ。
走る方向も変わって、北風が真向かいから吹くようになり、カッパがばたつくほどの雨交じりの冷たい風が時折行く手を阻む。おもわずヒェ〜と声が出そうだがぐっと飲み込む。一気に様相が変わってきた。
25km地点のスペシャルテーブルには350mlのペットボトルがぽつねんと残っていた。遅組にとっては判りやすくていい(トップ集団はテーブル上の山のようなボトルからどうやって瞬時に見つけ出すのだろう)。中身はクエン酸BCAA濃縮飲料で、かなり酸っぱい。かおりさんに飲むかどうか訊いてみたけど、この取り込み中にこんなむせるもの誰も飲みたがらないよな、と我ながら空気読めって感じ。
かなり厳しい状況が続く。普通なら一気に遅れてしまいそうな場面だ。周りには止まりそうになっている人もちらほら見かける。しばしば後ろを振り返っては、かおりさんがいつの間にかいない!ってことになってないか確認する。だがここで切れたら、ジ・エンドを意味する。びくびくしながら走った。
30km 2:47:49 区間タイム28:08(P5:38)

コース中最も条件がキツかったこの区間でサブ4ペースを下回らなかったのは賞賛に値するだろう。しかし、状況は益々まずいことになっていることに、30km地点通過タイムでかおりさんのほうが気づいた。第2関門まであと3.3km、許される時間はえーと、17分10秒。キロ5分12だ。実は第1関門にばかり気を取られていて、第2関門までも余裕がないことに気づいてなかった。いや、知らなかったわけではなく真剣に考えてなかった。本来は、もっと前々からの対処が必要だったのだ。
若干風向きが斜め向かいに変わったものの、まだまだ上りが続く状況で、今よりもペースをキロ25秒以上縮めなくてはならない。同時にそれはこれまでのどこよりも速いペースを意味していた。そんなの絶対不可能だろう???そのペースを無理やりひねり出したところで、一気に激タレしてゴール手前で5kmは歩く羽目になることは容易に予想がつく。

それよりもなぜか楽観的な考えが支配しており、第1関門の前例から、少なくとも1分は(なぜか1分という都市伝説が僕の中に芽生えていた)足きりを遅らせるという確信があった。1分余裕があれば何とか通過できる。それに、周りは相変わらずそんな焦燥感は皆無であり、のんびりとマラソンを苦しんでいる風である。僕らの後ろにも大勢のランナーが続き、彼ら全員が足切りされたら収容バスが何台あっても足りないはずだ。
が、かおりさんは「関門に引っかかるのは絶対嫌!」と自らペースアップし始めた。その頑なで無謀なまでのスピードにたまげたが、「自滅覚悟で間に合うペースで行く?」と訊くと「そうする!」と威勢のいい返事が返ってきたので、潔くギアを入れ替えた。キロ5分近いペースで走り、ほとんど全力に近かったのではと思う。すぐにタレるかと思ったが、意外や切れる様子は見えず、粘りを感じる。これは行けるかもしれないと思ってスピードを維持した。
だが、その切り替えは少々遅過ぎた。どんなに飛ばしても、間に合うペースにならないことは徐々に明らかになってきた。やがて、遠くに大型バスが見えてきた。忌々しき選手収容バスであり、あの脇に関門があることはすでに学習済みである。黄色いウェアを着た50代らしい男性ランナーが、僕らと一緒にダッシュし始めた。ようやく僕ら以外に焦っている人に出会い、共に戦う仲間という気がしてきた。そして「関門まで50m」のプラカードを持った人が急げーなどと叫んでいる。ここまで来ればもう安心だ、と思った矢先、目の前に黄色いテープが張られた。まさにゴールテープのようなそれは、頑張る僕らを応援する何かの仕掛けとしか見えなかった。

現実を受け入れるのに数秒かかった気がする。関門は1秒の誤差も許さずに閉じられてしまった。
焦りの顔で走っていたかおりさんが「いやだー!」と思わず絶叫し、涙が溢れ出し、やがて無念さに泣き崩れるまでの姿を真横で見つめた。レースに賭ける真剣度をこの時になって本当に理解したと思った。
だがもう後の祭りだ。
僕のやり方や見立てをずっと信じて着いてきた結果が、関門失格だった。すべては僕の曖昧でヌルい判断によるペースミスが原因なのだ。上手く行くはずのレースをひねり潰してしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。

ようやく事の重大さを認識し始めたころに、かおりさんが「まだ走る」と言い出して驚いた。そうか、僕はすっかりあの収容バスに乗り込むつもりでいたのだ。
流れる涙もそのままに、ゼッケンを外して次の行動へと急ぐかおりさんが痛ましかったが、全力でサポートせねば!と思った。規定ではゼッケンを前だけ外せばよかったらしいのだが後ろも外してかなり手間取ってしまった。急いで再スタートを切る。
想定外の全力疾走の末に希望を絶たれ、再びゴールを目指すのは並大抵のことではないはずだが、記録はなくとも4時間を切りたい、との想いは相変わらず消えていないことを強く感じた。関門ストップで長く足止めされても僕らのイーブンペース走は十分完走へと導くことができることを、今から証明してやろうではないか、という気になってきた。お陰で、700mで15m上るコースのハイライト区間も黙々とこなし、僕ももう足なりにスピードを緩めることをしなくなった。
35km 3:17:41 区間タイム 29:52(P5:58)  関門ストップ除く 26:32(P5:18)

関門地点での3分20秒もの停止時間にも関わらず、この5キロは30分を切っていたことで自信がでてきた。
ゼッケンを外したあとは、自己責任のもと信号機に従い歩道を走らなければならない、ということになっていたが、現実はそんなことはなかった。なぜなら周りにはゼッケンをつけた選手、つまり関門を無事通過した選手が相変わらず大勢いるからだ。そういう選手をゴボウ抜きするのがある意味痛快でもあったし、なぜ僕らに関門が通過できなかったのか、つくづく悔やまれた。
「残り5km」の看板を通過したとき、4時間まで30分以上あることを確認し、サブ4を確信する。
やがて3番目となる38.3km地点の関門がやってきた。かおりさんは条件反射的にその手前でダッシュしていたが、封鎖まで3分30秒を残して僕らは通過した。
40km 3:45:03 区間タイム 27:22(P5:28)

かおりさんが切れるギリギリまで飛ばした。
やはりマラソン35km以降はどこよりも辛いものである。僕も残り3kmあたりから急に足全体が棒のようになって痛くなってきた。自分としては十分余裕のあるペースのはずだったが、ダメージが相当来ているようだ。ウルトラなんてまだまだ絶対無理だなと思う。心拍も140を時折超えている。中盤の向かい風の上りでも135程度だったから、今が間違いなく一番キツい所だ。
やっと陸上競技場へとやってきた。トラックを1周してフィニッシュだ。最後は少しペースを落として、サブ4実現をかみ締めながら走る。役員に「ゼッケン無い人! 脇を走って!」と冷たく注意され、まあ当然だけどゴールテープは切らせてもらえずにゴール脇を二人で静かにフィニッシュ。
寂しいゴールシーンとなったが、不思議と僕らは満足することができた。
42.2km 3:57:25 区間タイム 12:22(P5:38)
残りあと800m地点

フィニッシュゲートの脇を通る二人




Run42.195km 3:57:25(gross) P5:37.6 3:56:50(net) P5:36.8
HRave/max=130/149bpm EPOCピーク=65ml/kg TE=2.9 2170kcal
獲得標高133m 気温11〜15℃(ave12℃)
ラップグラフの濃い青が実際のペースに近い。5km以降、狙ったかのようにペースが落ち続け、第2関門手前の最も不利な区間で慌てて上げている。いかに効率が悪かったかがよく判る。また、最初の5kmはどこよりも遅い。
EPOCは高度グラフに似たラインを描いているのが面白い。しんどいと思っていた後半上りが案外EPOC的には上がってない。さらにしんどかったゴール間近で上がらないのはペースなりということか。ピークは関門手前。

コース中あちらこちらで応援してくれたryuさんが出迎えてくれた。冷たい雨も降る寒い中、本当にありがとうございました。ゴールした途端に激しく寒いことに気づき、やばいやばいと慌てて更衣室へ。暖かくて広い部屋が用意されているのは本当にありがたい。だが出店の無料なめこ汁は飲みそびれてしまった。もうちょっとその辺りも楽しむべきだったかな。
当然ながらTさんはすでにゴールして着替えていた。でも聞いてみたら僕らより8分くらい早かっただけ(?)で、最後の10kmはキロ6分半くらいかかっている。もうすこしで追いつけるかも??
参加賞の中には絵馬形のお守りなどというちょっと引いてしまうものもあったが、無料温泉券という地味だがなかなか太っ腹なものがあり(大抵は割引券だ)、大田原の幾つかの温泉からチョイス可能。ryuさんに相談して、佐久山温泉きみのゆに出かけた。ぬる目の露天風呂に長々と浸かって、疲れも吹っ飛び大変満足。見たことない巨大なヒラタケとか、農作物をしこたま買い込む。

風呂上りはすでに午後5時を回っていた。ryuさんに探してもらった矢板のイタリアンで、Tさんも誘って4人でささやかな打ち上げ。いい店だった。駐車場が大きく店構えはしっかりしている。インテリアは雰囲気がありつつ、家庭的で落ち着ける。だがお客が誰もいない! もしかしてお高めなのかなと一瞬ビビったが、メニューがどれもお手頃価格なので逆に不安になった。イタリアンに和風創作系がプラスされたような内容。これがどれも美味くて大満足(レースの後なら当たり前?)。特にピザが秀逸。パスタが辛めで、きのこメニューが多いのも僕としては◎。オーナーシェフが一人で切り盛りしているようで、味には責任を持っているという感じなのかな。交通量の多い4号線沿いで、休日の夕食時なのに、結局僕ら以外お客はゼロ。もったいないなあ、やっていけるのか? 応援したいので宣伝。 リストランテ ブラン・マーレ。
高速も首都高もほぼ渋滞回避で、午後9時半、帰り着いた。

* * * * *

今回の反省点
直接の敗因は、最初の5kmで意味もなく抑えすぎたことか。全般的に言えるのは、FootPodに頼りすぎて、自分の勘というものをほとんど封印していた。自称ペース職人は返上せねばなるまい。
中盤で上げるべきところを上げなかった。第2関門までに必要なペースをきっちり把握しておらず、管理もしていなかったのが原因だ。また、5km毎しかない距離表示のリスクを軽視していた。
かおりさんの実力を低く見すぎていた。必要なところでペースアップすることを恐れすぎた。日々の練習で見てきたことは何だったのか。次に繋げたい。