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2007かすみがうらマラソン参戦日誌
2007/4/15 42.195km 人生初のサブ3を狙うレース。 予行演習となるはずだった先月の佐倉をDNSとしてしまったために、本番一発勝負と相成ったかすみがうら。とにかく、キロ4分15秒ペース、14.1km/hで行ける所まで行くだけだ。それ以外に選択肢は無いのであり、あれこれ考えることも無いだろう。 年明けから昨日まで104日間の総走行距離は520km、1日あたり5.000km、1ヶ月(30日)で150.000kmとなる。そうなるように昨日1.3kmだけ走っておいた(バカだ・・・)。サブ3達成の条件と言われる月間300kmには若干、及ばないが、150kmを超えた月ですらほとんど前例が無く、いつになく多く走っていることは間違いない。なのでやれるだけはやった感がある(甘いけど)。 自分を信じて行くしかない(臭ッ)。 ここ1週間、レースへ向けての調整はいつになく慎重だった。練習内容だけでなく、風邪をひかないよう念入りに注意し、ザコッツィ予防のため職務中も姿勢よく過ごし、日々の食事はバランス重視で量も抑え、体重は0.5kgほど減ってきた。前日は珍しく散歩になんぞ出かけたりして、引きこもりでデブったり鈍らないようにほぐし、補給系のものは準備万端手に入れた。 ウェアの選定にも悩んだ。4年前に手に入れた貴重なクリス・ヒルのサイン入りランニングウェア上下は、勝負服としてずっと出番待ちだったが、今日この日こそ出陣に相応しい。がしかし、最終的にはポケットが無いという理由でポンズのノースリーブジャージに妥協する。 雨と嵐の佐倉とは異なり、幸いにもホンワカ晴れて穏やかな休日。ランナーご一行様満員電車にTさんと揺られ、8時41分に土浦駅着。東京マラソンの影響もあってか、大会史上最多の14000人が集結したらしい。 今回の大きな不安の種である坐骨神経痛は今のところチタンテープの妙によって大人しくしてくれている。頼むから、42kmを走り終えるまで黙っていて欲しい。あとで思う存分、痛がってあげるから。チタンテープは背中とケツと脚にべたべたと、のべ1m分くらい貼ってきた。 ま、精神安定剤ですね。 BCAA絡みの補給食を複数摂取し、推定8000mgを腹に収めた。さらに、ここではリゲインが参加賞に含まれるので、遠慮なく頂く。但し持参品のリゲイン3000ダーッ(おまじない)。 荷物預りは去年以上に激混みしており、スタートが迫っているのに人だかりの山は一向に動きがないので、スタート10分前で急遽預託を取りやめ。陸上トラック内にある警察関係のテント脇に荷物を置いて、スタート位置へと急いだ。あの欠陥預かり所が改善されない限り、今後は一切預けないと決めたほうが良いかもしれない。 スタートのカウントダウンが始まる。Polarを見ていると、1秒毎に心拍が上がっていく。心臓も走る準備をしているらしい。60から79まで上がったところで、10時の時報がなりスタート。 10:00 a.m. フルマラソンの部スタート 謙虚にも、3時間以内のプラカードから随分後ろのほうだったためか、意外とスタートラインまで時間がかかり、24秒を要する(ま、東京マラソンとは比べ物にならないが)。その後もなかなかスピードが上がらず(渋滞しているというよりは、単に遅い人がブロックになっている)位置取りはもう少し貪欲になったほうが良いなと後悔した。1km通過に5分以上かかり、早くも50秒のロスタイムが生じている。これを後で埋めるのは大変な苦労だ。3kmほどでようやく目標ペースで走れるようになったが、依然として常に追い越す状況なのでストレスが溜まる。 背中のポケットには、アミノバリューのBCAA2000mg粉末2本、アミノバイタルのBCAA3000mgスーパースポーツゼリー、そしてグリコのBCAA600mgチュアブルタブ×5個と、アホなくらいBCAAを積んでいる。そんなにBCAAに拘ったつもりも無いんだが、何となくそうなっちまった。で、ケースに入れたチュアブルタブがカランコロンとうるさい音を奏でている。ああうるさいなあ。これは持ってくるんじゃなかった。せめてレース前に試すべきだった。 5km通過は21分15秒目標のところ、22分24秒。想定外のスタートロスを作ってしまったが、さほどの落胆は無い。なぜなら、キロ4分15秒というペースが普段より楽に感じたからだ。本当にこのゆっくりスピードでいいんだろうか、キロ表示が間違っていないだろうか、と疑っていたが、5km単位で見れば誤差は少ないはずであり、最初のロスタイムを省けば目標ペースに近いところを走れていることが判った。 スタート後程なくして、風向きはほぼ真向かい一定になる。これは都合がいい。もし風を受けるとしたら、前半と後半のどちらが得策か考えてみた場合、前半は過密状態なので集団効果や風除けを期待しやすく、また後半はちょっとした負荷がブレーキになるため、前半向かい風が好ましいとの結論に至っていた。なので、誰かの後ろについて省エネで走ろう、とアタマは指令を出すものの、どういうわけか途中で耐え切れず離れてしまう。他人にペースを合わせる走りが今日はなぜか負担増に感じ、風を受けながらも自由気ままなマイペースで走るほうが楽だった。 最初のエイドから水分を少しずつ確実に摂った。額の汗を手で吹き払いウェアに擦りつけるという、トレッドミルでの癖をいつのまにか繰り返している。人によっては首や肩がビッショリになっていて、結構な暑さだ。しかし向かい風で時折涼しさも感じるくらいだったので、さほど問題とは思っていなかった。 道路を共有していた10マイルの部のコースが右に折れ、気分的に走りやすくなった。10km通過は43分45秒、この5キロも予定ペースを僅かに下回ったが、誤差範囲内だろう。周囲とのペースがやっと合ってきたころだ。14kmが過ぎた。あと2時間、と考える。グリコのタブを口に入れた。粉っぽくて喉に引っかかり、むせた。 やがてちょっとしたのぼりが続く16km地点。去年はここを意識せずに通過したが、今年は少しきついと思った。それまで一緒だった女性にスルスルと離されたせいかもしれない。この区間はキロ4分31秒と落ちたが、HRの上昇はほぼ抑えられた。カランコロンうるさいタブを一気食いする。やっと静かになり清々したが、リズムを刻むその音が実は支えになっていたのかもしれないな、とも思った。今更遅い。 20km地点を1時間26分43秒(目標+1分43秒)で通過。ずっと続く向かい風がそろそろイヤになってきたころだ。この5km区間も相変わらず目標ペースより若干遅く、お世辞にも誤差範囲とは言えなくなってきた。ちょっとした坂や強い向かい風といった負荷のかかるポイントで目標ペースを下回り、そのまま取り返せずに積み重なってきている。今思い返せば、このあたりから、「サブ3は元々無理難題だったのであり、このままのペースで行くのが精々である」ことは周知の事実でしょ? という気になっていた。この後でロスタイムを返上することは、まずありえないことと悟ったようである。その反面、ロジカルに考えるもう一人の自分が居た。Polarを見ると1時間半経っても心拍数は147前後を推移し、150を殆ど越えていない。これは前回のかすみがうらの内容と照らしてみても、まだ余裕のあるペースであることを示している。実際のところ、体感的にも辛さは殆どなく、呼吸は極めて穏やかである。ならば今のこのペースに甘んじているのは単なる怠慢であり、「とに角行けるところまでキロ4分15秒で行くべし」との誓いを、行けるところまでやっていない。前半20kmはほぼ向かい風だったので、タイムが若干落ちるのも止むを得ないとするなら、後半こそ勝負する時だ。 ハーフを1時間31分35秒で通過、倍にすると3時間と3分以上、とまではアタマが働かなかったみたいだ。下り道を駆け下りてヘアピンコーナーを曲がると、今までとはガラっと変わって細くクネクネした農道を走ることになる。追い風に変わり、ひたすら平坦。こんな楽なコースはない。 この頃から、再び周囲とはペースが合わなくなってきていた。ひたすら、少しずつ追い越す状況となる。暫らく前まで一緒に走っていた男性・女性とも別れてしまった。別に僕がペースアップしたわけではない。多くの人のマラソンペースというのが、そういうもののようだ。 そんな中、ヒタヒタと軽快な足音が背後から聞こえ、ウェアに「不忍池」とロゴの入ったゴマ塩頭の男性が前に出た。初老という表現が似つかわしくない、適度にガッチリした体型とコロンと丸く締まったふくらはぎ、そして僕が以前愛用していたアシックスのシューズを履いていた。この人は強い、と直感し、これまでの自分に甘いペースを打ち砕くためにもしっかり着いていこう、と決めた。 彼の躍動感ある走りに刺激されたか、僕の走り方も少し変わってきた気がする。前半は何となくコソコソっと来ちゃいました! って感じだったが、これからはしっかり気持ちを注入し、ヒジを大きく振り、多少息は上がるが走っている実感を一歩一歩確認しながら進む感じだ。後で考えれば、いわゆる、ランナーズハイって奴かもしれん。4,5キロは一緒に走ったが、次第に彼の前を走ることが多くなってきた。クネクネ道を冷静にベストラインで攻めるセコビッチ走りで少しずつ差をつけ、いつのまにか千切っていたらしい。 次なるターゲットを前方走者から見出して、追走を繰り返す。この辺りにくると、僕とペースが合うのは計画的に走っている女性ランナーの比率が高まる。これで続けて3人目となるターゲットを前方に見つけ、じわじわと攻める。距離にして確か、25-6km付近だ。 ところが、この女性がなかなか粘る。いや、別に僕のことは気づいてないと思うが、最高10mくらいまで迫るも、そこからが縮まらない。むー、どうした。 そして、逆に徐々に彼女の背中が小さくなっていることに気付いたのは、30kmを2時間9分55秒(目標+2分25秒)で通過した頃。 正直に記せば、非常にアグレッシブな走りを展開した気でいたこの10kmほどで、いかほどの巻き返しも実現できていないことを知り、サブ3はどう引っくり返っても不可能であることが、脳みその中で意見の一致を見た頃だ。 また、恐らく間違いなく、復路のクネクネ道はキロ表示がかなりイイカゲンで、1キロ毎のラップを見ては一喜一憂を繰り返しているうちに、精神的にくたびれてしまった。いや、単に肉体的にくたびれただけなのかもしれないが。 とにかく、ランナーズハイのピークは過ぎていた。 だが、まだロスタイムは2分少々であり、サブ3とまでは行かなくてもそれに近いタイムは出せる可能性は、十分あるはずだと考えていた。何度自問自答しても、どこがどう辛いとか、動きが悪いとかいった箇所は見当たらず(そういえば坐骨神経痛の話を忘れていた!)、強いて挙げるならどういうわけかやや腰が痛いのと、少々退屈になってきたという程度である。HRも155前後と想定より低く、この先、大した問題は起こり得ないと感じたので、実際そのように思い込むようにした。 ターニングポイントはよく覚えている。32km地点だ。つまりあと10kmと知ったところで、なぜか緊張の糸が切れた。ショートトライアスロンの最後のランがスタートした、などと思ったりして、士気を新たに捻出しようと試みたが、前方ターゲットの女性は虚しくもみるみる小さくなっていくのであった。しんどいという言葉はまだ出てこないが、脚はMAXに仕事をしており、これ以上スピード出せって言われても、無い袖は振れないさー、という、やや他人事な感じ。 だがそれも35kmを過ぎると非常に辛くなってきた。脚を前に繰り出す動作が徐々に重く、遅くなった。つまりピッチが落ち、歩幅が落ちた。そんな頃、「頑張りましょう」と声をかけて追い越していく男性。「不忍池」のウェアを着た例の男性だった。それなりにペースダウンは見られるものの、僕よりずっとしっかりした足取りでピッチも速く、あっという間に離された。ここでようやく、彼と争うようにキバッた走りをした区間が仇となったことに気付かされた。だがそれは当然コンセプトに忠実な走りであり、悔いは無い。 一人、また一人と、追い越した覚えのある人に抜かされた。久々に、潰れたレースとなった。みるみる落ちていくペースをいかに食い止めるかという、楽しくないテーマに切り替わったが、ここで投げたら今までの苦労も水の泡。1キロ毎にタイムは確実に悪化、怒涛の勢いでスピードが落ちていく。ヤバイ(でも結構、周囲も同じようにバテている)。 ラスト2km。沿道の応援団が「あとたったの2kmしかないよー!」と言っている。その言葉は逆に「もう大した距離じゃないから好きにすれば」という悪魔の囁きにもとれ、無性に歩きたい気持ちにさせた。ふと見ると背中に天使の羽根をつけた女性が歩いていた。去年暫らく同じペースで走り、徐々に離されたことで印象に残っている人で、今年のスタートラインで懐かしくも再び見かけたときは、「悪いけど、今日は先行させてらうよ」と心で話し掛けた。それが実は今までずっと気付かず先行されていて、そして意外なことに潰れて歩いている。つまり僕よりも高い目標に向かって走っていたのだろう。追い越すと同時に彼女は走り出した。もしかすると僕を見て「去年見た覚えのある奴だ」と思ったのなら幸いだ。 キロ5分19秒、呆れるくらい遅い。せめてラスト1kmは最後の力を出し切る走りを、と心がけた。あちこち空中分解しそうなほど辛い。もしかするとアイアンマンの最後よりもしんどいんじゃないかと何度も考えた。わずか1時間前までは、ここまでの辛さは全く想像できなかった。3時間の目標から7分以上もオーバーして、ようやく念願のゴール。サブ3の目標は、狙うには依然高すぎることを証明したレースだった。 3:07:24 (4:26/km) (HRave/max=147/157bpm 消費カロリー 2373kcal ![]() 結局、目標キロペースを上回った5km区間は一つも無い。 走り終えて、腰が異常に痛いことに気付いた。マトモな姿勢で歩けない。ダメージの程度は去年を遥かに越えている気がした。体のあちこちが塩で白く残っており、かなり暑かったことを示していた。終盤は水分不足がパフォーマンス低下に大きく影響していたかもしれない。 とてもすぐ歩けずに椅子に座っていると、「不忍池」ウェアのランナーに握手を求められた。僕の背中を目標に走ったと語ってくれた。結局タレてブザマに抜き返されるわけだが、不思議とそれを恥じる気持ちよりも、むしろ積極的な走りで一瞬でも彼の目標となったことが満足だった。僕ももう少しペース配分を変えていたら、4分台でゴールしたというその人と最後まで競っていただろうか。 あまり意味の無い考察だ。 とにかく動けないくらいあちこち痛いので、手荷物放置場所に戻ってきた時はTさんがすでに着替えて待っていた。お待たせしました。 その後長い時間かけて土浦駅に辿り着き、去年と同じ店(名前が変わっていた)に行ってTさんと打ち上げ。ビールジョッキ2杯とインド料理を腹一杯詰め込んだが、その後家に辿り着いて体重計に乗ってみると、依然として朝より1.7kgも少なかった。 |
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