![]() 1978年7月〜1979年8月 |
誤字なども直さず忠実に、余さず書き写してみた。オリジナルはノートを横にした縦書き。 5年4組 担任は男性教諭大橋先生。豊橋時代 |
7月21日(はれ) 暑い 母に、車に乗せてもらって眼科へいき、その帰り、マルヨによった。そしてこのノートと、ジュースと、お好み焼きをかって、母と、車の中で、昼メシにしようと考えた。 車の中で、昼メシをするのはたのしいもんだ。なぜか、お好み焼きが、とてもうまく、いい気分だった。 ところが、ジュースを、こぼしてしまったもんだから、そのいい気分が、ふっとんでしまった。ふたをもってのもうとしたので、ふたがはずれ、こぼれたのであった。 そのうちに、ぬれていたシリが、じわじわしてきた。 [先生から] 小さい子どもみたいだ |
マルヨ:近所のショッピングセンター |
7月22日(だいたいはれだと思う)そんなに暑くない そのことを思いだすと、すぐわらえてくる話がある。 それは七月十八日のことである。ぼくが、トイレでしょんべんの音を、カセットテープにとったのだ。ほら、またわらえてきた。 そのしょんべんの音を母にきかせた。すると、 「なにそんなトロイことやってんの。」といっていた。 戸を開けるところからはじまった。すると、へやであそんでいた姉が、ききにきた。しょんべんの音は、ちゃらちゃらちゃら。そのあとのながす音は、じょろじょろじょろずるじゃっば〜ん姉は、ケラケラわらっていた。母もとうとう、わらいこけた。トロイこと、って言ったのは、だれだったかな。〜 [先生から] へんな家族だ においも再生しただろ |
お約束の下ネタ |
7月26日(水)はれ ど暑い めずらしく日記をかいた。いままでは、かわった事がなかったから、書かなかった。 きょうは、ファミリープールに、5時から、母と、いく予定である。このつづきは、プールで遊んだ後に書こう。 と思っていたけど、めしくって、ふろ入って、とこに入っちゃったから、かかなかった。だからつぎの日の“今日”に書いた。5時からは、入場料が大人が半がくになる。姉も、ケツマクエンなのに、はいりたいと、うるさくほざくので、つれてきた。プールで、遊んでいるとちゅう、アップルボールを持ってくるのをわすれたことを思いだした。姉は、 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ」 とほざいていた。 母は、水泳がへたなのでぼくがおしえた。すると、 「あ〜〜あ、それだそれだ。それをはやくいいなさ〜いよぉ」 と言っていた。 ぼくはときどきすべり台ですべっていた。すると、中かんの、ななめになっていないところで、ふっとび、ケツを、手をもつところにぶつけ、ころげておちた。とてもケツがいたかった。 (おわり)
[先生から] ぶざまなかっこう |
強調も本人の筆 |
8月24日(木)はれ 暑い 「人間はねずみのように、すみがすきだ。」と先生におそわったので、夏休みの、まん中は、日記を書かんかった。そして、終わりになって、またかきはじめた。 ぼくは、水泳のトックンのことをかいた。 ふつうの時はかかない。そう。きょうは、ふつうの日ではないのだっ!きょうは、トックンの最後の日なのだ。 そしてきょうは、水泳のタイムをはかる日であった。 そして、タイムをはかった。・・・・・・・・・・ へをがまんしておよいだ。←じょうだん ついたっ! となりでおよいでいた原ケツのタイムをきくと、「40びょう5じゃ」とはかっていた人がいっておった。ワシはとなりの原ケツと、3メ〜トルぐらいさきだったから、40秒はきれたのはかくじつっ! 聞いてみると、38秒4であった。」 [先生から] 今シーズンのベストか |
原ケツ:友人のあだ名 |
8月25日(金)はれ 暑い きょうは、父ぬきの家ぞくと、母のコーラスの友だちの人と、がまごおりの、市民プールに行った。 流水プールがあったっ。そこで、ボートをうかばせて、上にのってねていたら、いつのまにか、みしらぬところへいっていた。そのプールは海がんぞいにあったせいか、なんとなくしおからかった。 すべり台もあった。50メートルぐらいもありそうだった。そしてすべったそしたら、ぜんぜん進まんかったから、びゅいびゅいにこいだ。 プールは、あさいのでねそべって、すべった。そしたら、鼻に水がはいった。 はばがひろくて、みじかいスベリ台もあった。はんたいがわから、のぼったら、おこられた。 川本という6年もきておった。ローレルの車をもっていたので、その車できたのだ。 ぼくが 「はらへったあ。」 といったので、昼めしにした。昼めしは、おにぎりだけ。 あとで、ほていのやきとりを、だすのをわすれていた。 はしももってくるのをわすれたので、てずかみでくった。 3時半ごろになった。母が、 「もう帰るわよ。」 と言ったので、最後に、流水プールを一しゅうまわっていった。そしてぼくは、さいごのスベリ台をすべった。 ローレルで、マルヨまでいき、そこで、フルーツパフェをたべた。あんまりしゃべりすぎて、5時半にもなっていたので、ついでにゆうメシもくった。 そのカツカレーがあまりにもまずかったから、とちゅうで、食うのをやめた。 そして、自分の家へ車でかえった。ローレルとくらべると、このサニーエクセレントGL1400は、のりごこちが、ごたごたであった。 [先生から] もったいない |
その時の写真がアルバムにある。アホをコンセプトに生きていた時代。![]() カレーをまずいと思ったことはなく、おそらくカツが生焼けだったりして母から食べるなと言われたんだろう。 がめついので残すなんてありえない。 |
8月26日(土)あっちっちー きょうは、母のたんじょう日なのだっ。つづきは、たんじょう日がおわってからかこう。 たんじょう日会は、そんなにはでにはやらなかった。 母が、ふとまきを作ってくれた。40こぐらいだった。 ぼくが最初にプレゼントを出した。ぼくからのプレゼントは、三百円の本と、二百円のハシだ。本は、母がまえから田辺聖子のかいた本がすきだったから、そのひとのかいた本をプレゼントした。 本だけじゃ、ものたりんのでまだかおうとしていたら、姉にあった。ぼくは、姉に、 「ハシぼろいからかってもいいよね。」 といったら、姉が、もうハシをかっていたのだ。それが、百円の安もんだったから、それをかえして、かわりにぼくが二百円のハシをかった。 次に、ぼくと姉の二人で買ったプレゼントを出した。これは、ほんとうは姉のプレゼントだが、それは二百円だったので、ぼくが、百円だして、二人で買ったものとした。それは、みそしるをのむおわんだった。 姉のプレゼントは、大バーゲンの所で買った、果物ざらであった。そのさらは、五つはいって四百六十円。まったくとくしたものをかったもんだ。母が、 「高かったでしょう。」 といっていたので、ケラケラわらえてきた。 姉のプレゼントは、それだけ。 9時ごろ。テレビのとりあいで、ふうふげんかになった。父が、 「うるせ〜なこのバッキャロー」 といって母のケツをブンなぐり、母は、 「なんですって、このバカー」 といってキックした。ところが父までとどかんかった。それで父がきずいて、もう一発母のケツにおみまいした。母は、もううずくまっていた。 それをぼくたちがながめていた。 [先生から]プロレス以上の迫力 |
味噌汁のお椀と果物皿は今も現役。 父が母に手を掛けたのはこれが唯一だったと思う。 |
8月27日(日)はれ。 ある深いねむりからめざめたっ。なぜだろう。朝だからだ。 きゅうにしょんべんがしたくなった。みんなグースカねている。父だケがおきていた。7時ごろだとおもって時けいをみると、8時半であった。 さて、またねよう。と思ったら、姉が、中日新聞のマンガをもって、母のところへいってしまった。 すると、みんなががやがやさわいでしまった。 もう、ぼくも、とうとうおきてしまった。 ぼくが、しょうべんしていったら、がやがやになるし、もしいかなくても、がまんで、ねれない。 やっぱり、8時半にもなったらおきる運命なのだ。 [先生から] おそい |
ここまでは、夏休み中の日記。 その3ヶ月後に仙台に引っ越すことになる。 |
S54 2月11日(日)![]() (おわり) じょうだんじょうだん。ぼくは、じつはトーゲーキョーシツに入ったのだ。えっ なんだって、トーゲーってなにかわからないだって? バカだなあトーゲーは陶芸さ。おわかりかな? なぬ…字がよめんだと?アホダナア トーゲーってかいてあるじゃん。などとアホなコトをいって日記帳をうめるわるいクセ さてと、トーゲーとは、やきもののこと。ほかにシッポやきもする。あ、まちがえた。七宝だった。七宝は、ペンダントやブローチなどを作ることであ〜る。ぼくは、七宝やきはやらない。ふつうのネンドでツボや花びんを作ることがすきだ。 それでは、ゆのみの作り方。 まず@は、ロクロの上にネンドをおいて、てつのいたで平らにします。そしてそのてつのいたで平らにしたネンドをうまくまるにきります。 Aほかのネンドを手で長くのばし、さっきつくった平らなネンドの上にBくるっとまるくしてくっつけ、それを5センチぐらいのたかさにまでします。 それからD手をみづでべたべたにつけて、そのつつの形のネンドを細くしながらのばしていってだいたいでき上り はあ つかれた。これ むづかしいんだぞ。 |
陶芸教室は近所の青年会館でやっていたもので、ガス釜があり釉薬も自分で塗れて本格的だった。 |
25日の日よう日 (日)←あたりまえ きょうもとうげいにいってきた。じつは、先生がカゼひいてぼくとうぶんとうげいに行くのやめといたんだ。 きょうも先生はまだカゼひいてやすんでいた。 ぼくのほかに、いつも大きいものしか作らない人と、へたくそな2年くらいの女とその母がきていた。ぼくは、ネンどがなくなったのでこんどは赤いネンドをかってみた。そして、うりもののやきものを手本に、つくってみた。 一かい目は大しっぱい。二かい目はうまくいったと思ったら、うすすぎてくちょくちょ。 三かい目。とうとうでき上り。 「やったぁ」 しかしぶあつすぎた。まあいいや。うすくするとこわれてしまうし、二どとこんなにつごうよくできそうにもない。 こんなにうまくできたので、ゆのみなんかかんたんになったかなと思ったら、やっぱりむずかしくて、とうとうできなかった 「ゆのみはうすいからね。」 なんてごまかしたが、ほんとは、まだぼくのじつりょくでは、できないのかもしれない。 たぶんできないだろう。 |
僕を弟子にすると言ってくれたおじいさんの講師は、この時すでに亡くなっていた。 |
S54 8月5日(日) 「日記をかけ。」と言われて、何年ぶりかに日記を書いた。 「きょうのことをちょこちょこかきなさい。」 きょうのことか。なにかあったかな。 「ダイエーに行ったことでいいだろう。」 ダイエーとは、お店のことですが、じつは、ストップウォッチを買ったのだ(※)自まんしているようだが、じつはそうなのだ。 それから本もかったのだ(※) これでおしまい。
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(※)というのは、同じフレーズを繰り返す、という意味だろう。 |
日記は続かず、その後は空白となっている。![]() ノートの裏に落書き。 |
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